第4話 植樹祭にて

 「皆様,本日は,第82回植樹祭にお越しいただき,誠にありがとうございます。全国植樹祭は,国民参加の森林づくりを目指し,国民一人ひとりが森林を自分のものとして考え,それぞれの立場で,可能な方法で,森林づくりに参加するイベントとして,昭和25年から,毎年開催されているものです。本日の午後1時から,式典会場におきましては,各種行事が催されますが,大変混雑が予想されますので,御来場された皆様におかれましては,早めに御移動をしていただくよう繰り返しお願いします。」

 空を見上げれば,雲の白ささえも映えるかのように青く晴れわたる空,そして周囲に広がるは,初夏を満喫するかのうような木々たちの一面の緑,そしてそこに,耳当たりの良い言葉で飾られたアナウンスが響くとともに,誰だかは知らないけど,多分地元では有名であろうミュージシャンが作曲した森林を称える牧歌的な楽曲が流れている。第82回全国植樹祭は,そのような,いかにも国民の休日的な素晴らしい環境の下で,今にも開催せんとしていた。

 しかしである,そんな牧歌的な植樹祭のメーン会場のすぐ横で,一台の大きな荷台を抱えた迷彩柄の軍事車両が進駐しており,しかもその中で,ジーマスターと呼ばれる国家の機密中の機密事項が,各種電子機器のみの明かりに照らされた薄暗い荷台を改造した居住スペースの中で,下半身を露出したまま,AVだけを鑑賞しているとは,第82回全国植樹祭に御来場された多くのお客様もまさか夢にも思うまい。

 ジーマスター,否,悟志がここまで決心するには,当然それなりの紆余曲折が存在した。

 「いやあ,いい環境ですね,斉藤さん。初出勤には,もってこいじゃないですか。まずは空気が美味しい。」

 朝倉が運転する軍の車両は,各種警備を優先的にことごとくすり抜け,メーン会場と呼ばれる大きなステージがあるすぐ横に,正に横付けで停車していた。

 「あの朝倉さん,ここって,あんまり目立ちすぎじゃないですか。俺,ちょっと,恥ずかしいですよ,こんな場所。」

 「斉藤さん,何もあなたが,司会だとか,歌を謳ったりだとかするわけじゃないんですから,何も恥ずかしがる必要はありませんよ。あなたはただ,ジーマスターとして,AVを鑑賞して,勃起状態を維持すればいいだけなんですから。御安心ください。」

 「こんな場所でAVを見ろと?隣では皇族の方が来られているにもかかわらず,薄暗い車内で一人AVを見て『はあはあ。』とでも言ってろと?」

 「斉藤さん,先代のジーマスター,あなたのお父さんは,実弾が飛び交う戦場で,一人AVを見て,己を奮い立たせていたんですよ。それに比べれば,こんな場所で,AVを見て己を奮い立たせるなんて,赤子の手を捻るようなものじゃないですか。こんな場所で自分を奮い立たせられないようじゃ,これから先が思いやられますよ。こんな場所でも活躍できないようじゃ,あなたは,ただの役立たずの変態野郎で終わっちゃいますよ。それで良いんですか。」

 この朝倉という男は,器用にTPOに応じて言葉の表現を変えてくる。今まで散々『AVを鑑賞して勃起させる。』とか言いながら,いざ本番となれば,それを『AVを鑑賞して己を奮い立たせる。』などと微妙に表現を変えてくる。しかしなぜだろう,そんな微妙な表現の違いだけで,言われる側の悟志の気分も少しだけ前向きになってくるものだ。

 「でも,ちょっとここは目立ちすぎじゃないですか。」

 悟志は,助手席から降りると,改造された荷台の居住スペースを覗き込んだ。

 「だって,ほら,色んな機械があるのは分かるんですが,小さいながらも窓があるじゃないですか。こーんな所に軍の車両が止まっていたら,普通みんな不思議に思いますって。きっと,『何かなあ』なんて,小窓から中を覗き込みますって。小さい子どもが覗き込んだらどうするんですか?それに,大人が覗き込んだにしても『軍隊の車両で一体何をしているんだ!けしからん,税金の無駄遣いだ!』なんて激高するでしょ。普通。」

 「甘く見ないでください,斉藤さん。そこに抜かりはありません。あの小窓は,マジックミラーです。中から外は見えても,外から中は見ることはできません。安心してAVを鑑賞してください。それに,斉藤さんはいわゆるマジックミラーもののAVがお好きでしょ,だからこの方が興奮するでしょ。」

 「な,何を根拠にそんなことを言うんですか。」

 まるで,犯罪者が刑事に核心を突かれかのようにして,言葉に詰まってしまう悟志だった。

 「あれ,言ってませんでしたっけ。あなたのパソコンは自衛隊により押収済みで,その閲覧履歴は過去1年以上にわたり解析済みだと。ですから,あなたがどのようなAVを見て興奮してきたのか,その傾向と対策については,私の手元に,まとめて資料が作成されています。まさに,手に取るように理解しています。」

