26


 王太后に連れてこられたのは離宮の一部のように建てられた小さな石造りの建物だった。


「ここは表に出せない王族を入れておく場所なの」

「え⁉」

「そして、いまここに入っているのは一人」


 王太后が先頭を歩いていることで建物の前にいた番人に止められることなく中に入ることができた。

 入ってすぐの場所で座って休んでいた老年の侍女が王太后を見て膝を突く。


「彼女は?」

「はい。いまは読書をなさっているかと」

「そう。会いたいと伝えてくれるかしら」

「畏まりました」


 侍女が奥へ行き、そして戻って来る。

 そのまま侍女に案内されて入った部屋にその女性はいた。


「王太后様、ようこそ」

「ごめんなさいね、急に」

「いいえ。どうせ毎日暇をしておりますから」


 そう言って笑い合う二人。

 アンリシアは驚きでその女性から目が離せなかった。


「それで、そちらのお嬢さんは?」

「こちらはね、アンリシア・バーレント様」

「まぁ、ではバーレント公爵家のお嬢様ですね。それで、ここにいらっしゃるということは……」

「そう。リヒターの婚約者なの」

「まぁっ! あの子の!」


 あの子。

 リヒターをあの子と呼んだこの女性。

 もしかして……。

 いや、でも若すぎないだろうか?

 順当に考えればアンリシアの母と同じ年代のはずなのだが、目の前にいる女性は自分と同じか少し上ぐらいにしか見えない。


「アンリシア、紹介するわね。こちらの方はリヒターの母親、現王妃シエリア様よ」

「よろしくね、アンリシア様」

「……はっ、はい! よろしくお願いします」


 慌てて礼をするアンリシアだが、その頭は混乱していた。

 リヒターの母親は亡くなったはずでは?

 いや、その理由は彼女を見ていればはっきりとわかる。

 彼女の髪と目は……黒かった。

 魔女の証だ。


「……リヒターが生まれた後にね、こうなってしまったの」


 アンリシアの驚きを理解しているのだろう。シエリアは混乱する彼女をいたわる様な目を向けてくる。

 こう……というのは魔女化のことだろう。


「魔女への変化は幼い内しか起きないものだと思っていました」

「少ないながら例外もあるようです」

「そうなの……ですか」

「驚かせてしまったようですね」

「それは、申し訳ありません」

「いいのよ。仕方がないことですから」


 ひたすら恐縮するアンリシアにシエリアは落ち着いた態度で接してくる。


「あの子を産んで少し落ち着いた頃です。熱を出して倒れてしまったのです。産後の疲れが残っていたのかと思ったのですが、翌日にはこのようになっていました」

「大変な騒ぎになりかけたのですが、陛下が冷静に対処したおかげでなんとか事なきを得ましたね」


 王妃と王太后が当時を振り返る。


「その後、すぐに私はこの熱で亡くなったことにしました」

「え?」

「陛下と王太后様と相談した結果、そのようにしました。王妃が魔女になるなんて許されることではありませんから」

「そうで、しょうか?」

「ええ。でも、世間では魔女に毒殺されたなんて噂ができてしまってちょっと焦りましたけど」


 魔女の存在は禁忌。その力が政治に中枢に入ることは許されない。

 王太后も、王妃も、そしておそらくは王も……そして自身の家が頂点にいる保守派の貴族たちもそのように考えている。

 いや、きっと魔女派の貴族たちもだ。

 魔女の力を認めながら、しかし魔女たちが自分たちよりも上の存在となることは許さない。

 ああ、なんて勝手な話なんだろう。

 そう考えてしまうのはアンリシアにレインがいるからだろうか?


