喪失した姓名判断

ショウセツカキドリ

前編

 薄暗く、どんよりとした空模様で今にも雨が降り出しそうな夜の事だった。

その日はどういう風の吹きまわしか、仕事が終わり次第直帰するいつものルーティンとは違う事をしてみたくなったのだ。折しも妻が妊娠中で当たりが強い時期と言う事も関係していたのかもしれない。私は家に帰りたくない理由を探していたのだろう。


電車を途中で降りて飲み屋街をぶらぶらしながら、二軒目はどこに入ろうか物色をしていた時のことだった。丁度店の中から出て来た男と目が合って声をかけられた。


「おお!久しぶりじゃないか!どうしたんだ、珍しい。」


声の主は学生時代の旧友だった。随分長いこと連絡を取っていない割に顔立ちはあまり変わっておらず、くたびれたスーツ姿で年齢を感じさせていた。赤らんだ顔とぷうん、とした酒の匂いを身に纏っており、彼が酔っ払っている事は火を見るより明らかだった。


「久しぶりだなぁ、最後に連絡が来たのは嫁さんの出産の報せ以来か。」


私がそう返すと微かに彼の顔が曇った。触れてはならない部分を踏み抜いた気がし、額を汗が一筋流れる。


「まあ、ちょっとな…今から付き合えるか?」


困ったような顔を一瞬浮かべながら地面を向いて呟く彼を見て、地雷を踏み抜いてしまった罪悪感もあり誘いに乗る事を決めた。家に帰れない都合が出来た事は仕方がない、と自分に言い訳をしながら。


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「まあ、そういう訳でな…」


彼の子供が事故で亡くなり、それが原因で妻と別れたと言う暗く重い愚痴を酒の席で聞かされながら、私は彼が落ちぶれた様子だった理由に一人納得していた。


「もう夜も遅いしそろそろ出よう。」


やけになって酒を煽る彼を引き止めて勘定を済ませ外に出た時の事だった。店を出てすぐに煌々と光る姓名判断の文字が私たちの目に入った。


「姓名判断か…」


赤らんだ顔で酒臭い息を吐き出しながら彼がそう呟いた。


「気になるか?やっていく?」


首が外れそうな勢いで彼は頷きふらふらとした足取りで易者の元へと向かった。


「こんばんはー、ここって姓名判断してもらえるって本当ですかぁ?」


「はい、承っておりますよ。」


不躾な態度だな、と思ったが酔った頭ではうまく彼を止めれる気が起きない。

易者は眉を動かさずに淡々と答えた。おそらくこの手の客には慣れているのだろう。


「そうなんですか、じゃあ…」


そこまで言いかけてから彼は少し考えこむ素振りを見せた。何を考えているんだ、名前を占ってもらうだけじゃないかと言いかけた所で、彼が胸ポケットから出したのは先程見せられた彼の子供の写真だった。


「俺の子供の寿命を占ってくれます?」


思わず息をのむ私に気付かないのか、彼はそのまま易者に子供の写真を渡し、子供の名前を占う様に言い出した。易者も私の反応に気付かないのか、そのまま慣れた手つきで筮竹をパラパラと動かし始めた。何かしてはいけない事をしている感覚に陥りながらも私は易者の手の動きを見続けていた。


20分も経っただろうか。

相変わらず易者の手つきは休まる事は無かった。

席に座り込んで待たされている彼も酒が回っているせいかだんだん落ち着きがなくなっており、苛々している態度が隣の私にも伝わってくる。


「あの、まだ時間かかります?」


苛立ちを隠せない声で彼が声をかけるも易者は黙々と手を動かしている。その時、私は易者の手元の動きが先程見た動きと同じ行動をしているように見えた。


「あの」


「もう一回やります。」


易者はその細い体から出るとは思えない力強く大きい、しかししゃがれた声で、彼の言葉を遮った。ただ物ではない雰囲気に、まさかバレたのかと私も彼も気圧され、つい頷いた。

何回か同じような動きを手元で行った後易者はようやく手を止めた。


「お子さんは元気ですか。」


私は酔いが醒めていくのを感じた。いや、これは酔いが醒めるのではない。血の気が引いていっているのだ。思わず隣の彼を見ると彼はより強く狼狽していた。


「元気に決まっているだろう、失礼だな。」


虚勢を張るかのように強く言い返す彼に、怖じ気づく事無く易者は淡々と質問を続けた。


「そうですか…本当に、元気なんですね。」


「元気だと何か困るのか。」


悪戯がバレた感覚ではない、もっと別の嫌な感覚。開けてはいけない箱を開けて中に蟲が蠢いている様な悍ましい感覚がそこにあった。

易者は顔を歪ませて眉を顰めつつも意を決したかのように口を開いた。


「どうやってもお子さんは〇歳の時に何か大きな事故に当て亡くなってしまう、と出てしまうのです。私の腕が悪いのかもしれません。ただ、それでもお子さんのその後が私には分からないのです。」


易者は私達の方を見て一呼吸おいて絞り出すかのように呟いた。


「もう、その年齢を過ぎてしまったと言う事はお子さんは元気なのですね、大事にしてあげてください。」


易者の言葉が終わるや否や、彼は耳を塞ぐかのように、勘定もせず席を立ちあがり飛び出した。


その後、彼とは連絡が取れた試しはない。

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