 「それって,プライバシーの侵害じゃないですか!もう,そんなことするなら,俺,ジーマスターしませんよ!」

 「斉藤さん,誤解しないでください。私は,あなたが,どのようなAVを見ればジーマスターとして活躍できるのかと,あなたを補佐する者として,あらかじめ調査しただけです。それとも何ですか,私が当てずっぽうで,あなたが見ないような,熱女モノだとか,同性愛モノだとか,そんなAVばっかり用意していたら,どうします。ジーマスターとして,活躍できるはずもないでしょう?だから,あなたが快適に勃起できるようにと,真摯に,あらかじめ調査したまでです。」

 「それなら,俺に趣味ぐらい聞けばいいじゃないですか。簡単なことじゃないですか。何も知らない所で詮索されたら良い気はしませんよ。」

 「斉藤さん,例えばロリコン好きが,『俺ってロリコンものが好きなんだよねえ。年齢でいえば11才から13才が理想かなあ。』なんて,本当のことを言うとでも思いますか。あなただって,『マジックミラーものが好きなんだよねえ。』なんて,自分から言い出しましたか。そんなことはないでしょう。『直接自分に聞いて欲しい。』なんて言う人は,どうしてもその回答に,繕った見栄が入ってしまうものなんです。だから私は,客観的にあなたの嗜好をあらかじめ調査した,それだけの事です。御理解いただけますか?」

 悔しいのではあるが,朝倉の説明する内容は,全くもって理にはかなっている。しかも己の恥ずかしい部分を掌握されているだけに,反論ができない。

 「さあさあ,御理解していただいたようでしたら,斉藤さんは,聴衆が会場に集まってくる前に,早めに荷台に入ってください。そして,式典が開催されるときまでには,ばっちりと自分を仕上げておいてください。頼みますよ。」

 朝倉は,悟志の肩に手を当てると,そのまま荷台に押し込むようにした。

 「斉藤さんは,その大きなメインモニターでAVを鑑賞してください。ある程度,防音はしていますが,市長とかの御挨拶があるときに,まさか『あーん,あーん,いくう。』だとかの嬌声が漏れるわけにはいけませんから,そのヘッドフォンを着用してください。その方が斉藤さんも助かるでしょう?『御来場の皆様におかれましては,』『綺麗な乳首の色だね。』,『この植樹祭とは,日本国土における森林を国民全員が大切にし,』『もう,なめなめしたい,だめ?』,『この地の深い緑を体験していただき,その体験をもって』『もう逝っちゃう。』だとか,言葉が混ざると訳が分かんなくなるでしょ。」

 この朝倉の妙に詳細な表現力は,素直に見事だと感心してしまう悟志だった。

 「それから,ヘッドフォンは,必ず有線で使用してください。軍事無線とは違い,ヘッドフォンとかの日常機器は,一般の市売品を使ってるんです。ですから,一般に使用されている周波数を使いますので,間違えて他のスピーカーが,その音を拾っちゃうことがあるんですよ。カラオケとかでありますよね,突然ほかの部屋の歌だとか声が,自室のスピーカーから流れ出すことが。あれって,ほかの部屋のマイクの周波数が,あなたが居る部屋のスピーカーと同じ周波数だと発生してしてしまう現象なんですよ。ですから,斉藤さん,あなたがAVを無線を使って視聴していると,その音を,会場のスピーカーが拾ってしまうってこともあり得るんですよ。特にこの至近距離だと。」

 「それってどういう事です?もしかして,AVの音が,この会場にあるデカいスピーカーから流されちゃうという事ですか?」

 「そのとおりです。子どもたちが行う可愛らしいセレモニーの最中に,そんないかがわしい音が大音量でスピーカーから流れだしたら,ジーマスターの名が,地に落ちてしまいますよ。あなたも,そんな形で世間に晒されたくはないでしょう?」

 「ヘッドフォンは,必ず有線で使用するようにします。」

 珍しく,朝倉の言う事を,素直に受け止める悟志だった。

 「ええと,それから,AVを見るメインモニターの隣に小さいモニターがありますが,それは植樹祭の様子を映し出すものです。適当に確認しておいてください。AVを見ながら,勃起を維持しつつ,植樹祭の監視をするのは,流石に難しいでしょうから,適当なタイミングで,私が無線で状況を伝えます。ですから,『まあ現場はこんな感じなのか』と,雰囲気を感じていただければと思います。」

 「はい,まあ,分かりました。」

 「それじゃあ,後は,よろしくお願いします。斉藤さんのお好きな素人物だとか,マジックミラー物だとかをこちらで複数用意しておきましたので,これから勃起を3時間ほど維持できるよう,頑張ってください。」

 何故だろう,この朝倉は,そう言いながら,いつぞやの右手をニギニギする仕草を悟志にしてみせて,挨拶としているようだった。

 「ええと,それから…」

 朝倉は,荷台のドアを閉めようとしたその瞬間,何か大事な事を思い出したかのようにして,そのドアを再び全開にした。

 「斉藤さん,パンツとズボンをお預かりして良いですか?」

 「はあ?」

 悟志は,その提案に対して,露骨に怪訝そうな顔をしてみせた。

 「ですから,斉藤さんは,これからジーマスターとしての活動を開始するのですから,我々がパンツとズボンをお預かりすると言っているんです。」

 「何言ってるんですか,パンツぐらい履いてても,オナニーぐらいできるでしょ。しかも何かあったときにどうするんですか,俺は大観衆の前にフルチンで現れるんですか。そんなことできる訳ないでしょ。」