「リヒター様にはいつ?」

「あの子が十になった時に。かなり驚いていましたが、私が生きていたことには喜んでくれました」

「そのリヒターなのよ。報告があるのは」

「どうかなさったのですか?」


 王太后の変化に王妃も表情を曇らせる。

 さらにリヒター王子の企みを聞いて彼女は悲しげに首を振った。


「なんということを」

「この問題をどう解決するべきか。あなたの意見を聞きたかったの」

「あの子は、私をここから出したかったのですね。可愛い子。ですが、愚かな……」


 そう呟いて、王妃はしばらく沈黙した。

 だけどそれは答えが出ないから悩んでいるわけではなく、頭に浮かんだ答えを口にするべきかどうかを決断しかねているのだとわかった。

 そしてその迷いも、本当にしばらく程度でしかなかった。


「……陛下には妾の子がいましたね」

「ええ。あなた以外の妻は取らないと公言しているけれど、いざというときのことを考えればそういうわけにもいかないですからね。説得して、何人かを紹介しています」

「っ!」


 二人がなにを言っているのかすぐにわかって、アンリシアは青ざめた。


「まさか、廃嫡をお考えですか⁉」

「それしかありません」

「魔女は確かに強力ですし、その存在を広範に受け入れるさせることができればこの国はもっと豊かになるかもしれません。ですが、リヒターが言うような魔女を頂点にした政体を作るというのは簡単なことではありません。魔女は血統でも教育でも手に入らないのです。神の気まぐれに振り回される不安定な存在です。その力にすがるのはあまりにも危うい」

「しかし、だからといって……」

「ありがとう。あなたは優しいのですね」


 王妃の慈悲深い笑みにアンリシアは何も言えなくなる。

 彼女がどう考えているか、この状況をどう受け止めているのか……それがよくわかる。王妃はここにずっといることに何の不満もないのだ。その身は王のために、国のために、血筋のために、王妃シエリアという存在を支えた全てのために存在し、そしてそのために我が身を犠牲にすることになんの不満もないのだ。

 好みはあくまでもこの国を存続させるため、マウレフィト王国を存続させるためにある。自分の身が国に混乱を招くのであれば大人しく死ぬまで身を隠す。毒を煽ることさえも躊躇なく行いそうな笑みがそこにある。


「陛下には私がお願いしたいと思います。王太后様、お願いできますか?」

「そうですね。では……」

「お待ちください!」


 だけど、このまま決定させるわけにはいかない。

 レインのためにここに来たけれど、だからといってリヒター王子に不幸になって欲しいわけでもない。

 そしてこのまま王国が何も変わらないというのもまた受け入れられない。


「魔女を王妃にすることなく、だけど、魔女を王宮に招き、その力を貸してもらえればいいのです」


 西の国のことがある以上、マウレフィト王国とて魔女の地位をそのままにしておくわけにはいかない。

 方策は必要なのだ。

 だけど、リヒター王子のような急激な変化は逆に強い反発を招くことになる。

 それなら、時間をかけて反発を弱められるようにすればいい。


「サンドラストリートはたしかに魔女にとって重要な意味がありました。ですが、貴族たちとの繋がりを隠すやり方は、逆に魔女たちを後ろ暗い存在と思わせてもいます。そのやり方を変えるのです」

「その方法は?」

「宮廷魔女という地位を作るのです」

「宮廷魔女?」

「名前はこの際、なんでもいいのです。ただ、王に認められた魔女を宮廷に招くのです。それによって王もまた魔女に頼っていることを広く知らしめるのです。王が頼っているのであれば、民もまた頼ることができる。そうなれば魔女と変わってしまいそのままひどい扱いを受ける子供たちの数を減らすこともできます。逆に、王宮に招かれるかもしれないとして大事に扱われることになるでしょう」


 そうなれば、魔女の教育の場でもあるサンドラストリートもまた賑わうことになるし、魔女の人口が増えれば魔女の技による恩恵がより広く深く国に満ちることになる。


「……なるほど、一理あるわね」


 アンリシアの提案に王太后は深く頷いてくれた。


「しかし、それであの子は納得しますか? あの子の目的が達成できるとは思えないのですけど」

「それは……」


 リヒターの目的がただの魔女の地位向上ではなく、母親である王妃をここから解放することにあるのであれば、アンリシアの策は迂遠すぎるかもしれない。


「……考えはあります。聞いていただけますか?」

「ぜひ、聞かせてほしいわ」


 王太后と王妃、この国の頂点にいる二人の女性はアンリシアの言葉に耳を傾けてくれた。



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