第17話 闇夜の戦闘
サイのわりに身軽なステップを刻むその神性獣は、くるりと振り向いてその鞭のような尾を振り上げる。
あたしの右手が唸る。描画するのは蓮花文様。
バチンと派手な音を立てて尾を弾き返す。羊皮紙は灰になって消えて行った。右手がじんじん痺れるのは、あの尾が予想以上の威力を秘めていたことの証左だ。
だが神性獣の動きは止まらない。弾かれても怯まずに腹側からネムへと突っ込んでゆく。
あたしも防御魔術を展開するけれど、この短時間で展開しうる程度の防御なぞ神性獣は容易く食い破る。
間に合わない。
ネムが神性獣の突進を受け止める。彼の
「神性殺しはまだなんですか!」
「ビーコンは出てる、あとは彼らの足に期待しよう!」
瑠依さんはネムを追って無防備になっている神性獣に走り寄るが、兎に似た方の個体が突っ込んできた。あたしは左手で描画していた、もう少し強度の高い防御魔術を展開する。
複式蓮花文様――。文様を二重に描画したもので、一つ一つの文様では意味をなさないが、二つ重ねて初めて蓮花文様に見える。単式の蓮花文様より描画に時間はかかるが、強度は増している。
それを兎の足元に放てば、狙い通りにバランスを崩して転んだ。
「ナイス!」
叫びながら瑠依さんがサイの方の個体に触れる。その腕がじわじわと黒ずみ、闇夜に同化してゆく。夜陰に引きずられてゆく色彩を、ネムの槍が一刀のもとにねじ伏せた。
ひらめく緋色が目にもとまらぬ速さで神性獣の足を切り刻む。
「でっけぇな! 心臓どこだよ、オイ!」
足元を集中的に狙われてバランスを崩した神性獣が、前のめりに倒れる。ネムは槍をぐんと地面に突き立てると、背中に差していた刃物二本を逆手に持ち、神性獣の首に突き刺した。
けれど皮膚が分厚すぎて貫通しない。痛みに喘ぐ神性獣がごおう、ごううと洗濯機みたいな音を立てて吼える。
もう一体の神性獣が甲高い悲鳴を上げながらこちらに突進してくる。別に仲間を救おうとかそういうのではない。同種の断末魔に反応しているだけの話だ。
「ネム、いったん下がれ!」
「うわっ、たっ」
ネムは槍を拾い上げると、ひらりと身を翻してこちらに駆け戻ってくる。兎に似た神性獣は、首に刃物を突き立てられた神性獣にぶつかっていった。そのまま相討ちになってくれないかなと密かに期待するが、そこまで阿呆でもないらしい。
仲間の首元に突き刺さった刃を器用に抜き取った神性獣が、ぎろりとあたしの方をねめつける。いつ突っ込んでこられてもいいように、左手で複式蓮花文様を展開し続ける。
サイに似た方の神性獣がゆっくりと鎌首をもたげる。刹那、その眉間に赤い槍が突き刺さった。神性獣は不機嫌そうに咆哮し、前足でそれを取ろうともがく。
「チッ、皮膚が分厚すぎる」
ネムの
「それより、武器を投げちゃったら……!」
「問題ねぇよ。投げて外れたら回収するだけのことだ」
ふんと鼻を鳴らしたネムは、神性を失って鈍い灰色へと姿を変じ始めている獣に向かってゆく。猟犬のような体さばきに見惚れていると、瑠依さんが携帯を覗き込んで眉をひそめた。
「神性獣がもう一体接近してきている。神性殺しが補足しているから問題はないと思うけれど――」
言いかけた時だった。隣の橋にもんどりうって現れたのは、体のあちこちに槍を突き立てられた神性獣だ。狼のような毛を、金と紺が混ざったような体液で濡らしている。
神性獣たちは四人がかりであれを追いかけていたらしい。こっちは三人で二体なんですけど、と文句の一つも言いたくなる。
