25


 王太后からの勉強時間が終わった。今日はお茶を楽しみながら彼女の昔話を聞いたのだが、どんな話を引き出させるかをアンリシアに決めさせるというものだった。

 最終的には出されたお茶やお菓子から茶葉の産地やそのお菓子が誕生した国から話題を引き出したのだが、王太后はそれが正解だったのかどうかは教えてくれなかった。最後まで機嫌がよかったから正解だとは思うのだが、次に来るときはお茶会のメニューを決めてきなさいという宿題を出されて、どうしたものかと胃が痛い思いで歩いている。


「ああ、レインに会いたい」


 レインが王の前で堂々と釈明をした結果、勅命によって再調査されることになった。彼女は即座の断罪は免れたものの、新事実が見つからない限り牢から出ることはできなくなっている。

 バーレント公爵家からの生活援助の申し出は受け入れられ、不自由のない生活ができているそうだけれど、きっと退屈していることだろう。

 できれば会って話したいのだけれど、それは止められている。

 まだ、レインの完全な無実が決まったわけではないのに、うかつに接触していては公爵家がどうなるかわからないという理由からだ。

 もどかしいけれど、それもまた貴族として正しい態度だ。

 だけど、なにかできないだろうか?

 レインのためになにか……。

 彼女ならばきっとなんとかする。そんな風に思わせる安心感があるのは確かだけれど、そんな感覚に頼りきって放置していいものなのか。

 アンリシアにできることは本当にないのか?

 そんなことをずっと考えていて、ハッと思いついたのは帰りの馬車の中だった。

 御者に命じてすぐに市場へといくと必要な材料はすぐに揃った。


「アンリシア嬢」

「え?」


 その声に振り返ればトニーがいた。


「トニー様? こんなところで珍しいですね?」

「あ、ああ」


 自分から声をかけて来たにしてはトニーの返事は曖昧だった。


「すまない。実は内密の話があるんだが、いいだろうか?」

「内密?」

「例の事件についてだ」

「え?」

「君が協力してくれれば新事実を引き出せるかもしれない。付いて来てくれるか?」

「…………」

「……どうだ?」

「お断りします」

「なっ⁉」


 そんな答えが来ると思っていなかったのか、トニーが驚愕を浮かべて固まる。


「な、なぜ?」

「トニー様の好意はありがたいですが、未婚の女子として迂闊な行動を取るわけにはいきません。緊急でないのでしたら、屋敷の男たちを連れてきます」

「いや……しかしこれは、時を争うんだ!」

「であれば、私のような何の力もない女が出張ったところでできることはないでしょう。あなたのご尽力は決して忘れません。それでは」

「ま、待てっ!」


 呼び止められても足を止めなかった。馬車の停留所がある場所まで人気のない場所は決して通らず、御者にも帰り道は気を付けるようにと明言した。

 トニーがどうしてこの件に口を出してくるのか、それがどうしてもわからない。彼はリヒターが王となった際の新体制から外されてしまった中立派の人物だ。

 身の振り方を考えて接近したということも考えられるが、しかしそれにしても誘い方があまりにも怪しすぎる。

 レインのためにできることがあるならしたいけれど、自分の身の程はわきまえている。アンリシアは何の戦う力も持っていない、レインのような凄いことはできないのだから、彼女のように独断で行動するなんて愚かな真似はしない。

 もしそれで窮地に陥ればさらに彼女を困らせてしまうことになるからだ。

 そんなことは絶対に避けたい。


「そんなことより王太后様の課題でよい方法が思いついたんだから、そちらを優先しましょう」


 その方がきっとレインのためになるのだから。



†††††



「くそっ!」


 トニーは怒りに吐き捨てた。

 レインという魔女を餌にアンリシアを誘い込み、女として貶める。

 婚姻まで純潔を守れなかった女……それならば王子が婚約解消を言い渡すには十分な理由となる。

 そうすれば保守派との仲も悪くなり、中立派を無視できなくなる。

 できれば魔女派を蹴落としたかったんだが、あいにくと即座に演出できる醜聞がない。

 アンリシアにはそれがあると思ったんだが……。


「旦那……どうなったんで?」


 誘い込む予定だった裏道の一角から薄汚い男たちが現れる。

 彼らはトニーに雇われた男たちだ。

 この辺りで暇そうにしていたから声をかけただけだ。


「うるさい! もうお前達に用はない!」

「はぁ?」

「行けっ! 金はやっただろう」

「へぇ……」

「くそっ!」


 ままならない感情を吐き出そうと壁を蹴りつける。

 その振動に驚いたかのように壁の隙間から鼠が飛び出した。

 収まらない怒りがその鼠を見ていると火が点いた。


「っ!」


 怒りのままに踏みつけようとしたが、鼠はすばやくトニーの足を避ける。その生意気さに頭の中が真っ赤になったが、次の瞬間にそれは消え去った。

 鼠は逃げ出さず、トニーの足に噛みついたのだ。


「ひっ!」


 しかも、一度だけでなく何度も何度も。反撃で噛みついたのではなく食べるためにそうしたのだと言わんばかりの痛みの連続にトニーは情けない悲鳴を上げて足を振り回し、手で払った。