 「斉藤さん,これからあなたは,おおよそ3時間も勃起状態を維持しないといけないんですよ。これは大変なことです。ペニスに対する血流を良くするためにも,下半身は裸の状態で手淫をしていただかないと困ります。そもそもそれが,歴代のジーマスターの正装でしょう?私は講義において,そう言ったはずです。それに,いざ大事があったときに,膝までズボンを下ろしていたら,咄嗟の身動きなんて取れるはずもないでしょ。」

 「いやいや,確かに,下半身裸の方が勃起を維持しやすいし,動きは易いかもしれませんが,そんな格好のまま,大衆の面前に出られるわけもないでしょ。せめて,パンツぐらいは履かないと表になんか出られませんよ。これは俺として譲れません。」

 「今日は天皇陛下と皇后様が御出席されます。朝の講義でも話したかもしれませんが,天皇陛下に『もしもの時』があった時に,あなたは悠長にパンツを履いているんですか?陛下に劇物,塩酸とかが掛けられようとした場合,私がその気配を無線で伝えたら,あなたはそのまま飛び出して,その暴挙を食い止めないといけないんですよ。それが,ジーマスターとしての勤めでしょう?」

 「だとすれば,天皇陛下に危機が迫れば,俺は下半身裸の変態姿で,初めて陛下と御拝謁するということですか!」

 「そうですよ,それがジーマスター。だから,歴史の表舞台に現れることはないんですよ。捉えようによっては,影の存在で格好良いじゃないですか。」

 「朝倉さんが,そういうなら,俺にも考えがあります。」

 悟志は,荷台の奥に移動すると,メインモニターの前に鎮座した。そして,適当なAVのDVDの一つを手にすると,それをモニター横のスロットルに挿入し,何故だか突然視聴を始めた。

 「こんにちはー,どこから来たんですか?」

 AVの緊張感のない声が,狭い室内に木霊した。

 「斉藤さん,AVを見るのでしたら,ズボンとパンツを渡してもらえますか。」

 悟志は,朝倉の声が聞こえないかのようにして,その右手を股間に伸ばしてみせた。その瞬間,朝倉のクールな表情が,一気に緊張感に支配された。

 「まさか,斉藤さん。」 

 「ええそうですよ,実力行使ですよ。そのジーマスターとやらの力で,この場から逃げ出します。」

 「でも斉藤さん,AVの出だしで,いきなり勃起するのは,難しいんじゃないんですか?」

 「それもそうですね,ちょっと待って下さい。」

 悟志は,自らの興奮できそうなポイントを探そうと,下半身に延ばした右手をマウスに変えて,AVのメニューを検索しようとした。しかし,よくよく見てみると,モデルの見た目が悟志のタイプではなかったため,そのDVDで興奮するのは難しそうだった。

 「すみません…,ちょっと,DVDを好みの物にしたいので,待ってもらえますか?」

 「まあまあ,斉藤さん。」

 そんな悟志の横に,朝倉がゆっくりと歩み寄ってきた。

 「あなたがそこまで言うなら,実は私にも代案がありますから,聞いてもらえますか?」

 「それなら,始めにそれを言ってくださいよ。俺だって,なるだけ変態の真似事なんてしたくはないですよ。」

 悟志は,代わりのDVDを探す手を休めた。

 「そりゃあ今日は,斉藤さんの初めての出勤日です。慣れないだろうし,不安になるのも当然です。それは,私にも分かります。」

 「そうですよ。朝倉さんは,もっと俺に配慮すべきですよ。」

 「ですから,私の方でもこれを準備させていただきました。」

 朝倉は,手にしたビジネスバックから,一つの物を取り出した。

 「これです。」

 あれだ,ホラー映画とかで,人を襲う輩が被るアイスホッケーのマスクだ。それを手にして,いわゆるドヤ顔をする朝倉が,心から憎たらしい。

 「あの朝倉さん,それで俺にどうしろと?まさか,それで恥部を隠せとか言いませんよね。微妙に通気性がよくて,微妙に気恥ずかしいですが。よっぽど普通の大皿の方がマシなんですが。」

 「まさか。」

 朝倉は,呆れたようにして大きく頭を振った。

 「それはあなたが被るものですよ。」

 「はい?」

 何を言っているのだとばかりに,上擦った奇声を発してしまう悟志だった。

 「あなたがお好きなAVでも良くあるじゃないですか,『顔出しなしなら,OKです。』とか。人間なんて顔を出さずに,正体さえ知られなければ,多少の事は,できちゃうんですよねえ。斉藤さん,あなたもそうでしょう?違います?」