「ハッキネン!」
そっちの方に目を取られていたら集中力を欠いていた。兎のような神性獣があたしのすぐ傍まで迫っている。爛々と輝く金色の目を、こんなに近くで見る機会に恵まれるとは思わなかった。万華鏡のように姿を変えては輝く光のつぶたち。
もしかして、これがあたしの見る最後の景色になるのかも――。
そう思っていたら、左の方から突っ込まれて石畳に激しく体を打ち付けた。神性獣の尾があたしの体のすぐ上を通過してゆく。
バチバチっという激しい音が聞こえる。あたしの防御様式が、もろくなった羊皮紙のように崩れるのが見えた。
「瑠依さん!」
「ごめん、思いっきり突っ込んじゃったね」
痛みに顔を歪めている。あたしは手で瑠依さんの背中を探った。
血は出ていない。けれどコートのところがかなり毛羽立って削れている。今の一撃で防御様式は崩壊した。このままでは瑠依さんが丸腰になる。
「瑠依さん、あたしの傍にいて下さい、いいですね」
「それはこっちのセリフなんだけどなあ。ぼーっとしてちゃだめだよ」
起き上がるとき背中が痛んだが、それは石畳に思い切り打ち付けたせいだ。自業自得というやつ。
あたしたちが呑気に寝転がっている間にネムは仕事を済ませていた。
サイのような神性獣の喉に赤い槍が突き立てられている。絶命しているのは明らかだった。
「師匠、怪我は……ないっすね」
彼の頬には神性獣の返り血がこびりついていた。それを乱暴に拭い取りながら、
「もう一体、いけますか」
「もちろん」
「今ので瑠依さんの防御魔術が完全に切れた。バックアップする」
「分かった」
両手に複式蓮花文様を描画する。兎の神性獣は鼻をひくつかせながらあたしたちの様子を窺っている。
跳躍した、と思った時にはもう、その金色の目は瑠依さんを捉えている。
神性獣はまっすぐ瑠依さんに突っ込んでゆくので分かりやすくて助かる。その両足に防御魔術を二重で展開してやったが、打ち破られてしまった。
だがスピードは落とすことができた。その間にネムが神性獣の前に躍り出、牙を槍で受け止める。せわしなく回転させながら勢いを殺し、引き下がったように見せかけては強く打ちかかる。
一種の舞いにも似た足さばきは、神性獣を一か所に留めることに成功していた。瑠依さんが神性獣の腹側に回って、その体に触れようとした瞬間――。
「ッ、瑠依さん!」
全く予想してこなかった場所から槍が飛んできて、あたしは複式蓮花文様をできる限りそちらに向けた。槍は攻撃箇所が狭い分、貫通力が強い。神性獣の面の攻撃に対応する為の複式蓮花文様だったので、とっさの変更が効かない。
勢いを殺し切れない。あたしは瑠依さんの前に躍り出た。
素早く展開した蓮花文様。真っすぐ向かってきた槍を弾くようにして勢いを逸らす。穂先の精緻なガラス細工が、あたしの鼻先を掠めて地面に突き刺さった。
ほんとうにすれすれのところに刺さっている。恐る恐る足元を見下ろすが、どうやらあたしの足は無事のようだった。冷や汗が首筋を伝う。
「ミルカ、ミルカ! 大丈夫かい、怪我は……ああ、顔は大丈夫だね、足は!? ああもう私の前に出るなんて、どうしてそんな馬鹿なことを」
「ちょっと!」
後ろで瑠依さんが何か言っているが、聞く気はなかった。
「何考えてんですか、邪魔しないでください!」
神性殺しが四人も雁首揃えて誤投とは何たる無様か。しかも危うく身内を怪我させるところだった!
