第21話 赤ん坊、野ウサギを生け捕る

「まあとにかく、これで黒小麦を食うのに苦痛が少なくなるわけだ。腹の膨れ具合は変わらないとしても、気持ちの面で全然違うな」

「あと」

「何だ」

「よそでうれる、かも」

「黒小麦がか? 他領や王都なんかで?」

「ん」


『記憶』の話では、向こうの『ライ麦パン』は独特の風味でそれなりの購買層を得ているという。

 そのままこちらに移せる話ではないだろうが、ある程度の期待を抱いて検討を進める価値はあるのではないか。

 あるいはというレベルの話だが、この地域で白小麦の収穫率は頭打ちでも、黒小麦の方なら伸ばすことができるという可能性はあるかもしれない。

 そう説明すると、「うーむ」と兄は腕組みで唸った。


「まあしかし、すぐ何とかなるわけでもない、将来に向けて、ということだな」

「ん」

「まあ、将来に展望が見えるだけでも、領民のやる気を上げられるかもしれないし」

「のこる、ごろいも」

「ん? ああ、あと見直しができていないのは、ゴロイモだけか」

「おもいだした」

「何だ」

「ごろいも、いっぱいある」

「そうだな」

「なぜ、がし?」


 畑や蔵を見たときの違和感を、思い出したのだ。

 小麦より多いかもしれないほどの面積に植えられたゴロイモ。

 蔵の中でも、かなりの置き場所をとる量に見えた。

 もちろんこれだけを食べていったら栄養面などの問題はあるだろうが、とにかく餓死を免れるという目的のためだけなら、ゴロイモの量は十分にあるように見えたのだ。


「ああ、お前は知らなかったんだな」

「なに」

「ゴロイモには、毒があるんだ」

「たべられない?」

「いや、まったくというわけでなくな。しかし毒がある部分を除いてしまうと、かなり量が減ってしまうんだ」

「へええ」

「いや俺も、くわしく知っているわけじゃないからな。明日、ランセルに訊きに行こうか」

「ん」


 というわけで、翌日の予定が決まった。

 土の日で午前の勉強時間がないので、朝からキッチンに押しかけることにした。


 翌日、本来なら朝食の片づけが済んで休憩に入るだろう頃合いに主人の息子に押しかけられたわけだが、前日の勢いのご機嫌で、ランセルは僕らを迎えてくれた。

 傍らではさっそく、ウェスタとベティーナが天然酵母作りの準備を始めている。

 ゴロイモの調理を見せてほしいと兄が頼むと、料理人は「ようがすよ」と気さくに昼食のスープ用の分を取り出してきてくれた。

 いくつかのイモを軽く水洗いして、板の上に乗せる。


「ゴロイモの外側の方には毒があるんで、切り落とさなくちゃならないんす」


 説明して。

 まず球形に近いその横の長さを三等分した辺りの位置にすっぱり庖丁を入れ、左右の端を脇に除ける。

 残った円盤状の中央部分をぱたり板の上に倒し、円形の断面を見て、また横の長さを三等分した位置に庖丁を入れて左右を切り落とす。

 縦長の残りを横長に置き直し、また横の長さを三等分した左右を切り落とす。

 残ったのはつまり、元の球形から上下前後左右の三分の一分を取り去った、中央部分のサイコロ型(?)だ。

 量にしたら、元の球形の十分の一もないのではないか。


「この残った分なら、絶対毒がないって分かっているんす」


 言って、ランセルはそれを大事にボウルに入れる。

 切り取った外側は、当然ゴミ入れ行きだ。


「いつ見ても、捨てる分が多くて情けなくなるよね」

「わたし、ゴロイモの味は嫌いじゃないけど、調理するのは何か好きじゃないですう」


 料理人の手元を見て、ウェスタとベティーナが溜息をついている。


「昔本当に、飢え死にしそうだった奴がこの捨てる方のところを食べて、痙攣して死んだという話が残っている、す」

「この調理のしかたは、王都なんかでも同じなんだな?」

「そのはず、すよ。俺は王都仕込みの親方にこれ習ったすから。ただ、あっちではもともとゴロイモはあまり食べられていないという話す」

「そう聞くな」


 頷いて、背中の僕を見てから「ありがとう」とランセルに断って、兄はキッチンを出た。

 兄の部屋に入って、ベッドの定位置に落ち着く。


「何か、思うことはあるか?」

「うーん」


 さっき調理を見ながら『記憶』に問い合わせて、得た知識はある。

 その知識がここでも正しければ、調理に改善の余地があることになる。

 しかし、と迷いながら、想像と断って兄にその知識を話した。


「それが正しければ、えらい違いになるじゃないか」

「ん」

「だが」顔をしかめて、兄は腕を組んだ。「事実だとして、俺がみんなに話したとしても、信用される当てはないぞ。領主の息子の命令でも、毒かもしれないと信じられている部分を口にする奴はいないだろうし」

「ん」


 僕だって、真っ先にそれを考えた。

 当然の問題点、なのだ。


「何とかできる当てはあるか?」

「んーー」

「無理、だよな」

「……もり、いく」

「は? 野ウサギ狩りか?」

「んん」

「じゃ、何をしに」

「いけどり」

「は?」


 説明すると、一応の理解は得たが。問題はある。

 野ウサギの生け捕り自体は、難しくない。

 僕の『光』で目を狙って射貫けばたいがい気絶するか動けなくなるので、そこを捕まえればいいのだ。

 ただこれだと、兄以外にはその過程を見せられない。

 いつものディモや少年たちの付き添いなしに、狩り場まで行かなくてはならないのだ。


「それが必要なら、行くしかないだろうが」


 その通り、だが。

 バレたら、母やヘンリックから大目玉を食う事案だ。

 しかし兄がその気になっているなら大丈夫――と、思いたい。


 午後からまた村に行く、とベティーナに準備してもらった。

 兄に背負われていく限り、屋敷の者は心配していない。

 狩りの際は兄から離れて見ている、という説明が信用されている。この日も、その予定だという受け止めだ。

 完全防寒装備で、兄に背負われる。

 兄はいつもの狩り装備、それに今日は粗布の袋が二つ加わっている。

 もちろん、生け捕りにした野ウサギの運搬用だ。

 今日は、それ以外狩りをしないつもりにしている。


 二人だけで森に入るのは初めてだが、ここのところ二日に一度以上通い慣れた、いつもの道だ。

 迷いなく、見慣れた狩り場に着いた。

 間もなく、一刻も待たずに、枯れ葉の上に野ウサギの姿が見えた。

 もう一羽見えたのを確かめて、『光』照射。一瞬で、二羽は悶絶した。

 兄が駆け寄り、一羽ずつ袋に入れる。

 任務終了。

 あっという間の、終結だった。


「思ったよりあっさり、終わったな」

「ん」

「じゃあ、何も起こらないうちに、帰るか」

「ん」


 兄が両手に袋を提げて、歩き出す。

 帰りも、慣れた道だ。

 それを少し辿ったところで、妙なものが聞こえた。


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