第48話 赤ん坊、読書を考える

 とりあえず書き上げた筆記盤は、クラウスに清書してもらうよう回す。

 間もなくミリッツァが昼寝から醒めたので、僕はそちらの相手に戻る。

 床上でしばらく遊んでいると、父が降りてきた。ほとんど問答無用で、赤ん坊二人抱き上げられて、ソファで父の膝に収められていた。

 そこそこ広い部屋で、テーブルを挟んで父と兄が向かい合って座る。少し離れて座った母とイズベルガ、ベティーナは編み物。テーブルの隅でヘルフリートが書類仕事。戸口の両側に護衛四人が立ち並ぶ。

 何とも表現しがたい、おそらく貴族の家の中としても異例の状況なのだろうけど、警護上の理由でしばらく前から当家の領地ではお馴染みの配置だ。

 それでもそんな状況に慣れないヘルフリートは、さすがに手元の書類を片づけ始めている。

 まだあくび混じりの眠そうな顔で、父は向かいの兄に問いかける。


「ウォルフはこの時間、何をしていたのだ」

「先にお話しした今回のいきさつの記録を、ルートと一緒にまとめていました」

「ふうむ」


 微妙な顔で、父は頷く。

 赤ん坊はもちろん、学院入学前の子どもが進んで行う作業だとは思えない、という疑問だろう。

 しかし僕にとってこれは重要な手続きだし、何よりここのところ、家に籠もる退屈を紛らすものがない。

 そんなことを兄が説明すると、父は目を瞬かせた。


「少し前は、二人で本を読んでいたようだが」

「この屋敷にある本は、読み尽くしてしまいました」

「まあ、それほど自慢できる蔵書数ではないが、全部か。ウォルフだけでなく、ルートルフも?」

「はい。一緒に読んでいましたから」

「……そうか」


 いかにも「マジかよ」とでも言いたげな顔で、父は膝上の僕に目を落とす。

 知らん顔で、僕はミリッツァと手の引っ張り合いに興じる。


――赤ん坊らしくなくて、ごめんなさい。


「子どもたちにはもっと身体を動かしてほしいが、この状況では限界があるものな。読書自体は悪いことではない。しかしもっと蔵書を増やしてやりたいが、これもなかなかすぐには叶わぬ」

「承知しております。王都でもなかなか手に入るものでないことは」

「王宮からでも、何か借りてくることなどできればいいのだが……」


 父が横に視線を向けると、その先でヘルフリートは首を捻った。


「執務領域には、専門的な書類しかありませんね。奥の王室書物庫は、当然王室関係者しか出入りできませんし。執務に必要な場合は許可を得て閲覧できるわけですが、お子様に読ませたいので貸し出し、ということが認められた例はないと思います」

「だな」

「本がそこそこ多いといえば貴族学院の図書室ですが、あそこも学生や関係者しか利用できません。我々のような卒業者なら閲覧はできますが、これも貸し出しはほぼ認められませんね」

「だったな。この冬からウォルフが入学した後なら、利用できるし貸し出しもかなり許可されることになるが」

「それは楽しみですが、領地にいるルートには読ませてあげられませんね」

「それはそうだな」

「本というものが高価で、よほど世に認められて写本されたものがある場合を除いてこの世に一冊しかない貴重なものなわけですから、しかたないですがね。ウォルフ様たちのように向学心のあるお子様に、もっと解放される道があってもいい気はしますね」