「こっちは神性獣で手一杯なんですよ、味方のポンコツまで面倒見られるほど器用じゃないんです!」
抗議するも、神性殺しの彼らはにやにや笑ってこっちを見ているだけだ。いくら緊急時とは言え謝罪の気配もないとはどういう了見か。槍へし折ってやろうか。
「このノーコン!」
中指立てて叫んでやれば初めて彼らがむっとした表情になった。ざまあみろ。
「ミルカ! 止めなさい、どうしてそんな下品なことを」
「だって、意図的でした!」
そう、今のはわざとだった。
だって神性獣を攻撃したいなら、こっちの方面に槍を投げる必要なんかまったくない。結構な勢いで投擲されたこれが瑠依さんに当たっていたら、ほんとうに死んでいたかもしれないのに。
けれど彼らに反省の色はまるでない。むしろ瑠依さんに当たらなかったことを残念がっているふしもある。
「ハッキネン、連中は後回しで頼む!」
ネムが押し殺した声で叫ぶ。見れば彼は神性獣の太い脚に胸を踏まれて身動きが取れなくなっていた。
慌てて防御魔術を展開する。注意を引くように足元に展開すれば、神性獣はこちらに牙を向けた。その隙にネムが神性獣の下から這い出て、槍を構えなおす。
「神性簒奪者なんか味方でも何でもねえよ」
神性殺しの誰かが聞えよがしに言う。向こうは四人がかりで一体の神性獣なので、おしゃべりする余裕があるようだ。結構なことで。
「犯罪者のくせに、ネームレスなんか従えて」
「負け犬が傷を舐めあってるだけだろ」
犯罪者。それはつまり――大使殺しのことだろうか。ネームレスって、負け犬って?
いや違う、今はそんなことを考えている暇はない。目の前の神性獣を倒さなければ、やられる。
あたしは頭を振って再び文様を描画し始める。ネムがすらりと抜き放った銀の銃が、闇夜に底光りしていた。
*
それから三十分後に神性獣の駆逐が完了した。
「ミルカ」
ちょっと来なさい、と手招きする瑠依さんの顔は険しい。
「次に神性獣と交戦する時があっても、絶対に私の前に出たらだめだよ」
「え? ああ、さっきの……。だってあのままじゃ瑠依さん、直撃して怪我してたかもしれないんですよ。あたしの防御魔術は剥げちゃってて、機能してませんでしたし」
「それはそうだけれど、あんな場所に立ったらきみに当たっていたかもしれない」
「でしょうね」
そう答えれば瑠依さんは苛立ったように首を振って、
「でしょうね、じゃなくて。何かあってからでは遅いんだ。……それに、神性殺しの彼らに喧嘩を売るのもやめた方がいい」
「別に喧嘩を売ったつもりはありません。ふざけた真似をされたのでやり返しただけです」
「だからその、やり返すってのがね、問題なんだよ」
どうしてですか。瑠依さんが大使を殺したことと何か、関係があるんですか。
聞きたくてたまらなかったけれど、聞く勇気が出なかった。そうだよ、と言われたらどうすればいいのか分からなかった。
「ミルカ。私はほんとうに怒っているんだからね。次私の前に出るような真似をしたら、もう神性獣のいる現場には連れてこない」
「なっ」
大体あたしの仕事は瑠依さんを守ることだ。その職務を果たしただけなのに、どうしてこんなに怒られなくちゃいけないんだろう。
「どうしてですか!」
「だってきみはすぐ無茶をする! 魔狼が出た時だって、中にいなさいと言ったのに外に出てきてしまうし、今日だってぼーっとして危ない目にあってたじゃないか」
よそ見をしていたことは否定しないが、無茶をした覚えはない。
食い下がろうと口を開いたけれど、瑠依さんはそれ以上のやり取りを許さなかった。彼はやってきた神性殺しの人たちに、フラットな口調で状況の説明を始めてしまった。
言いたいことはたくさんあるのに、吐き出せないもどかしさでむずむずする。
槍の始末を終えたネムがあたしの隣に並んだ。
「ネム。……今日、あたし、上手くやったよね?」
尋ねればネムは呆れたように、
「よそ見が多い、油断が多い、魔術の展開に無駄が多い。及第点ぎりぎりってとこだな」
「えー……」
褒めてもらいたいわけではなかったけれど、こうも辛口ではしょんぼりする。
「けど、あいつらに言い返したのは最高だった」
そう言ったネムがにんまりと意地悪く笑っていたので、あたしもつられて口の端を緩めた。
時間を見ればまだ朝の五時にもなっていない。朝日はまだ遠く、コートの裾から入り込む冷気にふるりと身を震わせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます