第12話 報

「歌えない……!?」


「ええ、これ以上喉に負担をかけると2度と声を出せなくなります」


 倒れて病院に運ばれ、そこで医者に聞かされたのは衝撃的な事実だった。


「……どういう……ことですか……?」


 掠れ空気が擦り切れたような声で俺は医者に尋ねる。

 病院で目を覚ますと俺はこんな今までと似ても似つかない声になっていた。


「簡単に言うと歌いすぎです。これまで喉を休ませることなくほとんど毎日歌ってきたんじゃないですか?」


「それは……」


 心当たりはある。舞が死んでから俺は黙々と歌い続けてきた。

 舞の死を直視したくなくて、それから逃げるように歌に努力を注ぎ込んできた。

 彼女の望みを叶える、それが俺の唯一の目的で、他に寄り道している時間は惜しかった。

 1度目の人生では成功することはなく、その焦りもあった。

 俺には才能がない。それならば、人並み以上に努力しなければならない。1度目の人生の時よりも。

 それは酷く辛く大変な道のりだと分かっていた。

 だが、彼女のためなら、そう思うと自然と前を向いて何度も繰り返して努力し続けることが出来たのだ。

 その結果、1度目の人生では叶わなかった歌手になるという夢も叶いそうなところまで来たのだ。


「歌いすぎによって喉というより声帯が非常に痛んでいます。ここまで悪化するよりも前に来ていただけたなら、自然治癒出来たのでしょうが、ここまで悪化しているとなると、治るのは難しいです。現状を維持して悪化しないようにするのが精一杯です」


「そんな……」


 受け入れ難い事実を次々と話す医者。

 それは俺にとって死刑宣告にも等しい暴力であった。


「俺、来週末に歌の収録があるんです!やっと掴めたチャンスなのに、諦めろっていうんですか!?」


 やっとここまで来たのに……。

 やっと夢叶えられるところまで来たのに……。

 理不尽だ。あまりに理不尽だ。

 現実は理不尽だというが、それしても酷すぎるだろ。なんで……。


「残念ながら……」


 俺の切実な訴えにも、医者は無情にも首を振るだけだった。


「くれぐれも大声を出さないように。今度無理すれば、二度と声が出なくなりますから」


 一瞬見えた光の道を閉ざされ途方にくれる俺に、医者はそう言う。

 俺はのっそりと立ち上がり、とぼとぼと歩いて病院を出た。


「……はは、雨じゃねえか……」


 擦れ淀んだ声で俺はポツンと呟く。

 病院のドアを開けると、外は土砂降りの大雨だった。

 灰色の空に濁った雨。道路は水が溜まり、白くしぶきが立っている。


「……まあ、いいか」


 絶望を前にして何もやる気が出ず、俺は雨の中何もさすことなく歩き出した。

 歩き出す足取りは重く遅い。

 雨水が前髪からした垂れ落ち、顔を伝って流れていく。

 濡れてシャツが肌に張り付いて気持ち悪い。

 靴の中までぐっしょりと水が染み込み、その重さにますます歩みは遅くなる。

 すれ違う人が俺を奇異な目で見て、過ぎ去って行く。

 

「……くそっ」


 何度聞いても慣れない自分の声。

 痛んでいた声帯が胃酸や血液でさらに悪化したらしい。

 言いようのない苛立ちが沸沸と心のうちで募っていく。

 

「……くそっ……くそっくそっくそ!!」


 なんで俺がこんな目に合わなければならない。

 あと少しで夢が叶うところまで来たのに……。

 休むことなく歌ってきたことが原因だって?そんなのどうしたらよかったんだよ!

 夢を叶えるために必死に努力してきたのに、それが原因で夢が叶わなくなるなんてどんな皮肉だよ……!!

 

 やるせない。やりきれない。この世は理不尽だとしても、あまりにも酷すぎる。

 努力は報われないとするなら、夢なんて見せないでほしい。

 叶わないなら最初からそう言えよ!


 過程は結局過程でしかなくて、頑張ったから良いというわけではない。結果を残して初めて自分はやり遂げたと言えるのだ。

 結局、俺は何も成し遂げていない。1度目の時以上に努力して必死に取り組んだとしても、何も残せていないならそれは、無意味な人生だったということだ。


 彼女と出会えて俺は変われたと思っていた。彼女の想いを継いで、俺は前を向けたと思っていた。

 でも結果はこれじゃないか。愛する人を失いその想いも叶えられず、自分の夢も届かない。

 はっ、笑えてくる。どこの道化だよ。なんて無様だ。

 結局何も変わっていないじゃないか。2度目の人生に一体なんの価値があったんだよ。

 夢が叶えられないなら、なんで神様は俺に2度目の人生を与えたんだよ……!!


「……ちくしょう!!!!」


 医者に二度と大声を出すなと言われたが、あまりの苛立ちについ大声が出る。


「っ!?」


 自分の大声が普段と変わらない声になっていることに気付く。


 なんだこれ?!声が元に戻ってる!?


「……あ、ああ」


 恐る恐る普段の話し方をしてみるが、今度はまた擦れ枯れた響きのない声になっている。

 

 俺はある可能性に気付き、歌い出した。


「〜♪」


 声が出る。音になる。聞き慣れた俺の声。ずっと聞いていた大事な声。彼女が褒めてくれた大切な声。


「〜♪っゴホッ」


 歌い続けると、喉がズキッと痛み思わず咳き込んでしまう。


 やったぞ!歌声が出た!


