1.柊 美晴は新入社員。鳴海 幸は教育担当。
第1話
下に一人付けると、上司に告げられた翌週の月曜日。
鳴海は定時間の10分前に出社し、改めて資料を確認していた。
(……研修時の態度良し。人当たりも良い。やる気は十分なのが伝わってくる、か)
人間的な部分は高評価の文面が続く。
しかし、気になる点もあるのは事実だった。
(これに関しては、直接話を聞いてみないことには判断出来ないな。…橋下さんが何も言わなかったのなら、何か理由があるんだろうし)
我が社は新入社員が各部署に配属される際、個々の意見も考慮するような人事となっている。経歴を見る限りでは、自分の下に付く人物はどうみてもこの仕事には向いていなかった。
10分という時間はそのあたりの確認と、自分用のPC立ち上げで溶けて無くなる。
始業のチャイムと同時に、自チームの朝礼が始まる。
そこからはいつも通りの業務を遂行する。
あっという間に午前の業務が終わり、昼休みを挟んだ後、今日は月初ということもあり、
「では、昼礼を始める。今日から、我が第1Gに新入社員が配属されることになった。各々、簡単な自己紹介をして貰う。…では、君から」
その中に、鳴海の担当する新入社員も勿論居た。
「お疲れ様です!
爽やかな笑顔を浮かべながら綺麗なお辞儀をしてみせる彼女を見て少しばかり感心した表情になる周辺の社員。それを伺って鳴海は軽く頷きながら思う。彼女はただの自己紹介ですら人からの印象を良く出来る程の人材であるのだと。
人当たりが良い、つまり人に与える印象が良いというのは大きなアドバンテージになり得る。
全く人との関わりがない仕事でない限り、どこにでも人間関係というのは絡んでくる。
彼女は既にそういった部分で、有利に立っている訳だ。鳴海は羨望の眼差しを向けた。
「──宜しくお願いします!」
「……よし、全員終わったな。他に連絡事項はない。昼礼終了後、新人と教育担当は各
GLの解散指示を受けTLである橋下さんの席へ向かう。鳴海の席が一番遠くにあることもあり、既に桐原と柊、もう一人の見覚えのない男性社員が待っていた。あれが桐原が担当する新入社員だろうと、鳴海は当たりを付ける。
「全員揃ったな。第1TのTL、橋下だ。改めてよろしくな。事前に話は行ってると思うが、柊は鳴海、
にやりと意地の悪い笑みを浮かべる橋下さんに対し鳴海は、余計なことをと苦々しい思いを隠すよう視線を横にずらす。すると偶然にも桐原と目が合った。
自然体のまま目礼を返してくる彼女は、堂に入った姿だった。
鳴海からしてみれば比較対象にされるのも烏滸がましさを感じてしまう程、彼女はしっかりした社員だ。
……業務上は、という枕詞を付けることになる側面があるのも事実だが。
「まあ、お互いしっかりやってくれや。最初はわからないことだらけなのは仕方ない。今後に期待しているからな」
「はい!」
「ありがとうございます!」
それぞれの新入社員が元気な返事をしたところで、鳴海と桐原は一度視線を交わした後、解散した。
「じゃ、まずは席まで案内するから着いてきて。柊さん」
「あ、はい!…えと鳴海先輩で良いですか?」
「…ああ、好きに呼んで」
律儀に名前+先輩呼びをする柊に、なんとなくむずがゆさを覚えながら鳴海は自席に向かう。
彼女の席でもある自席の隣に座らせ、向かい合うように椅子を回転させる。
「…一応自己紹介でもするか。俺は
「ありがとうございます。…ええと、質問というよりかはお願いになるんですけど、一つ良いですか?」
怖ず怖ずとだが自己の主張が出来るのは及第点だと鳴海は内心考えながら、どうぞと続きを促す。
「あの、
ころころと表情を変えながら、最後には恐る恐る鳴海の表情を窺うように話す柊。視線の先にある鳴海の表情は全く変わっていないのだが。
「…わかった。ならこれ以降は敬語は抜く。教育担当の後輩に負荷をかけたまま仕事させるつもりはないから。…宜しく、柊」
「…! はい、鳴海先輩!」
たったこれだけのやり取りで満面の笑顔を浮かべる柊は、さぞかし人気のある学生時代を送ってきたのだろうなと関係のない方向へ意識が逸れる鳴海。
とりあえず、今日教えなければならない最低限のことを指導することとした。
「研修の内容と被るかもしれないが、一通り説明するからとりあえず聞いてくれ。──あ、それ今は良いよ。必要な場合は今後必ず指示するから」
「え…?これ大丈夫なんですか?」
ああ。と鳴海は軽く同意する。
柊は手に持ったもの──メモ帳──に一度目線を落としながら、不思議そうな顔で改めて鳴海の顔を見る。
「どうせ学生時代とか研修で言われたんでしょ。メモを必ず取って行動しろとか。でも良いから。そういうのは『何』を『どういう風に』取ったら良いかを理解してからじゃないと、変な癖が付いて後が大変になる。だから最初は本当に必要な場面で指示する。コツを掴んだと思ったら任意にするから変に萎縮する必要もないよ」
「…あ、はい。ありがとうございます。…でもそれって鳴海先輩の負担になるんじゃ…?」