 なんだろう,この『あんたも好きねえ。』とばかりに迫って来る朝倉の押してくる雰囲気は。悟志には,一体どのようなリアクションが期待されているのだろうか。

 「それに昔から言うじゃありませんか『頭隠して,尻隠さず』なんて。顔さえ隠しちゃえば,大抵のことは,出来ちゃう物なんですよ。昔の人は上手いこと言うものです。」

 『朝倉,きっと,お前ほどの溢れる学力があれば,その言葉の意味が間違っていることは分かっているはずだ。しかも,俺の場合においては,隠さないモノは,ペニスだぞ。尻よりも,多分位的には上だ。そんな言葉で騙される訳がないだろう。』何も言わず,そのような思いを沈黙で伝えようとする悟志だった。

 「割と,御不満のようですね?」

 『そりゃそうだろうよ。分かるだろう,お前ほどの優秀な男であれば。』

 「ならば…」

 再び,傍らに置いたビジネスバッグに手を伸ばす朝倉だった。

 「これなんか,いかがでしょうか?」

 朝倉が手にして掲げたのモノは,女性用のピンク色の小さな下着,まさにパンティだった。しかも絶妙に可愛らしく,いわゆる紐パンだった。おう,セクシー。

 「どうです?」

 「あの,朝倉さん,もう俺,一体何が自分に期待されてるのか分かんなくなってきました。まさか,そんなモノを,俺に履けとでも言うんですか?」

 「まさか。いくらあなたが超人ジーマスターであったとしても,こんな下着を履くことが,倫理的に許されるはずもないでしょう。想像するだけで,ぞっとします。そもそも,あなたが履いたら破れちゃうんじゃないですか?あっ,紐パンだから,やろうと思えばできるのか。」

 「あの,じゃあ,それで俺に一体何をさせたいんですか?もしかして,それって,オナニー用,なんですか?御厚意はありがたいんですが…」

 「まさか,これを,あなたが,頭又は顔に被るんですよ。」

 「はい?」

 再び,上擦った奇声を発してしまう悟志だった。

 「このパンティを被れば,あなたの正体は,辛うじて世間に知られないでしょう。」

 「いや,それなら,さっきのホッケーマスクの方がまだマシでしょう?なんで,わざわざ俺がそんなモンを被らないといけないんですか?小さい上にスケスケじゃないですか。」

 「そうです,そこがこのパンティのポイントです。斉藤さん,あなた,パンティ被った全裸の男が目の前に現れたらどうします?」

 「そりゃ嫌ですよ。目を背けますよ。なんで俺が,そんなことしなきゃいけないんですか。」

 「それこそが,まさにこの小道具の意図するところなんです。男のあなたでも,思わず目を背けてしまうでしょう?女性ならば,なおの事だと思われます。生理的に,受け付けないはずです。しかし,ジーマスターは光の早さ。そうすると,結果,誰もジーマスターを目視で確認できないんです。『うわっ何アイツ?』っと思って目を背けたら,誰もそこには存在しない。『あれっ,俺ちょっと疲れてんのかな?』と,我が目を疑ってしまうという訳です。」

 朝倉マジックの種明かしをするかのようにして,ドヤ顔をする朝倉だった。

 「朝倉さん,そんな訳ないですよ。仮に,それで上手く行ったとしても,今日は,どうせテレビカメラとかも回ってるんですよね。そんな姿を1秒を100コマで撮影できる,スーパースロー再生なんかで録画されたら俺はどうするんですか。もう,お嫁に行けないですよ。あなたが責任取ってくれるんですか。」

 「やっぱり,これでも駄目ですかね。」

 「当然駄目ですよ。」

 「そりゃそうでしょう,斉藤さんの緊張を解そうと,私が用意したちょっとしたプレゼントですからね。解れましたか,斉藤さん?」

 この時とばかりに,相好を崩す朝倉だったが,その思いとは裏腹に,その様子は,悟志にとっては,とても憎たらしいものだった。

 「朝倉さん,まさかあなたは,そんな笑えないギャグのために下着を用意したんですか?全く,そんな可愛らしい下着を,どうやって入手したんですか?まさか,自分で買ってきたんですか?」

 『あれっ,そんなこと聞きますか?』とばかりに,口元で笑いをかみ殺している朝倉だった。その様子は,図らずも,悟志の敵愾心を大いにあおった。

 「あーあ,朝倉さんは良いですねえ。リアルが充実しているようで。どうせ俺なんかは,彼女ができないから,ジーマスターですもんねえ。もう,あったま来ました。やっぱ,今この場でジーマスターになって,こんな仕事から逃げ出してやりますよ。オヤジみたいに。ざまあ見ろですよ。もう知りません。国だとか,軍の都合なんて,俺の知ったことじゃないですよ。」

 悟志は,一旦諦めたDVDの選別に,再び着手した。

 朝倉用意したDVDは,目測で,手元に20枚程度は存在しているのであるが,それは,いずれもダウンロードしたものらしく,表面に雑にマジックペンでタイトルが記載されているだけだった。したがって,その中身が,いまいちどのようなものか,悟志には分からなかった。

