第25話 シーラの研究室(上)
「前から思ってたけど、ネムが作るオムレツの方が美味しそう」
「そうか? 具だくさんってだけの話だろ」
「そうかも。あたしが作るのプレーンなのばっかりだもんね」
「お前が作るやつなら、チーズ入ってるのが旨い。あとキノコの刻んだのとパセリをバターで炒めたのが入ってるやつ」
「あれね、あたしの自信作なの。良いキノコが買えたときしか作れないんだ。何と言っても鮮度が命だから! ……でもやっぱりネムの作ったものの方が美味しそうなんだよなあ」
フライパンの上で綺麗に丸まってゆく黄金色のオムレツを見てぼやくと、ネムは苦笑しながら皿を持ってこいと言った。
オムレツには細かく刻んだソーセージとズッキーニ、それからトマトが入っている。
「師匠の分、取っといた方がいいかな」
「卵料理は温め直すと美味しくないよ。それにいつ帰って来るか分からないし」
大きな白い平皿に、オムレツと黒パン、サワークリームに余ったトマトを乗せてテーブルに並べる。ネムはコーヒー派であたしは紅茶派だ。
いつからか、お皿を二枚しか出さない朝食に慣れてしまった。
瑠依さんは出張に出ている。セプ・ルクルムの一件からこっち、過労死するのではないかと思うほどに忙しい。帰る日も分からないので、朝お腹を空かせて帰ってくることもあれば、夜中に半分眠った状態で倒れ込んでいる日もある。
「今は神性殺しの人たちと全国行脚なんだっけ」
「図書館だの森だのを巡ってるらしい。繁茂してる場所に行ってるよって言ってたけど、どういう意味だろうな」
「さあ……?」
あたしたちの怪我は快方に向かいつつあった。手を上げると傷口がひきつれて少し痛むが、ほとんど治っている。
だから心配なのは瑠依さんの方だ。食べるものは食べているらしいが、女の子とデートできていないだろうし、ちゃんとお風呂に入れているかも怪しい。
「まあでも、ミス・アルカディアが一緒だもんね」
何と言っても昔の恋人が一緒なのだ。あたしたちが何くれと心配するほどのこともない。それにもしかしたら、今回の行脚が奏功して、よりを戻すかも知れないし。だって瑠依さんが今でもミス・アルカディアのことが好きなら、別れる理由なんてないと思うんだけど。でもでも、ミス・アルカディアは瑠依さんのいわば人質のようなかたちで大使になったわけで、その経緯を考えるともう好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではなくなるんだろうなあ。
あたしはその辺りが気になって仕方がないのだが、ネムは師匠の恋人関係にはまるで興味がないらしい。喋り甲斐のない男である。
ネムは食べ物を手早く口の中に押し込むと、さっさと立ち上がった。流しに食器を置いて、一気にコーヒーを飲みほす。最近ようやくあたしを待つということを覚えたようだったけれど、それも五分か十分程度のことだ。早く食べ終わらないと、散歩を急く犬みたいにまだかまだかと尋ねてくるに決まっている。
「終わったか? 終わったなよし行こう」
「待ってってば、戸締りしなきゃ!」
トキワ事務所のプレートを「closed」にひっくり返してから、あたしたちは出かけた。
このところは自動文様展開盤の修理もせずに、王宮庭園に入り浸っている。冬に差し掛かり、いよいよ寒くなってきたせいか、川べりの冷たい風を避けたいカップルたちが多く見受けられる。
「あたしたちもカップルに見えるかな」
と言ったらネムに鼻で笑われたので、ふくらはぎを蹴ってやった。
元々この王宮庭園は、百年ほど前に開催された万博の名残の建物らしい。ロンドンにおけるクリスタル・パレスのようなもので、アルハンゲリスクの象徴ともいえる建物なんだそうだ。
誰が持ち主かと言えば無論この国の王様になるが、実質上の管理はアルハンゲリスク市が行っている。ミネルヴァができてからこの街に要人が訪れたことはなく、従って今の王様も前の王様もその前の王様も、王宮庭園に足を踏み入れたことはない。
庭園の名の通り、迷宮を模した植物園があるばかりでなく、カフェや名立たる名画のレプリカが飾られた美術館も併設している。神性生物対策班の別館という扱いにもなっているらしく、会議室だの応接室だのもあるんだそうだ。
