第2話 これが愛じゃないのならば、

「で、結局別れちゃったってこと?」


「まぁそうね」


「もったいねー! 高嶺の花じゃん。早乙女さんって、ほんと、白百合の花が立ってそこにいるような女の子が自分のこと好きじゃないからって? まぁ、分からなくはないけど、それでも良いっていうのは無かった……のか、ごめんな」


 無神経にズカズカという同じゼミの隼人は、こういつも無神経にズカズカとものを言ってくる。


 そこに救われたところもあるっちゃあるのだが、今は本当にいらないセリフなのである。


「すまん」


「いや、いいって。……お前には勿体なかったんじゃないのか。他にも良い女はいるって」


「……お前、慰めになってないぞ」


「すまん」


 隼人はそれから何も言わなくなった。何かを言いそうになるたびに、気まずそうに口をパクパクさせる。彼なりに気を遣っているのだろう。


 ただ、上手い励まし方が見つからないだけ。


「合コン行くか?」


「……お前本当に励ますのが下手くそだな!」


「だって、わかんねぇんだもん!」


「おまえっ、いやほんと、お前な……。いい、隼人、とりあえず飯を奢ってくれ」


 ぱあっと表情を明るくする隼人。隣で気まずそうにされるよりは良い。……面倒だ。


「分かった! よし! 今日は俺の奢りだ!」


「よし! 焼肉だ!」


「えぇ! 俺、そんなに金持ってないんだけど!?」


 うだうだ考えていても仕方がない。


 そう分かってはいる。ただ、失くした時間が膨大で今は立ち直れないだけ。


 それはおそらく向こうも同じ。


 今、それを考え続けても仕方ないじゃないか。



 ◆◇◆◇◆



「あ」


「へ?」


 昨日ぶりの再会は焼肉屋だった。


「オーダー取ります。えっと、ご注文は……」


 そう立ち膝から顔を向けた彼女は、昨日別れた彼女だった。

 いつも隣で嗅いでいた石鹸のシャンプーの香りが、鼻をくすぐり懐かしく思う。


「あ!? 早乙女さん! ……ここがバイトなの?」


 ドギマギした様子の隼人が、気を遣ってか口を挟む。


「うん、何個かバイトを掛け持ちしてて。ここはその中の一個。このお店はあんまり入らないから……たぶん、知らなかったよね」


 隣で隼人の目が泳いだ。


 隼人が知らないのは無理もない。


 そして、彼女のいう通り、四年付き合った彼氏の俺でさえも彼女がここでバイトをしていることを知らなかった。


「出る」


「えっ、ちょっと!」


 隼人が止めるのを振り切って、俺は湧き上がった感情のまま店の外に出た。


 隼人がここで彼女が働いてることを知らないのは無理もない。


 けれど、彼氏だった俺でさえも知らないのは、屈辱だった。


「……くそッ」


「……ごめんな」


「謝るな」


「ごめん」


 自分がただ嫌な奴になっていくような気がした。彼氏だったのに知らなかった。彼女は言わなかったのか、俺が聞かなかったのか。

 知らなかったこと、それが辛くて。

 ただ、その感情がおそろしく幼稚でわがままだってことが腹立たしく惨めだったのだ。


「どうする?」


「……俺って、彼女のこと知らなかったんだな……」


「いやそれは仕方ないだろ。恋人だからって何でも知れるわけじゃないぞ」


「そうなんだけどさ」


 隼人が言ってることは正しい。


「でも、……さ」


 俺はたぶん幼稚だ。


 カッコ良くなんてない。ただ勝手に劣等感で彼女を苦しめてるだけ。逃げてるだけ。


「俺、カッコ悪いな……」


「カッコ悪くなんてないよ!」


 背筋がビクッと震えるのを感じた。

 振り返ると息を切らして立ち止まる、彼女がいた。


「カッコ悪くない! いつきは、……ふぇ……ふぇ……カッコいいんだから……!」


 泣き顔は、朝露に濡れて愁う白百合のよう。

 真っ白くてすべすべとした手も、艶々と天使の輪っかができた肩にゆったりかかる黒髪も、触れると柔らかく艶がある唇も、……すべて。


 美しい人だった。


 天使というものがこの世にいるならば、きっとこの人のことを指すだろうと、恋焦がれ憧れた相手だった。


 玉砕でも良いや。


 気づけば目で追ってしまう彼女のことを、勢いのまま告白をして、そして受け入れてもらえた。


 そんな彼女は俺の隣にいながら、俺を見ることはなく……終わったはずだった。


 ねぇ、貴方は俺のこと見てないでしょう。


 必死に頑張っているのは分かる。

 けれどそんなに頑張らなければ、俺のこと好きになれないんですか?


 そんなに魅力ないかな。


 きっと、問い詰めるのが怖かったんだ。


 見ないふりをした。


 見なければ、知らないと同然。気づかなかったと笑って過ぎ去って仕舞えばどれほどいいだろうか。


「一樹くんは、かっこわるくなんてない!」


 彼女がそう叫ぶのだ。


 いつもは囁くように落ち着いた声の彼女が。


「私だって、好きになりたかったよ! でも、どうしても、好きになれない。手を繋いだって、恋愛小説みたいにキュンキュンなんてしないし、キスだって、ただ唇が触れ合うだけじゃない。どうしても、どうしても、貴方のこと好きになりたかった。でも、どうしても、私は恋愛というものが分からないから、恋愛って、そんなものじゃないと思うから、だから、だから、……」


「なんでだよ」


「……これが恋じゃないなら、愛じゃないなら、なんだっていうの?私は貴方のこと恋人として好きじゃないけれど、あなたとずっといたいし、好きになりたい。恋愛とは、なんなのかを、」


「なんで今更そんなこというんだよ」


「これが、愛じゃないならなんだっていうの」


「それが好きだってことだろう」


「違う、多分違う。だって、私、好きなのにあなたと手を繋いでもなんも感情が違わないし、キスしても何がいいのかわかんないんだよ」


「……っ」


 彼女がいう言葉はきっと本音だ。

 恋愛なんてない。けれどそこにあるのは、恋愛よりもずっと重いものじゃないだろうか。


「でも、ずっと一緒にいたい。貴方のこと、恋愛的に好きになれないけど、でも、それでも」


 実は気が強くて、自分の意見をストレートに伝えるたちで、それゆえに周りに誤解されやすい彼女。

 彼女はそれを悪いことだと言っていたけれど、それを全て俺は好きだった。


「これが愛ではないならば、か」


 これが愛じゃないなら、一体なんだというのだろう。


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