第27話 孤絶
割れた小窓から廊下を覗く。しん、という音が聞こえそうなほどに静かな暗闇が広がっている。
凄惨な事件のあととはいえ、元より疲弊しきった精神では心身の昂りも長くは続かない。緊張の糸が切れ次第、落ちるように眠りへと誘われる。
「荒事は茨戸に任せるつもりだったけど、皆は武器持ってる?」
小声で問いながら、和泉はポケットからバタフライナイフを取り出した。
「それって、持ってちゃいけないやつじゃなかったっけ……?」
「今は持ってないといけない状況だから」
「答えになってなーい……」
バタフライナイフは有害玩具に指定され、未成年の購入、所持は条例によって規制されている。
有害玩具は他にスタンガンやクロスボウなどが分類され、場合によっては重篤な負傷を負わせるものである。それゆえ、正当な理由がなければ所持すべきでないとされている。
和泉はこれを一度も使ったことはないが、万が一のことを考え、懐に忍ばせているのだ。
「僕は催涙スプレーとスタンガン」
和泉の次は、治日がバッグから漁り出してきたそれらを披露する。
催涙スプレーは手のひらサイズの小さな黒い缶のもので、スタンガンもコンパクトなサイズだった。
「ええ……。平和な世界に生きてるのあたしだけ……?」
「クスリ売ってたからね。たまに変な奴も買いに来てたから」
「それでも売り続けるハルちんの胆力が凄いんだけど」
二人が自前の武装を紹介したところで、視線は真尋に集まる。
「いや、持ってないから!」
真尋は小声で叫んだ。器用なことをする。
「念のためにスタンガン渡しておくね」
「えー、あたしスプレーがいいなあ。スタンガンって近づかないとダメじゃん」
「
「そうなん?」
「そうだよ」
「じゃあいいや、スタンガンで」
治日の持っている催涙スプレーの容量は少ないので、相手に当てることに苦戦すれば、瞬く間に空になるだろう。かといって、スタンガンは直接当てなければならないので、使用難易度でいえばそれほど変わらないのではなかろうか。
当然だが、これらを使用せざるを得ない状況にならないのが一番だ。
「じゃあ武器も持ったし、そろそろ行こっか」
和泉の呼びかけに、二人は無言の頷きで答える。
音を立てずにそっとドアを開ける。足音を消すためにも、廊下を歩く間は靴は手に持った。
細心の注意を払うまでもなく、あっけなく誰からも見つからずに目的地までたどり着いた。
白くのっぺりとした、冷ややかなドア。この一枚のドアが閉塞感の象徴となり、逃げようとする考えを削いでいたのだ。
だがそれも今、開けられる。
和泉はポケットから鍵を出し、極力音がしないようにゆっくりと回す。それでもガチャリという音は否応なく鳴り、廊下を漂っていった。
鍵が開いたことに誰か気付いたかどうかを確認する暇はない。和泉は静かに、そして迅速にドアを開けると、靴を履きながら玄関扉を目指した。
エントランスでは、椅子と縄を足元灯が不気味に浮かび上がらせている。職員たちは首吊りが健全の証だと放言していたが、和泉たちにとってはただの地獄への門であった。
玄関扉をもう一度確認する。やはり鍵は掛かっていない。隙間から月明りと冬の冷たい空気を細く漏らしているだけである。
「ホントだ、鍵とかなんもないじゃん」
「ふざけてんのかな、この施設」
実際に見るまで半信半疑だった真尋たちも、この事実に驚きを隠せないでいた。
だが同時に、とんとん拍子に外に出られることに不安も感じていた。
「開けるよ」
和泉がドアを押すと、手応えもないほどすんなりと開いた。そのあっけなさに、かえって不安が加速していく。とはいえ、ここで怖気づいて引き返すという選択肢はない。
外に出ると、満月に近い月齢の月があたり一帯を照らしていた。周囲には木々に覆われた山がそびえており、真正面には道路と、その先に山を穿つトンネルがあった。
道路が利用されるときにしか灯らないのか、等間隔に並ぶ道路照明は沈黙している。トンネル内も同じで、中には深淵が満ちている。その深淵の中心に微かに光の点が見えるが、向こう側までどれほどの距離なのか把握できない。
道路はおろか、トンネルはさらに逃げ道がない。周囲に監視者がおらずとも、トンネルを通っていく選択肢はなかった。
和泉たちは道路を外れ、生い茂った草木の中へと入っていく。
鼻奥がつんとするような冷たさと、草木と湿った落ち葉のにおいが鼻を通り抜けて息がしづらい。