なんというか、持ち主が来ないのを良いことに好き勝手やっているといった印象だ。だだっ広い室内で一日中遊べるということから、掃いて捨てるほどカップルが押し寄せてくるのだとシーラが言っていた。
一方で、名目上は王様の持ち物である為か、権威を重んじる団体がよく使ったりもするそうだ。具体的に言うと十三門閥の人たちである。別にこんなカップルの聖地みたいな場所で物々しい会議なんてやらなくてもいいのではと思うが、まあ、そういう用途でも使われるとのこと。
そしてどうやら今日は「そういう用途」で使われるらしい。
裏口から入ってIDをかざせば、植物園を模したシーラの仕事場にノンストップで行くことができるのだが、今日に限って足止めされた。
「何かあるんですか」
「十三門閥の定例会議があるようで。ちょっと待っていて下さいね」
顔見知りの警備員がさらりと言う。定例会議。
「定例会議ぃ? どうせ仰々しい言葉で、どうでもいいことをこねくりまわして時間を稼ぐやつだろ」
「別にここでやらなくてもいいのにね」
「自分たちの権威を示したいだけだろ。やることがいちいち厭味ったらしい」
アルハンゲリスクという要所に居を構えるということは、十三門閥の人たちにとっては名誉欲を大いに刺激されることらしい。だからだろうか、遠くに見える術士たちは装飾品をたくさん着けていて、ひどく気取っているように見えた。
彼らを見送ってからあたしたちも中に入る。いつも通りの手荷物検査を終えてそれぞれの場所へ向かう。
「じゃ、またあとでね」
「ああ」
ネムは神性殺しの訓練場へ、あたしはシーラの仕事場へ。
*
シーラの仕事を一言で言うならば研究者というやつらしい。彼女の部屋には物が溢れかえり、
植物園を模したインテリアは彼女の部屋をも浸食しているらしく、天井の高い巨大な部屋にはたくさんの鉢植えが並べられてあった。部屋に水路こそ流れていないが、中央にあたしの背丈くらいの噴水が設えられてある。
ここでフルーツポンチとかサングリアを流すと美味しくて楽しい、と言っていたような気もするが、聞き間違いだろう。
据え付けの本棚には、本以外にも肥料だの重たい記念品だのやりかけの編み物だの猫のミイラだのが放り込まれていて、シーラの混沌とした人となりを思わせる。干からびた魚と山羊の角を繋ぎ合わせたような気味の悪いオブジェなんかもあったりして、この人の研究分野に一抹の不安さえ覚えるほどだ。
いつものように重厚な扉にIDをかざして、開錠されたことを確認してから部屋に入り込む。扉の真正面にあるのは巨大な艶っぽいマホガニーのワークデスクだ。そしてその大きな高機能チェアに埋もれるようにして座っているのはシーラ、ではなく。
「チップ! 来てたの」
「おう、ミルカ」
へらりと笑ってチップが片手を上げる。彼は最近よくアルハンゲリスクに通っていた。最初に見かけたときは伸ばしっぱなしのひげがすごかったけれど、綺麗に剃り落している。ひげがないと二十代後半くらいに見える、と言ったらほんとうに二十代後半なんだよと怒られた。
彼の後ろからひょっこりと一頭のロカンポールが顔を出す。ベータだ。ロカンポールの個体の区別はつかないけれど、彼だけは何となく分かる。大きいし、目の間隔が他のよりもちょっと近いのだ。
ベータ、と呼べば彼はそっと近づいて体を寄せてきた。そしてすぐにチップの後ろに下がる。素っ気ないけれど、犬猫の類ではないのだから仕方がない。
「仕事で来てるの? シーラは?」
「アルカディアの妹の方はコーヒー買いに行ってるぜ。オレが来たのはセプ・ルクルムが居心地悪くなってきちまったから」
「居心地悪く? なんで」
「十三門閥の奴らが入って来たんだよ」
チップは落ちていたガムを踏んづけたような顔をしている。無理もない、十三門閥と”ガーデナー”はあんまり仲が良くない。
そもそも一部職域が被っている。十三門閥は、開祖たる王族の為にその身を捧げることを誓い、魔術を以てこの国の永遠の繁栄の礎となることを目標としている。
対する”ガーデナー”は、元々一般市民の間から生まれたものだ。森と人間の仲を取り持つ、術士ではないものの、魔術を操って日々の生活に資する人々。
王族は狩猟やキノコ狩りを楽しむのが常だし、夏は避暑目的で田舎にある別荘に行くのが常だから、森は特別な場所である。ほんとうはそこも押さえておきたいというのが十三門閥の意図するところなんだろう。
