第19話 スナッフフィルム
十日目、水曜日。
不安を蔓延させようという和泉の計画は、思わぬところで加速した。
授業内容が一変したのだ。
和泉が教室に入ると、真尋や治日が流した噂がすでに広まっていることが実感できた。同教室の少女らは、渋い顔でこそこそと何やら言葉を交わしている。
この日もこれまで通り残虐表現ありのいじめドキュメンタリーを見せられるのだと思って授業に臨んだが、そうではなかった。
授業開始を告げるブザーが鳴ると、担当職員の庭瀬がいつもとは違うことを言い始めた。
「今日からはこれまでとは違った趣意の動画を見てもらいます。かなり過激な動画を流しますので、苦手な方は遠慮せず途中退室して構いません。課題に関しましてはいつも通り、動画の感想文を書いてもらうことになります。何か質問がありましたら、今のうちにどうぞ」
庭瀬は微笑みながら、そう前置きした。
いじめ被害者の自殺体写真を映すのも十分過激だったが、庭瀬の口ぶりではそれ以上に残虐な表現があるようだ。
周囲がざわつく。今までの動画でも精神的負担が大きかったのか、それ以上のものを見せられると聞き、見るまでもなく気持ちが逃げ出そうとしている。
彼女たちの頭の中にはおそらく、すでに楽観的な展望はない。目を逸らし続けてきた不安が、絶望となって牙を剥こうとしているのだ。
だがそんな絶望から逃げ出すのを、和泉は回り込んで立ちふさがる。
「その動画を見ることが、心の健全に繋がっていくんですよね?」
「はい、少なくとも私たちはそう考えています。映像から何を感じ、何を考え、どのような答えを心の中で導き出すのか。そうして自分と向き合うことによって、健全な心は育っていくと思っています」
「分かりました。ありがとうございます」
和泉はにこやかに謝意を伝え、頭を下げる。
少女たちはそのやり取りを見て、余計なことを言うなと言わんばかりの鋭い視線を和泉に向ける。
内心和泉はほくそ笑んだ。計画が順調に進んでいる。
何を見せられるか分からないが、それを見なければ卒業が遠のく。そう意識させることによって、不安を加速度的に膨らませていく。噂を広めたタイミングで授業内容に変化があるとは、本当に都合がいい。
部屋が暗くなり、映像が流れ始める。
今回は再現ドラマというわけではなく、一般人が撮影したと思われるような粗雑な映像だった。スマホで撮影しているのか手ぶれが酷く、声も撮影を意識していないようで不明瞭だ。
撮影場所は日本ではないらしく、やけに早口で聞き取りづらい英語が下品な笑い声に混じってまくし立てられている。
画面中央には高校生くらいの痩せぎすで気弱そうな男子がおり、男女問わずそれを取り囲んで小突き回してる。暴行される男子は弱音も吐かず、必死に耐えていた。それが面白くないのか「なんとか言えよ」と騒ぎ立てながら、小突くのが軽い殴打に変わっていく。
それでも耐えていたのだが、最後にはペットボトルのジュースを頭から掛けられ、持っていた荷物の中身はその辺にばら撒かれた。動画はいじめ加害者一同の、品性の欠片もない爆笑で幕を閉じた。
ここまで見たが、いじめ現場という生々しさはあるものの、いじめ被害者の死体を晒すことよりは過激ではない。
そう思っているのは和泉だけではないようで、ちらりと見渡すと、肩透かしを食らったような顔をしている少女がちらほらといた。
だが次の動画が流れ始めたとき、教室の空気が張り詰めた。
今度は、先程の映像で気弱そうな男子に暴行を加えていたグループのうち、一番大柄な男が映されている。
しかもその様子は尋常ではなかった。
男は下着一枚で台に乗せられ、革のベルトで固定されているのだ。身動きが出来ずただ叫ぶしかない彼を、真横より少し上からのアングルで撮影している。
聞き取れはしないが、きっと汚い言葉を喚き散らしているのだろう。
見ていると、画面脇から別の男が姿を現した。エプロンとゴム手袋を身に着けた、小太りの男。顔にはホッケーマスクをつけており、あの有名なホラー映画を意識しているように思えた。