「ならないよ。寧ろ楽になる。だってその間は俺メモ取らなくて良くなるわけだし」
「え…。え!?」
呆然から感心、その後の内容を噛み砕いたあとは驚愕。柊の百面相を見て少し口角が上がってしまった鳴海は淡々と事実を述べていく。
「基本的に柊は俺と同じ業務内容になる。俺から指示する業務は勿論、出席した会議や調べ物の結果等々機会はいくらでもある。当然、俺も適宜確認するからよろしく」
「…はい。頑張ります…!!」
怯んだ素振りから握り拳を作り、やる気を見せる柊。そんな彼女を余所に続けて説明をしていく。
「まずは体制から。基本的にウチの会社は○○部××室△△G@@Tのような塊で分けられている。○○部のまとめ役が部長。室のまとめ役は室長。G、Tのまとめ役はそれぞれG,TLが担っている。とりあえずウチの高岡GLと橋下TLには挨拶したから、後で酒井部長と小堺室長にも挨拶しに行こう。…そんなビビらなくていい。柊なら自然体で挨拶に伺えばなんともないから」
「…? な、何でそんなことが言えるんですか? 緊張の余り変なことを口走ってしまうかも…!!」
「まあ、ある程度は流してくれる筈だ。俺なんか全く及び着かない程の
「あ、あはは…。なるほど、りょうかいです」
鳴海達の所属チームは『第1技術部 先行開発設計室 第1G 第1T』が正式名称だ。
つまり完全な技術職。機械や電気、物理学等を専攻したバリバリの理数系が集う場所である。
そうなると、自ずと男女比率は男性に偏るのが現実だ。桐原みたいなのはそうは居まい。
だからこそ、男性社員は女性社員に比較的甘くなってしまうという現状は中々変わることが無い。
ハラスメントが流行る昨今、どう改善していくべきなのかすら、疑問が残る。
「ま。気楽に行けばいい。
「それは…、なんというか気の毒?なんですかね??」
「さあ。そうならないように桐原が舵を取ると思うから大丈夫だろ」
それ、大丈夫って言うんですかね…?と言いつつ苦笑いを浮かべる柊。
鳴海は思う。とりあえず、会話はできているなと。
正直な気持ちで言えば、緊張していた。柊の見た目は10人中8人は良い方だと答えるくらいの可愛らしいタイプの美女と言える。今年28にもなる鳴海には恋人は居らず、異性での会話のお相手など桐原くらいなものだ。
先週末に橋下TLに告げられた後、帰り際に本屋により『異性の部下との接し方~初級編~[1980円(税抜き)]』を思わず買ってしまったほどである。
こんなときほど、表情の変化が乏しい自分の顔を頼もしいと思うことは無いだろうと考えていたとき、不意打ちを受けてしまうこととなる。
「あの、鳴海先輩はどうなんですか…?」
「……は?」
「いえ。あの、鳴海先輩も、私が女性社員だから、甘いのかなって…」
急に話題の矢印の方向が自分に刺さり、まともな返答も出来なくなる。
態度には出さず、最初の掴みは完璧だと考えていた鳴海にとって、まさか今までの緊張がバレていたのかと激しく動揺してしまったのだ。
しかし、柊が意図している点はそこを通過して、別の場所にあった。
「あ、あのですね! 鳴海先輩、全くそういった様子が窺えないので…! 私、女性社員扱いじゃないのかなーとか思ってしまって…あはは、すみません」
「な、なんだ。そういうこと。…確かに厳しいよりは甘い側の対応は取るかもしれない。だけど俺にとって、柊が初めての部下だからちゃんと締めるとこは締めて、俺が知っていることは伝えていきたいと思ってる。どちらかといえばそっちの方が強いかな…ってちょっとキモいか。忘れろ忘れろ」
「…ふふ。いえ、忘れません。ありがとうございます。鳴海先輩」
呆気にとられた顔から、惹き付けるような笑みを浮かべる柊を見て、少し顔が緩みそうになるのを堪える鳴海。
そんな彼に追加の爆弾が投げ込まれる。
「鳴海先輩は全く無かったので、少し不安になりましたよー。いくらなんでも女と思われていないのは流石に悲しいなと感じてしまったので」
「…ん? 全く無かったって? 何が??」
「その、大きな声では言えないんですけどね。…耳を少し失礼しても良いですか?」
「…ああ」
小さな声で話すため、少し前のめりになったことでスーツ越しでもわかるほどの柊の胸部装甲に目が行かないよう、鉄の意思で耐えながら耳を傾ける。距離が近くなったことで、吐息が若干くすぐったいと感じる
「…私の胸、よく見られるんです。例えば同期の比嘉君はあれでバレてないと思っているのかと感心するくらいの頻度で視線を感じてしまって、正直、話す前から苦手意識があります。…鳴海先輩はそういうのが全く無かった、という意味です、はい…」
「………そうか…」
色んな意味でギリギリだなと、胃のあたりがキュッとした錯覚を起こすほど、衝撃的な発言をされ。
「……とりあえず、比嘉は桐原経由で締めとく」
「ええ!? 鳴海先輩!?」
自己嫌悪を含めた八つ当たり気味に、桐原への告げ口をしてセクハラ、モラハラの根元の内の一つを摘むことを決意したのであった。
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