「でも森はああいう金気臭い人間を嫌う」
「うーん……。特殊な場だもんね」
チップは道端に落ちていたガムを踏んづけるのは嫌だろうが、森に落ちているロカンポールの糞を踏んづけることには何らのためらいもないだろう。むしろ踏んづけたあと、彼らの健康を喜ぶくらいのことはするかもしれない。
森が受け入れるのはそういう人間だ。社会的な価値観からは少し外れた者。隠棲者と言ってはいささか言葉が強すぎるだろうが、孤独に没頭し、静けさに耳を傾けられる人間の方が森と馴染むのだ。
「でもどうして十三門閥の人たちが?」
「それは……」
言いかけたところでシーラが部屋に入ってくる。コーヒーショップの紙袋から次々とカップを取り出しながら、
「ミルカはカフェラテ、私はカプチーノ、君はアメリカンだったね。どうぞ」
「わ、いいの? ありがとう」
「無論だとも!」
にっこり笑ってシーラは砂糖の袋を三つくれた。あたしが甘党なことはとっくにばれている。
チップは紙コップに口をつけたかと思うと、物凄い渋面でシーラを睨んだ。
「おい、おい妹の方。えらく苦いんだがこいつは何だ?」
「え? ああ、馬鹿だな君、お湯を入れてないじゃないか」
「湯? こっちのカップに入ってる?」
「そうだよ、アメリカンだろう? エスプレッソをお湯で薄めて飲むんだよ」
「聞いたことねえぞそんなの」
「ま、君が求める味にはなるだろうよ。もともとアメリカンコーヒーは薄いコーヒーという意味ではなく、浅煎りのコーヒーという意味らしいがね」
疑惑たっぷりにお湯を加えて飲んでみるチップ。その表情を見るに、ちゃんとアメリカンになっているようだ。
「うーん、信じられん」
「私としてはそんなシャビシャビのコーヒーを飲む方が信じられんが。浅煎りだの深煎りだのと試行錯誤を凝らしているバリスタが気の毒になってくる」
「うるせえな、コーヒーなんてカフェインが入ってて体が暖まりゃいいんだよ」
「愛すべき愚直な開拓者の物言いだな、チップ・ウォルター?」
「うるせえ、お前の出身がオレんとこの元宗主国だからって、調子乗ってんなよ」
「うふふ。ああそう言えばミルカ、下でヴィヴィに会ったよ」
「ミス・アルカディア? てことは瑠依さんも?」
「ああ。三徹後の私みたいな顔をしていたが、何でもこれから出張報告会らしい。十三門閥がくちばし突っ込んできそうな展開だ」
そうだ、十三門閥と言えばさっきチップが何か言いかけていた。
「なんでセプ・ルクルムに十三門閥が?」
「ロカンポールのせいだ」
「チップ。物事は常に正確に伝えるべきだ。ロカンポールを改造した君のせいだろう」
「改造!?」
穏やかな話ではなさそうだ。チップは悪びれずに頷いて、
「言っとくけど連中の習性はいじってねえぞ。オレはただロカンポールに音響魔術展開のギミックを仕込んだだけだ」
「音響魔術展開」
「簡単に言うなら、舌打ちとか唸り声とか、そういうので魔術を展開できるようにしたっつーことだ。ロカンポールは元々魔狼とも互角にやりあえるだけのポテンシャルがあるからな、簡易的にでも魔術が展開できれば強くなんだろ」
そう言ってベータを撫でる手は優しい。シーラは早口で、
「使用可能な魔術は? どこにギミックを仕込む? それはロカンポールの意思で展開可能なのか?」
「そう焦るほどの魔術は展開できねえよ。今できるのは自分たちの肉体強化だけだ。具体的に言うなら、噛みつく力を大きくするとか、逃げ足を早くするとか、その程度だな。連中がまだ赤ん坊で、巣からも出られねえうちにオレが文様を仕込んだ。心臓に」
「ははん、なるほど。で、彼らは魔術を使いこなしているのかね」
「みたいだぜ。魔術を使える個体が、使えない別の仲間に対して、肉体強化の魔術を使った例もある」
「賢い連中だ! ああ、そのおかげで、ミルカとそのベータは神性獣から逃げ切れたということだろうか」
「そういうことになんだろうな。個体差はあるがこいつは魔術を効果的に使うのが上手い。逃げるだけなら半日でも逃げられんだろうよ」
神性獣から逃げ切ってくれたベータたち。彼らが冷静に走り続けてくれたのは、彼ら自身が展開した魔術のおかげでもあったのだろう。
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