『向学心』なんて大仰な言い回しをされると、家に籠もる間の退屈しのぎ、などということを主張しづらくなってしまうわけだけど。

 それでも、この国の図書事情はもう少し改善されてもいい気はしてくる。

 言いながら、「そう言えば」とヘルフリートは少し口調を変えた。


「話を変えて申し訳ありませんが、昨日でしたか、少々腹立たしいというか、そんな話を耳にしまして」

「ほう、何だ」

「今回の病対策をいろいろ協議していた際、前回の流行時の記録がないかと、あちこちに問い合わせて空振りに終わりましたよね」

「そうだったな。これも由々しき問題だ」

「あのときは主に、医療関係者に問い合わせたわけですが。実は、別な方面でならそれらしい情報を抱えている者がいたということなのです。学院、というより大学で近代の歴史を研究している学者の中に。当時の行政担当者が私的記録目的で残した手記を知己を通して入手したとかで、行政側の対応について、そこそこ詳細に記述されていたそうです」

「何だと?」

「又聞きの話なわけですけどね、どうしてこれを現行政に伝えなかったのかと問われたその学者、『特に求められなかったから』と済まして答えていたとか」

「何ということだ」


 俯いて、父は額を掌で覆う。

 目の前に来たその肘が僕の顔にぶつかりそうで、怖い。


「邪推すればその学者、出身が反王太子派閥の貴族の家らしく、裏の事情も考えられるわけですが」

「何とも……」


 赤ん坊二人を揺すり上げ、父は大きく溜息をついた。


「貴族の派閥も学者のそれも、そうそうに変えられるものではないが。捨て置けば国の害悪になりかねぬな」

「御意、ですね」

「一男爵風情がいきり立っても、何の助けにもならぬだろうが……」


 続けての、深い溜息。

 僕の薄い髪を熱く濡らしてしまいそうな量だ。

 話が暗い方に落ちていくのを案じてか、「ああ、そうでした」と、ヘルフリートはまた口調を改めた。


「たびたび話題を変えて申し訳ありませんが、ウォルフ様にお伝えすべきことがありましたね。ジーモンの件ですが」

「ああ、そうだったな」

「ジーモン? 先日から、トーフ作りのために近隣の村へ来ているんでしたね」

「ええ。それで、患者への栄養補給の必要も落ち着いたので、そろそろ領地へ戻していいのですけどね。王宮や他の領地からの要望があって、滞在を数日延ばさせています。滞在する村へ関係者を派遣して、トーフ作りの方法を伝授させたいと」

「ウォルフの意向を確認する暇なく、許可してしまったが、よかっただろうな。とりあえずは王都でトーフ作りの職人を養成して、他領へも伝えていきたいということだ」

「はい、そこは以前からの話通り、歓迎すべきことだと思います。すでにアドラー侯爵領とエルツベルガー侯爵領には伝えているわけですし。ただ、それほど早急に広めて、キマメの供給などは大丈夫なのでしょうか」

「それが、今回全国に打診してみると、意外と各領地で在庫を抱えているようなんですね。ご存知のようにキマメは兵の糧食用と領民の非常食用としてどこでも認識されているので、言わば隠れ在庫のようなものを各地で抱えているようでして。我々としては寒冷地向け作物という先入観を持ちますが、けっこう南の温暖な地方でも栽培はできるようです。しかもこれもご存知のように、これまではあくまで非常用でふだんの食用には向かないという認識だったので、新年度の農作業が始まったこれからの季節には、へたすると邪魔物扱いで廃棄されかねないという」

「そうなのか」

「今回の件でどれだけキマメが必要になるか、見当もつきませんでしたからね。中央から各領地へ安く買い上げたいという呼びかけに、どこも『喜んで』とばかりに応じてきました。廃棄同然の品が少しでも金になり、しかも王宮に恩が売れるわけですからね。結果的に現在王都には、その残りがかなりの量積み上がっているわけです。中央としてはこれを有効活用したいし、各領地でも残った在庫の活用ができれば万々歳なわけです」

「なるほどなあ」

「この結果、ベルシュマン男爵とその子息ウォルフ様の評判は、ますます上がるばかりという状況ですね」

「今さら、迷惑というわけにもいかないしなあ」


 溜息とともに、兄の視線がこちらに投げられてきた。

 僕としては、妹を抱き寄せて知らんふりをするしかない。


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