第8話 赤ん坊、妹と馴染む

「で……なんだっけ、きまめ?」

「ああ。近いうちに騎士団長の領地から送られてくるそうだから、使い物になるか調べてくれ、ということだ。うまい使い道が見つかるなら東ヴィンクラー村では、そのキマメと小麦とゴロイモで畑を三分の一ずつ毎年入れ替えていく農法を試してみたいと。白小麦は国税のために絶対必要だが、あとの作物については当面領税率を低くして、領民の収入に繋げてやる気を出すようにさせたいという考えだな」

「いい、おもう」

「ただ、そのキマメなんだが。ベッセル先生から借りた図鑑を見ても、騎士団長の話の通りだな。煎って乾燥した豆は軍隊の携行食などに使えるが、茹でても固く料理に適さないと」

「ふうん」

「お前の知識で、何かこれに使えそうなのあるか?」

「こうほは」

「そうか。いつもの通り、うまく当てはまるかどうか分からないが、試してみる価値はあるか、という程度か」

「ん」

「よし。現物が届いたら、またランセルとも相談しながら試してみよう」

「ん」


 ダメ元で用意しておいてもらいたいものを兄に伝えると、首を傾げながら了承してくれた。

 あと、王都からの連絡の中に、ディミタル男爵の処遇についてもあったらしい。

 まだ余罪の洗い出しは終わっていないが、ここまで判明している限りでも重罪と断じるしかない。後継予定だった子息とともに、終身入牢の扱いになる予定だそうだ。

 近くで協力していたと判断される使用人等については、それぞれの身分剥奪の上労役を課せられることになりそうだ。

 ただ、男爵の最側近だったデスティンという文官が逃亡、行方不明になっている。

 先の父やヘルフリートとの話し合いの中で、『懐刀氏』と呼ばれていた人物だ。今になって名前が伝えられるというのも、妙な話だが。

 逃亡径路を辿る限りでは、国外に出た可能性が高い。昨年西の隣国ダンスクに外遊していた経歴があるので、そちらに向かったのではないかと想像される。

 この上我が領へ干渉してくるとは考えにくいが、一応注意しておくように、と父から指示があったということだ。


「今さらこっちにちょっかいを出しても何の利益もないだろうが、逆恨みということも考えられるから、というわけだな」

「なるほろ」

「まあ何にしても、とりあえずはあちらのことは気にしないで、うちの領の行く末を考えていけばよいということになる」

「ん」


 兄が水平に伸ばした腕を両手で掴んで懸垂運動をしながら、僕は頷く。

 比較的足が弱いからその代わりに、というわけでもないが、最近は努めて腕と指の運動をするようにしている。文字を書くなど、手でできる作業を増やしたいのだ。

 僕の脚の上では、ミリッツァが俯せになってうたた寝を始めている。

 兄を見上げると、肩をすくめて苦笑が返ってきた。


「そろそろ下に戻るか」

「だね」


 それでもザムに跨がった僕の前に下ろされると、ミリッツァは半眼でにいっと笑いかけてきた。睡魔に包まれながら、それでもまだ僕と遊ぶ気を表明しているようだ。

 歩き出すザムの背で全身を揺すって、「はう、わう」と喜声を漏らしている。

 居間に戻ると、母とイズベルガの陰にうずくまっていたらしいカーリンが、いきなり立ち上がって顔を見せた。


「みりっちゃ!」

「はう」


 女の子二人、どう通じ合っているか不明な声を交わしている。

 床に座ると、ぼろ布で作ってもらった鞠を転がして、二人で遊び出す。

 ただやはり、ミリッツァは僕が傍にいないと駄目なようだ。少し離れようとすると、すぐに鞠を放り出してぱたぱた這ってこようとしている。

 しかたなく僕は、二人の遊びをすぐ近くで見ていることになった。ときどき流れ弾が転がってくるのを拾って返す、その程度の参加具合で。

 しばらくすると、また眠くなってきたらしい。鞠を捨てて、ミリッツァは僕の脇にへばりついてきた。

 ぐす、ぐす、と数度鼻を鳴らして、やがて全身の重みが寄りかかってくる。

 すうすう寝息が落ち着いたところで、イズベルガが立ってきた。


「すっかりお眠りのようですね」


 笑って抱き上げ、ミリッツァを空いたソファに寝かせる。

 カーリンは一人で鞠遊びを続けている。

 よっこらしょと立って、僕はテーブルで読書中の兄の横へ寄っていった。

「ご苦労さん」と苦笑いで、兄は膝に抱き上げてくれる。

 そのまま一刻ほど、ミリッツァがまたぐずり泣きを始めるまで、僕は兄とともに植物図鑑を見ていた。