手には金槌が握られており、鈍色の柄頭を薄暗い天井照明がぬらりと照らしている。
和泉は何を見せられているか理解した。
これはスナッフフィルムだ。
スナッフフィルムとは、娯楽用に流通させる目的で撮影される殺人動画のことだ。スナッフフィルムは、そのほとんどがフェイクだとされているが、本物も確かに実在する。こんな場で見せられているということは、おそらくは……。
マスク男がおもむろに金槌を振り上げ、台に横たわる男の脛に、それを振り下ろした。
重いものがぶつかる音。硬いものが砕ける音。そして――。
『……、あ、あああああああッ――!』
男は自分の身に起きたことが理解できず、叫び声が出るのは一瞬の無言の後だった。
教室に男の絶叫が響き渡る。スマホなどのちゃちな撮影機材ではなく、きちんとした機材なようで、その叫びは鮮明だ。
あまりに大きく鮮烈な叫び声は、少女たちの体を硬直させる。和泉も例にもれず、音に体が反応してしまった。
和泉はそれとなく目を向けた。教室の隅、庭瀬に。
動画視聴中、庭瀬は常に自分たちのことを観察している。見られていること自体不快なのだが、それ以上に、まるで値踏みするかのように一人ひとりの顔色を窺っているのが不気味だった。
彼は残虐な動画を絶対に見ることはない。見せるだけ見せて、その反応をじっと確かめている。
この授業はどういうつもりなのだろうか、理解できない。今までは自分たちがやってきた所業を自覚させるようなものだったが、これは違う。
スナッフフィルムという悪趣味なものを見て、どう自分と向き合えというのか。
二つの動画に繋がりがあるのなら、そうと明示すべきだ。マスク男がいじめられっ子の知人あるいは親族で、これは復讐なのだ、とか。このままでは下着男が偶然狂人に捕まった場合と判別ができない。
マスク男はまるで機械のように淡々と金槌を振り上げ、もう一度振り下ろす。下着男は、悲鳴と泣き声と命乞いの混ざったよく分からない音を口から垂れ流すだけ。
両の脛が陥没し、ゆっくりと血が溢れていく。男はベルトで拘束されながらも必死にもがき、痙攣するように脚をばたつかせた。
三度目の殴打。そこで一人目の退室者が出た。
口元を抑え、何かを堪えているような表情。吐き気でも催したのだろうか。
確かにこれまでの自殺体の写真と違い、これは『映像』であり、『殺人』であり、『
それからも金槌殴打ショーは続いていく。途中でもう一人退室し、残りもスクリーンを見ている振りをしていたり、耳を塞いだりしている。
動画は全身殴打された男が事切れ、マスク男がカメラを手に取って全身を舐め回すように撮影したところで終了した。
部屋の照明がつき、その明るさに和泉は目を細める。
「これからの授業は、このような動画の視聴となります。感想文はいつも通り、今日中に回収ボックスに提出してください。短くはありますが、今日の授業はこれで終了となります。お疲れさまでした」
スクリーンの前に立つ庭瀬が授業の終わりを告げ、労ってくる。それを聞いてか、どこかでため息が漏れるのが聞こえた。
いじめドキュメンタリーと違い、一〇分かそこらの映像。何を伝えようとしていたのかはいまいち判然としなかったが、周りの反応を見るに、比較にならないほど気疲れしているようだった。
庭瀬は動画を見て何かを感じろとは言ったが、最後まで見ろとは一言も言っていない。辛いのに最後まで視聴しきるとは殊勝な心掛けだ。
卒業者が出るとすれば、途中で耐えきれなくなった者か、最後まで見届けた者か。
どちらにせよ、卒業することが外に出ることと必ずしも等号で結ばれないという考えがあれば、どう対応すればいいか分からず、じわじわと苦しめられるだろう。
これを機に、誰か自殺してくれないだろうか。
退室しながら、和泉はそう思った。
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