第十一章

「在宅ワークを依頼された その1」 2020年9月27日

前職場から仕事を受けることになって、もう少ししたら在宅ワークをすることになる。

データを集めてまとめるっていう単純作業な仕事なのだけど、基本的な知識や多少の専門用語を英語で理解できる程度の能力があると良い、ということで白羽の矢が立ち、相談され、受けうることにした。

実は、びびっている。上手くできるんだろうか?求められている完成度に達することができるだろうか?それは大変なんじゃないだろうか?色々と負の妄想は膨らみ、怖気付いている。


そんなおり、幼稚園の卒園ママたちとお茶会をしていて、仕事の話題が出てきた。一番下の子どもが小学生になり、パートでもしますかーという段階にあるママが多く、ある意味ホットな話題である。実際、6人中3人が働いていたり近々働くことになっていたりした。

で、その時の会話で、すでに働き始めていたママが、他のママを仕事仲間として勧誘していた。誘われたママは、「私なんてなんの経験もないし不安だよ」というようなことを言ったのだけど、働き始めたママは、「私だって不安だらけだったよ」と言っていた。

そのママは、バイタリティの塊みたいなイメージのママだったから、そんなもの(不安)とは無縁だと勝手に想像していたのだが、そのママでも不安に思うんだ、と妙に安心してしまった。

お金をもらったり、責任を果たさなきゃいけない状況になるってことは、不安だよね、ってそれを吐露できる友人がいることは幸せだなとも感じた。

兎にも角にも、不安に思って当然だって思えたことがとても自分の助けになったのだった。みんな何かを探し求めて人生を進めていくわけだ。


そして、再び(何回目だ!?)考えたことだが、やはり研究というのは自分の性に合ってなかったのかもしれない。

何年か前に祖母の葬儀で叔父に言われた言葉で、僕はDedicateタイプだったんだなと知り、妙に納得したことがあった。Dedicate、つまり、誰かの役に立つことで幸せになったりモチベーションになったりする人間らしい。研究というのは、セルフモチベーションがかなり大事で、何かに成功した自分の姿みたいのが目標となり、モチベーションとしている人が結構多いと思う。何かを明らかにしたり、解決したりっていう気高いモチベーションも当然あるだろうが、成功を勝ち取るというのが、その裏にはあるのだと思う。

僕の場合は、誰かの役に立っているという感覚が大事で、成功した自分自身というものがモチベーションにはならないということを、あらためて感じた。

今回仕事を依頼してくれた大学の先輩は、事あるごとにモチベーションをくれた。ほら、お前できたじゃん、すげえじゃん!という感じで。学生の頃には、そこからモチベーションを得ていた。でも今の僕は、自分がすごいことよりも、誰かの何かの役に立っていることの方がモチベーションになっている。家族ができたり、力を注ぐ方向が変わったことも大きいのだろうけど、いずれにしろ、研究に対するモチベーションを長く保つことは難しかったのだろうな。

なんにしろ、今のこんな自分は学生の頃には想像できなかったな。経験してみないとわからないものだな。まさか幼稚園の父母の会活動で、メンバーが気持ちよくそれぞれの特技を生かして活き活きできるように、根回ししたり、下支えしたりすることで喜びを感じているとは。

一応、腹は座ったところで、これから仕事が始まる。


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