「とりあえず真っ直ぐ山を登っていくよ」
「りょうかーい」
「うん」
気の抜けた返事であったが、その目には逃げようという確固たる意志が
整備されていない山中を歩くのはそもそも困難で、そのうえ月明りしか頼りにできるものがない。和泉たちは何度も草や木の根に足を取られ、転びかける。危険な野生動物とは遭遇せず、冬場で虫がいないことだけが救いだった。
歩き始めて間もないというのに、上着を脱ぎたくなるほど体が熱くなってくる。久々に運動らしい運動をしたというのもあるが、このまま逃げられるかもという期待が三人の体に熱を入れた。
そんな折、真尋が弱音を吐く。
「ねえ、ちょっと坂つらくない?」
「うん。さっきからどんどん傾斜がきつくなってる。でも、登れないほどじゃない」
「そうかもだけど、流石にこれは……」
山の斜面は進んでいくにつれ反り返り、傾斜を大きくしていっている。山登りの経験が乏しい三人にとって、登山道がない登山というのは過酷な苦行そのものだった。
足は土にまみれ、手や顔は木の枝が引っ掛かり小さな傷がいくつもできていた。
それでも三人は前へと進む。
「ねえ、ここから逃げれたらどうすんの?」
「それは成り行きに任せるしかないよ。真尋がパソコン使って泊めてくれる人探すか、治日のツテを頼るか」
「僕のツテなんてろくでもないとこしかないよ」
「分かってる」
「ちょっと待って、泊めてくれる人ってことは……やっぱり見返りにそういうこと求められるってことだよね……?」
「そうなるだろうね」
逃げられることが現実味を帯びてきてようやく、逃げた先のことが二人の意識にのぼってきた。
暗く、表を歩けない人生。
「でも、生きていられる。二人はあのままあそこにいて、自殺しない自信がある?」
和泉は半ば確信していた。卒業生代表であった杉方は、唯一の生き残りであったということに。「生き残り」とは正確には、「無事に生き残っている者」という意味だ。
『生き残り』でない者は首を吊って生を断つほかに、何らかの実験に使われているはず。そうでなければ、病棟があそこまで充実しているはずがない。病室の数や設備だけでなく、出産に対応できる設備まで揃えられているのだ。
集められた少女たちはその傾向を見て、社会にいない方がいいと判断されるような人物だ。医学的な実験の検体として好き勝手に使っていいというのなら、いったいどのようなことに使われるのか想像もしたくない。
そうでなくとも精神的苦痛を強い、その様子を観察するという心理学的な実験に使われている可能性もあるのだ。
「ないかも。今の時点で結構つらいし……」
「僕もないね。自業自得とはいえ、説教臭い嫌がらせはごめんだよ」
「じゃあ、歩こう」
三人は山を踏みしめる足に力を入れる。徐々にきつくなっていく斜面を一歩、また一歩と着実に踏み進めて行った。
静まった夜のように三人が無言になったとき、視線の先に坂の途切れ目が見えてきた。尾根だ。そこまで登れば、辺りを見渡せる。
「あそこまで登ったら……、少し休憩しようか」
「はあ、はあ……賛成……」
「やっと、か……」
過酷な行軍を続け、三人の息は上がっていた。運動部であった和泉でさえ疲労が酷いというのに、真尋と治日はこれまで経験したことのない酷使によって、足は強張りきっている。まるで自分の足ではないかのように感覚が鈍い。
体に鞭を入れ、無理やり足を動かす。
急斜面を滑り落ちそうになりながらも、ひたすらに進み続けたそのとき、和泉の鼻がそれまでとは違うにおいを嗅ぎ取った。
――潮の香りだ。
山のにおいに混じって、海のにおいが混じっている。
ここは思ったよりも深い山中ではなく、沿岸に連なる山なのだろうか。それならトンネルが続く先はどうなっているのだろうか。
そして和泉は登り詰めた。尾根にたどり着き、その向こう側の景色が眼前に広がる。
「これって……」
その景色に、言葉が続かなかった。
「嘘でしょ……」
「最悪……」
後から追いついた二人も絶望を口にする。
目の前には海が広がっていた。目の前だけではない。視線を横に向けても、後ろに向けても海が広がっている。そして眼前遥か遠くに陸地があり、トンネルから続く道路は途中で橋になってそこへ繋がっている。
ここは山の中であり、孤島の中だったのだ。
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