 「あの,朝倉さん,DVDにはパッケージぐらい付けてもらえませんかね。タイトルだけじゃ,どんなモデルのAVなのか分かんないですよ。あなたも困るでしょ,『さあジーマスターお願いします。』って緊急時に,ジーマスターが,『いやあ,これじゃ駄目だ。』なんてDVDを物色しているようじゃ。そういうとこ,ちゃんとしてくれないと困りますよ。」

 「まあまあ落ち着いてください,斉藤さん。ちゃんと今回は,あなたが満足できるコスチュームを準備してますから,安心してください。さっきまでのは,ちょっとした冗談ですよ。あなたの緊張を和らげようとしただけですよ。少しは落ち着いてください。」

 「本当ですか?」

 怪訝そうに尋ねると,再び手を休めてしまう悟志だった。

 「本当ですとも。」

 朝倉は,またもや傍らにあるビジネスバッグに手を伸ばした。

 「これです。これなら斉藤さんも納得でしょう。」

 朝倉は,両手で,海パンのようなパンツを広げて見せた。やや大きめではあるものの,いわゆるビキニスタイルのパンツである,しかも赤い。

 「もしかして,それってプロレスラーが履くやつですか?リングパンツとでも言うんですか?それを俺に履けと?」

 「リングパンツなんて言葉は多分ないと思いますよ,斉藤さん。多分そんな言葉でネット検索すると『シリコンリング付きのパンツ』とか,とんでもない男性用品が紹介されますよ。ただプロレスは正解です。正しくは,プロレス用ショートタイツです。」

 「その赤いパンツを,俺に履けと言ってるんですか?」

 「まあ,今回の植樹祭の警備は,実際,そんなに緊急事態が発生する可能性は低いと踏んでいるんです。要するに,肩慣らしのための予行演習なんです。ですから,今回は,何かがあったとしても,ショートタイツぐらい履ける時間はあるのかなと,私も思っています。それに…」

 またもや,傍らにあるビジネスバッグに手を伸ばす朝倉だった。その姿は,役に立たない道具を続けざまに○び太に勧める,往時の○ラえもんを想起させる。

 「斉藤さんの好みも考えて,黒のショートタイツも用意しておきました。良いでしょ。結構高いんですよ,このタイツ。」

 朝倉は,赤いパンツの時と全く同じようにして,両手で黒いショートタイツとやらを,びろーんと広げてみせた。

 「斉藤さんは,どちらがいいですか?」

 どうやら今の朝倉は,本気でプロレスラーのショートタイツを勧めているようだった。その表情からは,もはや『赤か黒』かの選択肢しか想定をしていないようだった。

 「あの朝倉さん,真面目に考えて欲しいんですが,もう少しマシなパンツは用意していないんですか?」

 「マシな?私はこれが良いと思ったから,用意したまでです。何か御不満でもありますか?プロレスラーだって,一種のヒーローじゃないですか。それに,アメコミのヒーローだって,結構ショートタイツ姿が多いじゃないですか。ジーマスターだって,これからのヒーローじゃないですか。まさに,打って付けだと私は思うんですが,違いますか?」

 「朝倉さん,ジーマスターってどんなヒーローですか?あなたが散々俺に言ってきてたでしょ,勃起時から3分間だけに超人的な能力を有するものだって。朝倉さんは,俺に勃起した状態で,そのピチピチのショートタイツを履けとでも言うんですか。俺,そんなの絶対嫌ですよ。生き恥さらすようなモンじゃないですか。」

 「なるほど,私としたことが,そこまで考えていませんでしたね。少し,疲れているのかな。」

 珍しく朝倉が,腕組みをして自省するかようにして,小首を傾げた。そんな姿が,ちょっとだけ小気味良いと感じてしまう悟志だった。

 「ショートタイツだと,その張力で勃起を押さえ込んでしまう可能性がありますね。要するに,勃起を早めに終わらせてしまう可能性がある。これは失敗ですね。斉藤さん,今日はどうせ出勤はないでしょうから,やはり歴代ジーマスター正装である下半身裸でいきましょうか。」

 『いや,そこではないんだ,朝倉!』という心の声を押さえ込んで,悟志は大声で叫んだ。

 「じゃあ,普通のトランクスにすれば良いじゃないですか!そんな簡単なことも分かんないですか!俺は,いざというときに下半身裸のままだったら,仕事をボイコットしますからね。嫌ですよ,そんな仕事。絶対やりませんから!」

 「でも斉藤さん,じゃあ今日は一体どうする気なんですか?私,トランクスなんて用意してませんよ。せめて,ショートタイツで手を打ってください。」

 強めの言葉で悟志を諭す,朝倉だった。

 「そんなこと言われても,女性用のパンティだとか,そんな変なモンばっかり用意している朝倉さんが悪いんじゃないですか。俺は,そんなピチピチのショートタイツなんか嫌ですからね!それは譲れませんからね!絶対です。」

 「じゃあどうするんですか。」

 「知りませんよ,なんなら,あなたが履いてるトランクスでも俺に差し出せばいいじゃないですか。そして,あなたが,その用意した高価なショートタイツでも履けば良いじゃないですか。」