 振り落とされた鼠は壁の隙間に逃げ込んだものの、すぐに頭だけを出してこちらを窺って来る。

 まるで、隙を見せればまた襲いかかるぞと言わんばかりの様子にトニーは恐怖してその場から逃げ出した。

 その夜からトニーは高熱を出して寝込むことになる。

 そんなトニーは熱に浮かされながら、常に鼠に監視されている幻覚を見るようになる。

 その鼠はトニーにこう語りかけているという。


「アンリの敵、死すべし」


 トニーは死ななかった。だが、もはや未来の宰相というかつての地位を取り戻そうとは思わず、家に引きこもりがちになったという。


†††††



 そんなトニーの末路をいまだ知らないアンリシアは王太后の離宮にいた。


「さあ、アンリシア。今日はどんな趣向で楽しませてくれるのかしら?」

「はい。こちらを用意しました」


 そう言って侍女が運んできたのはガラスの容器に入った金色の飲み物とクリームたっぷりのパンケーキ、そしてクッキーやケーキなどがたくさん。


「これは……すごいですね」


 二人で食べるには絶対に無理そうな量に王太后は顔をしかめた。


「見ているだけで胸焼けがしそうね」

「そうですね。いまのわたしでもちょっと無理かもしれません」

「あら? ではどうしてこれを用意したのかしら?」

「王太后様と同じように、わたしも少し思い出話をしたいと思いまして」


 アンリシアは黄金の液体が入ったガラスの容器を手に取った。


「まずはこちらを飲んでみてください」

「こちらは?」

「特別なリンゴのジュースです」


 コップに入れたリンゴのジュースを王太后はそっと口に運んだ。


「あら? 美味しいわね」

「はい」

「甘すぎず、心地よい酸味……これは?」

「はい、王太后様。友人が作ってくれる特別なジュースです」

「お友達?」

「はい。その彼女が慌てるわたしを落ち着かせるために飲ませてくれたのがこのジュースでした」


 持って来たのはレインの作った黄金林檎ジュース。美味しいから欲しいと言うと任せろと大量に用意してくれるので、屋敷にはいつもある。

 レインが最初に飲ませてくれたジュース。

 それからアンリシアは王太后に小さな魔女との出会いを語った。

 眠りから覚めなくなった母を心配して別荘にやって来たアンリシアは黒尽くめの悪漢に襲われた。

 それを助けてくれたのがレインだった。

 それだけでなく母を治してもくれた。

 初めて別荘に招待してご馳走したお菓子の山がいまテーブルに並んでいるそれだ。母が治った喜びと同い年の刺激的な友人が嬉しくて無邪気に食べたのを覚えている。

 そして、そのときレインと母がしていた会話も。


「レインはわたしよりもはるかに賢い人です。あの年でこの国の貴族には保守派と魔女派がいることも、そして我が家が保守派であることも理解しているようでした。それでもレインはわたしたちの味方をしてくれています。そして、それはいまもです」

「……その魔女のお嬢さんは、リヒターの暗殺容疑を受けている方のことね?」

「はい。でもレインがそんなことをするはずがありません。する意味がない」

「そうね。あなたの言う通り賢い方なのでしょう。陛下の前で堂々とした態度だったということですし。アンリシア、あなたは何をお望み?」

「……レインの解放を」

「なるほど。ですが、問題の本質はそこではないでしょう?」

「…………」

「どこにあると思います?」

「……王位継承問題と、その先にある魔女の処遇。西の国での聖女の問題…………」

「その通りです。西の国での疫病問題は解決に近づいています。そしてそれに助力した聖女……この国での魔女たちの名声はとどまることを知りません。すでに多くの魔女が西の国に流れています。そして、西の国は国内に残っている不満を国外で虐げられている聖女を救うという名目で他国を侵略することで解消することも考えられます。それに対抗するために、陛下は保守派を宥め、魔女派を取り込むための策を練りました。あなたの王妃もナルナラ家の子息の次期宰相決定もその一つです」

「はい」

「ですが、リヒターはもっと深くこの国の事情を動かしたいと考えているようです」

「それが、魔女を王妃に据える。ということですか?」

「……気が付いていましたか」

「はい」


 例の暗殺未遂事件。

 毒を飲んでしまったリヒター王子を魔女のサリアがその力で救ったということなのだが、あまりにも状況が都合よすぎる。

 そもそも一国の王子が毒殺されそうになったなんてことが公に広まっているというのがおかしい。

 まるであえてその話を広めて、サリアという魔女の名声を広めようとしているかのようだ。

 そして、では、その名声が王子にとってどういう使い道があるのかを考えれば自然とその結論に辿り着いた。


「あの方が本気でそれを望んでいるというのであれば、わたしは身を引くことも厭いません」


 むしろ、アンリシアの気持ちとしてはレインが選ばれなくてよかったという思いがある。

 彼女が王妃になるのが嫌なのではなく、彼女が誰かの物になるのではと考えると胸が苦しくなるのだ。

 そんなアンリシアの決意に王太后は首を振る。


「そう簡単なものではないわ。それはあまりにも劇薬というもの。西の国への対処というだけで国母を魔女にするなどというのは貴族や国民の心が付いて来れません。それこそ、西の国のような大きな試練でもなければ。人の心は移ろいやすいけれど、移ろうにはちゃんと理由があるものなのよ」

「それでは?」

「本来ならばリヒターを宥めるべきなのですが、この件に関してはあの子の執念も関係しています」

「……執念、ですか?」

「ええそうです。……そうですね。まだ早いかもしれませんが、あなたならば問題はないでしょう。付いてきなさい」

「はい」


 王太后に導かれアンリシアは離宮を出た。


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