 ベッセル先生に借りたこれは、王国内他領域の見たこともない植物の生態などが記述されていて、なかなか興味深い。


 そんなふうに、数日が過ぎた。

 日に日に、ミリッツァはこの家に慣れてきているようだ。

 夜泣きの回数も最初よりかなり減ってきた。夜中過ぎに一度、起きてベティーナが乳を与えれば治まる程度だ。

 朝、僕にくっついていた布団の中から起こされて、ベティーナにおむつを替えてもらう。

 そんな少し離れて抱き上げられたところで、きゃっきゃご機嫌に僕に向けて手を伸ばしてくる。

 ふと思いついて、そちらに向けてぱふぱふぱふと手を叩いてやった。するとミリッツァも真似して、ぱふぱふぱふと手を叩き返してくる。

 ぱふぱふぱふ、ぱふぱふぱふ。

 面白がってベティーナもステップを踏み、拍子をつけてベッドから遠ざかる。

 ぱふぱふぱふ、ぱふぱふぱふ。

 遠ざかり、近づき。また遠ざかり、近づき、遠ざかり。だんだん距離をとり。部屋の隅まで離れても、ミリッツァはご機嫌に手拍子をとっていた。

 そんな遊戯をした頃から、ミリッツァは少し僕から離れても泣かなくなった。

 最初の日は二歩離れたら号泣していたのが、同じ部屋で僕の姿が見える限りは平気で、ベティーナに抱かれていたりカーリンと遊び続けていたりできるようになっていた。

 小さな差だが、大きな進歩だ。主に、僕にとって。

 これで夕方の遊戯の時間、女の子二人で遊んでいてもらって僕は兄の膝で読書できるようになった。

 ミリッツァから距離をとれるようになったということだけでなく、カーリンがじっとしていないからという理由で務めていた遊び相手の座を譲ることができたわけだ。

 二人が仲よくしている間は手もかからず、ウェスタとベティーナは家事に務め、イズベルガが見ているという態勢で済んでいる。家中が少し落ち着いてきた印象だ。

 ただ、やっぱりミリッツァは僕の姿が見えなくなると泣いて探し始めるし、遊戯途中でも眠くなってくるとぐずり泣きを始め、僕が傍に戻るまで治まらない。

 特に夜の就寝時は、僕と一緒のベッドでないと絶対大人しく寝つかない。これだけは当分、諦めるしかないようだ。


 運送業者の馬車が到着した。アドラー侯爵領からの荷物、大量のキマメを積んで。

 予定されていたことだからそれ自体に意外性はないが、運ばれてきたその量には驚かされた。馬車三台から溢れそうなほどなのだ。

 領主邸の倉庫に収まりきらない布袋を前にして、兄とヘンリックは呆然と顔を見合わせていた。


「もしかするとこれだけで、この西ヴィンクラー村の一年分の食料が賄えるんじゃないか?」

「さようですな……アドラー侯爵領の非常用食料備蓄分の一部と聞いていましたが、まあ、あちらの領の人口は一万を超えているわけですから」

「この村の……えーと、五十倍か? それじゃあ納得するしかないか」

「乾燥豆ですからある程度は保存が利くでしょうが、使い道を見つけないことにはこれだけの量を無駄にするというわけです」

「……マジかよ」


 ひと袋を開いて相当量を兄の部屋に持ち込み、観察することから始めた。

 翌日の昼前に、ランセルとヘンリックとともに、食堂で情報交換をすることになった。午前中に家庭教師に来ていたベッセル先生も興味を持って、参加している。

 僕はミリッツァとカーリンを前後にザムに乗って、隅でうろうろしながら話を聞く。


「俺が聞いた限りこのキマメってやつは」ランセルが説明する。「まずとにかく、煎って保存食にするっていう目的だけのために作られているものなんす。茹でても別にうまくないから、他に調理しようなんて誰も考えないす」

「軍の携行食としても、別に味がいいなどということで採用されているわけではないでしょうな。ただ煎り麦や他の煎り豆に比べて、このキマメを使ったものは体力温存に効果があると考えられているようです」


 騎士団に所属していたことがあるというヘンリックは、遠征でこれの世話になった経験を持つらしい。

 ベッセル先生も頷いて、


「他の地域でも、キマメと言ったら煎って保存食、それしか考えられないと思いますね。同じ豆類でもシロマメやニジマメならもっと粒が大きくて、一晩水に漬けてから茹でれば柔らかく食べられる。しかしキマメは同じようにしても固くておいしくないし粒が小さい分食べ応えがないということで、ふつうの料理用としては敬遠されていると思います」

「そうなんですか」


 顔をしかめて、兄は唸った。


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