 「斉藤さん,あなたは,人が履いているホカホカのパンツを履きたいですか?しかも,私のですよ。それに私はブリーフ派だ。何なら今お見せしましょうか(笑)。」

 「じゃあ,今からトランクスを買ってきてくださいよ。コンビニにもあるでしょう,それぐらい。」

 「斉藤さん,植樹祭なんて,緑の豊かな場所でしか開催しないでしょう?そんなところに,コンビニなんか…。販売所があったとしても,お菓子だとか,お茶だとか,そんなモンぐらいしか売ってませんよ。それは,斉藤さんも,分かるでしょう?」

 「そんなこと俺は知りませんよ。俺は,トランクスがない限り,ジーマスターとして,活動しませんからね。絶対。」

 「そうは言われても斉藤さん,もうすぐ会場に人が集まってきますよ。どうするんですか。」

 「知りませんよ,それをどうにかするのが,朝倉さん,本来のあなたの仕事なんでしょう。」

 「分かりました,分かりましたよ,斉藤さん。至急,他の者に届けさせましょう。それでいいですか。」

 「ええ,トランクスが用意できるなら,俺は良いんですよ。」

 興奮も覚めやらぬ悟志は,いつのまにやら,朝倉に口車に乗せられるようにして,ジーマスターとしての活動を了承しているのだった。

 「斉藤さん,今からトランクスを買って持ってくるように,私から指示しますが,何か希望とかありますか。せっかく用意して,これじゃ嫌だとか言われたくありませんから。シマシマだとか,ヒョウ柄だとか,何かありますか。」

 「トランクスなんて,普通のヤツでいいですよ!要は,最低限人前に出られるようなものだったら良いんです。朝倉さん,あなただったらそれぐらい分かるでしょ。」

 「分かりました,それでは部下の者に用意させますので,後30分ぐらい待ってください。斉藤さんは,それまで車内でスタンバイしていただくようお願いします。」

 「分かりましたよ,待ってますからね。」

 「ええ,お任せください。」

 そう言って,悟志を車の荷台に機械的に押し込むと,重い鉄の扉を閉じてしまう朝倉だった。

 そんな丁々発止があった上で,植樹祭が開催されるメーンステージのすぐ真横で,仕方なくAVを鑑賞している悟志だった。

 しかし,改めて考えてみると,朝倉という相当悪いヤツに,上手い具合乗せられような気がしてしまう悟志だった。いわゆるあれだ,不動産業者の物件紹介の法則である。何も知らないお客に対しては,最初に,一番悪い不良物件を紹介し,その次に,あんまり良くない不良物件を紹介して,後者の不良物件を比較的マシに見せてしまうという,あのやり方だ。きっと朝倉は,最初にとんでもない条件を吹っ掛けて,「そんなことできません!」という悟志の反応を織り込み済みで,ジーマスターとしての活動を了承させたに違いないのだ。そのように考えると,いや特に,そのような小細工のために,自らの彼女の下着までも利用してしまう朝倉の充実ぶり,否,狡猾ぶりが,悟志の心に,後からになって,怒りの気持ちを惹起させるのだった。

 だがしかしである,過程はともかく,結局のところジーマスターとしての活動を引き受けてしまった悟志であるから,仕方なく,朝倉が用意したDVDを,あれこれと物色するのであったが,20数枚を順次チェックしている内に,意外と(口惜しいことに),それらのチョイスが,悟志の好みに合致していることに気が付いた。そして,気になるDVDを少しだけ視聴している内に,『これなら行ける。』との手応えまで感じてしまうのだった(この場合における『これなら行ける。』は,言葉として妙にリアルである。)。視聴を始めた頃には,『こんなところで興奮できるわけないだろ,朝倉さん。』などと思っていた悟志であったが,何せ長らくの軟禁生活で押さえつけられた若人の性欲は押さえがたく,その上,『俺って,こんな場所でAVを見ている。』という背徳感が妙なスパイスとなって高じており,10分もすると良い感じに暖まってしまう悟志だった。

 「どうです,私の選択は。良い感じに暖まってるようですねえ。」

 そんな折,耳に当てたヘッドフォン越しに,聞きたくもない朝倉の声がいきなり響いた。

 「うわっ,なんで?」

 「そのヘッドフォンには,無線で,私の指示が届くようにしているんです。斉藤さん,それくらい当たり前でしょ。」

 「いや,そうじゃなく,なんで,その,俺が暖まっているとか,まるで見てるかのような事が言えるんですか?」

 「そりゃ監視しているからですよ。」

 「えっ,まさか,隠しカメラとかで俺の様子を伺ってるんですか。」

 「そりゃそうでしょ,こっちだってジーマスターの様子を観察していないと,適切な指示が出せませんよ。」

 「プライバシーの侵害ですよ!そんな状況で興奮できるはずないじゃないですか!」

 「現に今,興奮していたじゃないですか。」

 「それは,監視されていることを知らなかったからですよ!知ってたら,盛り上がるわけないじゃないですか。ほら,もう現に元気がなくなってきたし。」

 その言葉とは裏腹に,はち切れんばかりの勢いを保つ悟志のペニスであった。

 「その割には,元気そうですね,斉藤さん。」

 「今だけですよ,朝倉さんとこんな話していたら,じきに元気も無くなりますって。」

 「じゃあ私はこれで失礼します。難しいかも知れませんが,まあ,こちらからの監視は,気にしないでください。どうせあなたの局部は,手に隠れてほとんど確認できませんから。あなたは,ジーマスターなんですから,プロとして誇りをもって,己を高ぶらせてください。」

