第59話 赤ん坊、護衛をつける

 深皿に盛られたのは、赤いわずかな水気の中に今と同様の粒々が埋もれたものだ。


「この匂いは、タートンスープか」

「はい。今の軟らかく煮たナガムギを、さらにスープで煮込んだものです」


 王太子の問いに頷いて、クヌートは皿を置く。

 タートンは『記憶』にある『トマト』とよく似た野菜だ。

 こちらはいっそう僕にも食べやすいはずなので、同じように皿を受けとる。


「ほう、確かに軟らかい。味がついてかなりうまくなっているな」

「こうすると、ナガムギの粥でよく言われる、生煮えとかダマになるとかがなくなるよう、です」

「なるほど。さっきのようにパンの代わりに食することもできるし、このように料理の具材にもできるということか」


 クヌートの説明に、王太子は頷き返す。

 ヴァルターも感心の顔になっている。


「確かに『ナガムギの粥』というのはうまくない料理の代表のように言われることがありますが、これならちゃんとした料理になりますね。何より前にも話題にしたように、ナガムギは小麦が不足した場合にそれを補う農産品として期待が持てる。ルートルフ様も、その観点でこの料理を考案されたわけでしょう?」

「ん」


 ナガムギの『蒸して潰して乾燥させる』加工は兄が製品化を進めているところだが、生産地などにはもっと直接的な調理法を紹介した方が定着しやすいと思うのだ。

 そういう生産地にも王都の料理店などにもこういう料理を広げていこう、と王太子も頷いている。


「それと、もうひとつのも、うまくいったんだね」

「はい」

「それも、ししょく」


 僕が促すと、クヌートは小さな壷の口を開いて持ってきた。

 それぞれの小皿に、どろりとした琥珀色の半液体が落とされる。

 好奇心丸出しで匙を口に運んだゲーオルクが、目を丸くした。


「何だ、こりゃ――甘い?」

「確かに、相当な甘さだね。何だい、砂糖を使ったお菓子のようなもの?」

「んん。みずあめ、という。さとう、つかっていない」

「砂糖じゃない?」

「ながむぎの、めと、ごろいもだけ」

「それでこんなに甘くなるのか?」

「ながむぎのめ、いもとかをあまくする、はたらき、ある」

「へええ、そうなのか」


 真顔で、王太子は感心している。

 そのまま料理人に目を向け、「どうやって作ったの?」と問いかけた。

 どぎまぎのまま、クヌートはつっかえながら答える。


「は、その――芽の出たナガムギを乾燥、させまして、茹でたゴロイモと混ぜます、です。それを数日おいて、絞って煮詰めた、それがそれ、であります」

「なるほど、少々時間はかかるが、本当にナガムギとゴロイモだけでできるわけだ」

「は、はい、です」


 これも産地に広めて商品化する価値があるだろう、と話がまとまる。

 満足して、王太子とゲーオルクは戻っていった。

 ミズアメもスープ煮も残りはかなりある。最初の炊いたナガムギを改めて作り、スープ煮は温め直して、昼休憩明けにベルシュマン子爵の執務室へ持ってきてくれるよう、クヌートに依頼した。

 子爵領に関係するので、宰相と父にも試食させようと思うのだ。

 加えてクヌートには、これらの加工法を筆記板に記録して持ってくるように指示する。

 ミズアメは部屋の女性陣にも味見させて、喜んでもらえた。


 この日は供にナディーネを加え、ザムに乗って父の執務室へ移動した。

 入室するザムを見て、「これが噂のオオカミか」と宰相が渋い苦笑を見せる。珍しく、息子と似た表情の反応だ。

 騎士団長は来ていない。というか、これが当然の姿だ。

 間もなくクヌートが持参のナガムギ料理が届いて、宰相と父に供する。

 感想は王太子と同様で、各産地に広める価値があるだろう、ということだ。

 僕はクヌートから加工法をまとめた書板を三枚受け取り、机を借りてヴァルターとナディーネに転記を命じた。

 それぞれ一枚は父に渡して領地で活用してもらい、一枚はこちらで持ち帰って他領地へ広める算段を練るつもりだ。

 あとは父の膝から作業場の進捗を報告し、明後日午前には荷車の完成披露予定と告げる。

 宰相は「身体が空けば見にいきたい」と言い、父は「その日は忙しい予定で見にいけそうにない」と残念がっている。

 さらに来週中にはもう一つの新製品も披露できるかもしれないと話すと、二人とも「ぜひ見せてもらいたい」ということだ。


 父との個人的な話では、侍女が二人になったことを報告する。

 父からは「もう聞いているだろうが」と断って、昨日母や兄が領地へ向けて発ったという話。

 ミリッツァはすっかり母に懐いて、ご機嫌に抱っこされて旅立ったらしい。まずは一安心だ。


「あと、例の木の枝は間もなく到着する」


 ヘンリックに鳩便を送って動いてもらったところ、村の男たちが暗くなりかけた森に入って採取に協力してくれた。

 今朝、というか夜中のうちに若い男衆に一抱え背負わせ、馬で出立させた。

 途中で馬を替えて、順調なら夕方には到着するだろう、ということだ。

 大至急と頼んだので、かなり無理をさせることになったようだ。使いの者にはくれぐれも労ってくれるよう、頼む。


 執務室に戻ると、王宮庁から連絡が入った。

 僕が執務をしている間の護衛が二名、つくことになったという。

 紹介された若い男二人は、ディーターとシャームエルと名乗った。ディーターは縦横ともにかなり大きな、黄色っぽい髪の男。シャームエルはテティスよりやや背が低いほどの体格で、赤茶色の髪をしている。

 二人とも正式には王宮内の警備員で、後宮出入口の扉番を務めていることもあるという。朝は扉前か扉番控え室で待機していて、僕が出るのに合わせて護衛につき、執務室の外に立つ。もちろん外に出る際には同行する。僕が後宮から出ないのがはっきりしている時間は、今まで通り王宮内の見回りなどの任務に就くらしい。


 二人がヴァルターやテティスと打ち合わせを終えたところで、作業場に向かうことにした。今日は、ナディーネが留守番だ。

 僕が乗ったザムの首輪の紐をディーターが握って歩く。


「本当にこいつ、何もしないんでしょうね」

「こんな、オオカミを傍にするの、初めてです」


 二人ともザムにはおっかなびっくりの様子だが、慣れてもらうしかない。

 外へ出るまでの間、当然ながら大勢の人の目に触れることになった。ザムが初お目見えということになり、かなり遠巻きに注目を浴びたが、王太子からの通達があったようで大きな騒ぎにはならなかった。

 口輪を装着させていることと、大男のディーターが紐を握っていることも、少しは安心の種になったのではないか。


 作業場へ出ていくと、荷車に取り組んでいたホルストとイルジーに絶叫を上げられた。

 騒ぎを聞きつけて小屋から出てきた六人も、口々に叫び声を上げる。


「え、え、何――オオカミ?」

「ルートルフ様、大丈夫なんですかあ?」


 叫騒を押し鎮めて、説明する。

 僕が飼っているオオカミであること。

 乗り物として、これからもしょっちゅう連れてくること。

 決して人に害することはないが、近寄って触れたりはしないように。


「そういうことかあ」

「分かりましたあ」

「分かんないけど、分かった」

「ルートルフ様のすることだもの。何があっても驚かない」


 最後のアルマの一言には、少しばかり納得のいかないものを覚えないでもないが。とりあえずも、理解していただけて幸いだ。


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