 信じられない事実を前に、歓喜に震える。

 喉を振り絞って歌えば、いつもと変わらない歌声を出せる。

 その事実は、閉ざされた奇跡への一本の道のりを輝かせた。

 願いが叶う。彼女の想いを叶えられる。俺の夢を叶えるチャンスがまだ残されていた。

 

 だが、夢を叶えるためには声を振り絞らなければならない。それはつまり、声が出なくなるということだ。

 そんなこと構うものか。やっと見つけた最後の道筋だ。これを逃すわけにはいかない。


 もう終わったと思っていた。夢を叶える機会はないと思っていた。努力など一切報われないのだと諦めかけていた。

 だが残されていた可能性があったのだ。


 彼女のためにこの2度目の人生を捧げると誓った。今彼女への恩を返さなければもう二度と返す機会は無くなってしまう。

 それなら……俺の声を失うことなど怖くない。きっとこれが俺が二度目の人生を手に入れた意味だから。


 ーーーー絶対に与えられた最後のチャンスを掴んでみせる。


♦︎♦︎♦︎


「では、音方さん、レコーディング始めますね」


「……はい」


 慣れないスタジオ。はじめての景色。こんなにじっと見られながら歌うなんて、緊張で声が震えてしまいそうだ。

 だが失敗するわけにはいかない。必ず成功させてみせる。

 

 息を吸う。喉にチクリと痛みを感じながらも懸命に肺に空気を送る。


 お腹に力を入れる。喉を振り絞る。声を歌として想いとして吐き出すために。


 そして、一気に俺は歌い出した。


「〜♪」


 ズキリッと痛烈な痛みを感じながらも、歌を絞り出す。

 これが最後だから。上手くいっても失敗してもこれで終わりだから。

 もう悔いは残さない。ありったけの力を振り絞って俺は歌い続ける。

 届け。届け。届け届け届け。この想いを。彼女が作ったこの曲の魅力を。


 彼女はいたんだ。彼女は確かにこの世に生まれて懸命に生きていたんだ。

 時には笑って、時には拗ねて、時には不安に震えて、それでも前を向き続けて進んでいたんだ。

 彼女はこんな簡単に死んでいい存在じゃなかった。もっと長く生きるべき人だった。


 彼女ほど強く死と向き合っていた人間はいないだろう。死を前にしても絶望せず折れそうになっても挫けず、前を向いて人を助けて癒して笑わせてくれて。


 彼女は輝いていた。眩しく綺麗で明るくて朗らかで太陽みたいだった。

 彼女のその明るさにどれほど救われたことか。癒されたことか。慰められたことか。


 でもそんな彼女はもういない。一瞬でいなくなってしまった。俺が想いを伝えるよりも前にあっさりと消えてしまった。

 今でも俺はあの時のことを後悔している。

 なんで伝えなかった。たった少し追いかけて、捕まえて向き合って想いを言うだけだったのに。

 

 だが後悔しても仕方ないんだ。もう過ぎてしまったことなのだから。

 後悔したところで彼女はもう生き返らないし、俺の前に現れない。

 生きている俺が出来ることは、前を向いて彼女に認められたこの歌を大事にすることだ。

 この歌声で彼女が唯一残してくれた曲を広めることだ。


 彼女は言っていた。本当なら何かこの世に自分が生きた証を残したかったと。

 その願いを聞いた時点で俺には叶える義務があったのだ。

  だって……俺は彼女の彼氏だから。たとえ偽物だとしても俺は彼氏だから。愛してるから。

 好きな人の願いは叶えるものだろう?


 やっと掴んだチャンス。最初で最後のチャンス。俺1人ではたどり着けなかった。彼女と関わって前を向くことができて、彼女の願いを叶えなきゃって思いがあって、初めて俺は今この場所に立っている。

 今の俺の人生は彼女との出会いから始まった。彼女と知り合い向き合って、彼女の影響を受けて、変化して今の俺がいる。


 彼女の存在がどれほど大きいか。歌えば歌うほど実感する。

 彼女と出会えてよかった。彼女を好きになってよかった。彼女と両想いになれてよかった。


「〜っ」


 ズキリと強い痛みが喉に走る。胸の奥から熱い何かがこみ上げてくる。口の中で鉄の味が広がる。


 まだだ。まだ保ってくれ。まだ終わってない。まだ歌い終えていない。

 苦しい。気持ち悪い。吐きたい。倒れたい。だがまだ意識を失うわけにはいかないんだ。


 どうだ。彼女の作った曲は凄いだろ。これほど魅力的で、受け取り側で音色が変わって、人を不思議な気持ちにさせる曲なんてどこにもない。

 何度歌ってもこの曲は捉え所がない。だが強さはあって一つのイメージだけは必ず浮かんできて、強烈なメッセージだけは脳の芯にグサリと突き刺さる。

 さあ、聞け。そして心に残せ。強く忘れるなんて許されないくらい強烈に記憶に刻みつけろ。彼女の作ったこの曲を。

 

 俺の人生をかけた最大最後の願いを叶えさせてくれ。

 声を失おうがかまわない。彼女に受けた恩を返せるならいくらだって払ってやる。どんなことでも犠牲にしてやる。

 俺の時間全てを歌に捧げてきた。必死に努力してきた。ただひたすらに歌だけを続けてきた。

 努力が報われるというなら。幸運と不運が釣り合っているというなら。この世に叶わないことはないというなら。


 たった一つでいいんだ。たった一つ、この願いだけでいいんだ。他は何もいらない。何か欲しいというなら全部からてやる。

 だから、だから……。


ーーーーどうか、この曲が全ての人の心に残りますように。


 ぐわんっと頭が揺れ、俺は意識が途絶えた。




 

 

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