 『局部が手に隠れてほとんど確認できない』だとか,一々悟志を高ぶらせようとしているとしか思えない,朝倉らしい言動だった。

 「私からの通信は,必要最低限に押さえるつもりなんですが,一つだけ忘れないでくださいね。『勃起させても,射精は絶対ダメ』ですからね。」

 「あの,朝倉さん,俺の声聞こえてますよね。」

 「当然聞こえてますよ,何を今更。」

 「あの,もうぶっちゃけの話なんですが,良いですか?」

 「どうぞ,良いですよ。」

 「あの,正直な話,AV見ていて,射精しちゃいけないって,ちょっと厳しくないですか?」

 申し訳なさそうにして確認を求める悟志だった。

 「それはそうかもしれませんが,射精は絶対にダメです。御法度です。」

 「あの,ジーマスターって,勃起さえ維持していれば良いんですよね。それなら,俺,一回射精したぐらいなら,すぐ元気になりますよ。それぐらいの自信はありますけど。」

 「自信があっても絶対にダメです。」

 『諦めろ』と言わんばかりに語尾を強める朝倉だった。

 「朝倉さんは,万が一に備えて,そんなことを言うんですよね。不測の事態に,俺が勃起状態じゃないと戦えないと考えいるから,そんなこと言うんですよね。それなら大丈夫です,男として俺を信用して…」

 「斉藤さん,厳密には,ジーマスターに求められるのは,勃起状態ではありません。射精前の興奮状態が求められるんです。」

 さらに語尾を強めて,悟志の懇願を拒絶する朝倉だった。

 「勃起状態も,射精前の興奮状態も一緒じゃないですか,ジーマスターとかいう無茶な仕事を要求しているんだから,少しぐらいは俺も楽しませてくださいよ。」

 恥じらいも何もない,悟志のぶっちゃけトークだった。

 「斉藤さん,あなた今,興奮状態になって,私の講義を忘れてしまったんですか。プロラクチンというホルモンについて。覚えていませんか?」

 「プロ楽珍?」

 「全く。賢者タイム,だったら分かりますか?」

 「男が射精した後に陥る,あの妙に冷めた冷静な瞬間ですか。」

 「そうです,あなた,AV見ていて射精した後とか,妙な自己嫌悪だとかに襲われませんか。」

 「朝倉さん,それなら俺大丈夫ですって,すぐに持ち直せますから。すぐに回復できますって。」

 悟志は力説した,若さの無限の可能性を。

 「斉藤さん,そういう話ではありません。あなた,本当に私の話をまるっと忘れてますね。その賢者タイムというのは,射精と同時に体内にプロラクチンというホルモンが放出されるから起こる現象なんです。男性においてプロラクチンが放出されると,ドーパミンによる興奮作用が直ちに抑制されるんです。分かりますか斉藤さん,あなたは一旦射精しちゃうと,ジーマスターではなくなってしまうんです。いかに勃起状態を維持していても,体内のホルモンバランスを取り戻すのには時間が掛かるんです。だから,射精しては絶対ダメなんです。」

 「そんな殺生な!」

 たかだかAVの視聴ごときで,『殺生』などという古語が思わず脳裏に浮かんでしまう悟志には,同情を禁じ得ない。

 「そういう訳ですから,斉藤さん。興奮状態を維持するよう努めてくださいね。射精しそうな素振りを見せたら,また私が遠慮なく無線で邪魔しますから。いいですね,分かりましたか。」

 朝倉は,言いたいことだけを言い放つと,一方的に無線を切ってしまった。

 それからの悟志は,朝倉の言うとおりに,ジーマスターであるように,努力をした。分かりやすく言葉を換えるなら,薄暗い室内で,下半身裸の状態で,過度とならない適度な刺激を与えながら,AVをひたすら鑑賞していた。あの朝倉の言うとおりに活動することは,多少とは言わず,それなりに癪に触ることではあったものの,『ほら,しっかり刺激を与えて。』などと,あの朝倉から,無線で妙な茶々を入れられる方が,想像するだけでも余程の苦痛であったのだ。

 それから,穏やかに時は過ぎた。のどかな田園風景の中に繰り広げられる厳かな行事。それを横目に,AVを鑑賞し,非常事態に備えるジーマスター。いつまでも,そんな平和な時が続くとも思われた式の終盤,悟志のヘッドフォンに朝倉の絶叫が突然響いた。

 「ジーマスター!出動だっ!」

 「えっ,はい!」

 用意されたトランクスを探し,慌てて両足に通す悟志だったが,一体今から自分が何をやればよいのか,突然不安になった。無理もない,想定も,予行練習もない正に急な出動命令なのだから。

