第10話

「……終わったよ! みんな、お疲れ様!」

「は~ 今日もすごかったな……」


 恵梨えり姉さんが印を消すまでを見届けて、ようやく全員が緊張を解く。

 この印を消すという行為自体は、別に恵梨姉さんが必ずしなければいけないということはないし、他のみんなでも出来るものだ。僕も何度かやらせてもらったが、お行儀よく静かに消去するわけではなく、神通力を印に思い切りぶつけることで印を破壊したという感覚が強い行為だった。僕がした時は、印の現れた箇所を凍らせたら消え、恵梨姉さんの場合は件の箇所を神通力で燃やして消しているため、毎度壁や樹木に損傷がないかと少しばかり肝が冷える光景が広がるから、見るのもやるのも少し苦手だ。


「最近、妙に数が多いわね……まるで、お父さん達の全盛期みたい」

「あの時は、町中妖怪だらけになったんだっけ? 流石にそこまで多くはないけど、露骨に数は増えたよね」

「ここまで増えるなんて、流石に異常だな……何か、原因があるのかも」


 最近、印の見つかる頻度が高く妖怪の数も増えていたとはいえ、今日集まっていた妖怪の数は前回よりも更に多かった。流石にこれ以上増えられては困るものの、一体何が原因で増えているのかも分からず、皆が皆疑問と困惑を隠せず首を傾げるばかりである。真っ向から妖怪の増加を体感していた悠真ゆうまが溜息を漏らすのも、無理はない。

 僕らも妖怪がこうして現れるようになった原因自体は把握しているのだが、その増減の理由までは皆目見当がつかない。何かあるとすれば、妖怪出現の原因の方にあるのかもしれないという地点に行きついたところで、誰もがその思考の先には行けなかったのである。この辺りの詳しい推理をするには、僕らに与えられた情報は少な過ぎた。


ひーくんの参戦祝いかもなぁ」

「あはは……あんまり嬉しくないなあ」


 そんな八方塞がりな現状に沈みかける面々の気持ちを晴らすように、笑いながら冗談を口にする最年少の気遣いときたら、お見事と言う他ない。巻き込まれたひいろこそ有り難みの無い閃きに対し苦笑していたものの、それによって重苦しい空気が払拭されたのは事実だ。

 姉さん達も、おもむろに視線を合わせ「この話は後でにしよう」とでも言いたげに肩の力を抜く。


「どうだった、緋。やっていけそう?」

「うん、大丈夫だよ。もっと力を上手く使いこなせるように、頑張るね」

「頼もしいな~! でも、怪我には気を付けてね。キミがあたしたちの生命線なんだから」


 今回、僕が力を分け与えたことは、皆には黙っておくよう緋には固く約束させていた。

 誰かの助けを借りるほど消耗するなんて、恥とまでは言わないが、あまり褒められた行為ではない。姉さん達がふたりきりで戦っていた頃でさえ滅多にあることではなかったと聞いているから、いくら妖怪の数が増えて緋が初陣だったとはいっても、自己管理が出来ないと言われても仕方のないところだ。僕がこれを他言無用としたのも、その辺りの理由があった(莉花りか姉さんには気付かれているかもしれないけれど)。戦いに出る以上そういった注意は必要だが、今回に限っては僕一人で窘めておこうと思ったのだ。



あおい、どうしたの?」


 そんな皆の話を聞きながらも、僕は一方向を注視していた。とあるものが、気になって仕方なかったからだ。

 それは、僕らを窺い見る視線のようにも、僕を呼ぶ声にも感じるが、恐らくそのどちらでもない。そんな不可思議な感覚に気を取られ、莉花姉さんの接近に気付けない程に僕はそれに集中してしまっていたようだ。凛としつつも優しさを感じる穏やかな声に呼ばれ、思わず肩が跳ねそうになるほど驚いてしまった。


「そっちに、まだ何かいる?」

「……ごめん、ぼうっとしてた」

「そう? 今日は随分と気を張っていたみたいだから、ちゃんと休むのよ」


 二日前にも感じたこの感覚について、姉さんにどう伝えたものかと悩んだが、僕自身ですら明確に理解できない現象について、他の誰かに感じるままを正確に伝えられる自信はない。視線を感じるといっても、僕が認識できる距離に何者かがいる気配はない。呼ばれているといっても、声が聞こえるわけでもない。

 故に僕は、今のところは何でもない振りを通すことにした。確信のない感覚的なものを口にしたところで、解決に至るかも分からないし、余計な不安を煽る可能性もなくはないのだから。


「反対していたみたいね、緋のこと」

「……それ、緋に聞いた?」

「あの子は貴方を悪くなんて言わないわ、碧が分かりやすいの」


 僕自身は家族と悠真以外に愚痴を零した記憶がないのに、何故か姉さん達に知られていた緋の参戦を渋っていた事実は、緋や悠真が口外したものではなかったらしい。母さんやおじいちゃんから伝わった可能性も視野に入れていたが、そんな事をしなくても僕自身が分かりやすくそれを表に出していたと言われたら、もう何も言えなくなってしまう。

 言葉に詰まった僕を笑いながら、姉さんは緋達を眺め目を細める。彼女は、既に決まっていた筈の僕と悠真の参戦すら望んでいなかったのだ。僕の今の気持ちも、きっと分かってくれているのだろう。


「碧の言いたいことも分かるのよ。私も、都萌ともえを戦いに駆り出したくないもの。恵梨も、悠真だってそう。だから、貴方のことは責められない」

「うん。緋の意思を蔑ろにしたいわけじゃないし、僕ばかりが文句を言っても仕方がないのは分かるんだ」

「本当に、ままならないものよね……でも、こうなってしまった以上は、信頼してあげましょう。それも兄弟として、共に戦う仲間として、大事なことだと思うの」


 言わなくても分っているだろうけれど、と微笑みかけてきた姉さんは、再び緋達に視線を向ける。月明かりの影になり、その表情の細かな変化は分かりづらいが、緋達を見つめる莉花姉さんは笑っているようには思えない。それでも、深くを言及してはいけないと感じ取り、僕は相槌以上の言葉を口にすることが出来なかった。

 僕だけでなく、姉さん達と悠真には妹がいる。彼女達が今回戦いに出てこないのは、なにも全員が中学生だからではない。僕らが全滅した時の保険として、控えていてもらっているからなのだ。だからこそ、僕の弟である緋には彼女達を率いる役割を担ってもらう選択肢もあったのだが、本人はそれを拒んだのである。

 自分達が全力を尽くして解決すれば、彼女達が戦う必要もなくなる――と、言って。

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