 「朝倉さん!パンツは履きました。で,俺,今からどうすれば良いんですか?用意も何も…」

 「ジーマスター!お前の左横,荷台の一番奥には,赤い20ないし30センチ程度の小さな鞄があるはずだ!分かるか?」

 悟志が周囲を見回すと,それらしい小さな赤い鞄が,朝倉の言うとおりにぞんざいに置かれていた。

 「朝倉さん,ありました!で,どうすれば良いですか!」

 「それを持ってすぐに出てこい!そして俺の所に来い!」

 「この荷台の扉は,外からロックされているんでしょう?どうするんですか?」

 「大丈夫だ。もう,無線で解除している。すぐに鞄を持って出動せよ,ジーマスター!」

 「分かりました!」

 悟志は,頭のヘッドフォンを横に投げ出すと,鞄を小脇にして表に飛び出した。

 しかし,飛び出した瞬間,外の光が思った以上にまぶしかった。目がくらみ,思わず立ち止まり,パンツ一丁の姿である自分自身を認知できるほどに,我を取り戻しそうになった悟志であったが,観客席の中で,高く手を掲げ,大きく,毅然とした声で

 「こっちだジーマスター!急げ!」

 と叫ぶ朝倉の姿を確認すると,なぜだか身体が勝手に動き出していた。

 その行く手を阻む多くの人垣などは,超人と化したジーマスターにとっては,造作のない障害物だった。次から次にと身軽に身をかわし,時には軽く片手で押しのけて,あっという間に朝倉の元に辿り着いてしまう悟志だった。

 「朝倉さん,鞄です!」

 「ジーマスター!鞄を早急に開けろ!」

 悟志が朝倉に鞄を手渡そうとしても,受け取る素振りも一切見せずに,一方的に指示を出す朝倉だった。赤い鞄はファスナー式であったから,その場で,立ったまま,悟志がそのファスナーに手を掛けたところ,

 「座って開けろ!馬鹿者!」

 高圧的かつ続けざまに,悟志に対して指示を出す朝倉だった。思うに,生来の気質というか何か,産まれながらにして支配者階級の香りがする朝倉なのだった。

 「朝倉さん,何ですかこれ?」

 鞄の中には,どこかで見覚えのあるような,2つのパッドと血圧計のような機械が納められていた。

 「AEDだ!そこに倒れている男性に使え!」

 確かに,言われてみれば,側には倒れている中年の男性が居た。

 「いや,俺,昔どっかで講習は受けたことはありますけど,AEDの使い方知りませんよ!」

 「つべこべ言わず,すぐにやれ!ジーマスター!」

 「いやだから,俺,使い方が分かんないっすって。」

 「機械に電源ボタンがある!それさえ押せば,後はパッドにイラストがある,そのとおりにやるだけだ!」

 言われるままに鞄の中のパッドを覗き込むとイラストがあった。確かに,そんなに難しくないようには見える。倒れた男性も,恐らくはある程度の救命作業が施されたのであろう,すでに胸もはだけており,後はAEDのパッドを貼るだけという感じである。悟志は,戸惑う間もないようにして

AEDの電源ボタンを押した。すると,勝手に機械が段取りを指示し始めた。

 『AEDのパッドからフィルムを剥がし,イラストを参考して,パッドを装着してください』 

 「朝倉さん!どこに貼れば良いんですか!微妙な位置とか俺,分かんないですよ。」

 「イラストを参考にしろ!心臓さえ挟んで配置すれば,基本は構わないはずだ!」

 「分かりました!」

 命令されるままに,男の胸の左上と右下にパッドを装着させる悟志だった。

 「朝倉さん!後は,どうするんですか!」

 「俺に聞くな!機械の言うことを聞け!」

 『ショックが必要です。ボタンを押してください。』

 確かに機械が勝手に指示をしている。

 「ジーマスター!ボタンを押せっ!」

 「どのボタンですかっ!」

 「多分どれか光っているだろう!それぐらい自分で考えろ!」

 「光ってますっ!」

 「じゃあ押せっ!」

 そう言うと同時に,周囲に離れるよう指示する朝倉だった。こういう状況判断においては,素直に産まれ持ったモノが違うのだろうと勝手に推察される。

 「押しますっ!」

 悟志がボタンを押すと,倒れた男性に大きな電気ショックが通電されたらしいことが,明らかに見て取れた。

 「朝倉さん,これからどうしますか!」

 「これから,また俺が蘇生活動を行う!お前の今の力では,圧が強すぎる。ジーマスター,お前は車に戻って待機だ!」

 「分かりました!」

 パンツ一丁で,その場をいそいそと後にする悟志だった。

 車両に戻った悟志は,自ら鉄製のドアを閉めると,荷台で呆然としていた。しばらくして,小窓から外の様子を伺ってみると,救急車両も到着したようだった。

 「無事だといいけどなあ…。」

 そのように呟きながら,ヘッドフォンをして,朝倉からの連絡を待つのだったが,朝倉からの無線連絡は一切入ってこず,見かけのAVのあえぎ声が聞こえるのみだった。

 手持ち無沙汰であった悟志は,『ジーマスターとして待機することも大事だよな。』と自らに言い聞かせ,そのままAVの視聴を続けてしまうのだった。

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