第16話 廉二郎 一
鬼の躯を葬ると既に日は傾こうとしていた。
「これから、どうしますか?」
黙々と土をかける手を止め、初音は雷蔵を見上げた。
光念の読経もやみ、茂助も雷蔵の言葉を待っている。
「俺がしようとしていることは、たぶん、修羅の道だ」
雷蔵は赤い日をみつめる。
「本当に正しいという保証はない。それに、正しいとしても、命の保証はない」
遠くでカラスの鳴く声がしている。おそらく、山へ帰るのだろう。
「それでも俺は、命緋刀を手にしようと思う……ついてきてくれるか?」
「はい。父も、そうすると思います」
初音は頷く。
「失敗は許されない。そして、二度と元の生活には戻れない」
命緋刀を手にするということは、領主の座につくということだ。失敗しても、成功しても、もはや生活は一変する。
「この五年、ずっと自分がどうしたらよいのかを見失っておりました」
光念が口を開く。
「老いた身で、役に立てるかどうかわかりませんが、出来る限りのことは致しましょう」
「助かる」
雷蔵は、僅かに口元をゆるめた。
「我らは、四谷さまに仕える身。初音さまがお決めになったのであれば、それに従うまでにございます」
茂助が、そっと頭を下げた。
一度、屋敷に戻るという雷蔵についていくべきかどうか、初音は迷った。
もちろん、鷺にいる人間だけでは、事をなすことは不可能だ。武家の人間で、雷蔵についてきてくれる者も必要だし、屋敷の方で手配したいこともあるだろう。
初音は雷蔵の部下ではない。雷蔵が命緋刀を手にするのであれば、その隣に立つのは、本来父の左門のはずだし、父が無理なら、別の人物の方が良い。
「初音どのには、俺を監視して欲しいと言ったはずだ」
雷蔵は、初音の迷いを知ってか、そう告げた。
そばにいたところで、初音に何ができるのかわからない。だが、少なくとも護衛くらいはできるはずだと、初音は思い直し、ついていくことに決めた。
雷蔵の屋敷は、城下町の賑わいからは、離れた位置にあるらしい。
竹林の中に伸びる道は、昼間だというのに、人通りはなかった。
ざわざわと、渡っていく風。しかし、何か胸騒ぎがする。
初音は意識を回りに向けた。
視線だ。
「無視しろ。視線が合えば、かえって面倒なことになる」
ぼそり、と雷蔵が告げる。
「……わかりました」
ということは、雷蔵には心当たりがあるのだろう。初音は意識を閉じる。
竹林を抜け、やがて、屋敷の土塀がみえてきた。
「いいと言うまで、声を出さないでくれ」
雷蔵の言葉に、無言で頷く。
声を出しては女だと悟られてしまう、ということだろう。
昼間だというのに、木戸は閉められている。
雷蔵が戸を叩くと、誰何の声が中からした。
「杉浦だ」
雷蔵が告げる。
ーー杉浦?
初音は、声を上げそうになったが、雷蔵は表向きは、
戸が開かれた。
「どうぞ」
使用人と思われる男は、客人を招くように頭を下げる。雷蔵もよそよそしい態度で軽く頭を下げてから、戸口をくぐった。どうやら、雷蔵の『配下』がたずねてきた、ということになっているのだろう。初音は無言で雷蔵の背に続いた。
玄関に入っても、雷蔵は無言だ。すげかさはとったものの、案内されるがままに奥の座敷へと向かう。
屋敷の中にまで、監視の目があるのだろうかと疑うほどの徹底ぶりだ。
部屋は壁に囲まれていて、一か所だけ襖になっている。外光はなく、昼間だというのに行灯の灯が入っていた。
「こちらでお待ちを」
男が去り、雷蔵と初音は、座敷に腰を下ろした。
ほどなくして、襖がすらりと開き、男が入ってきた。背格好と年齢は、雷蔵と同じくらい。上等な着物を着ている。
顔は、端整といってよいが、眉がかなり太い。
「お帰りでは……ないようですね」
男は肩をすくめ、腰を下ろした。
「……変わりはないか?」
雷蔵は、答えずに問いかける。
「そうですね。田宮の背後をさぐっていた者から、どうやら水橋家ではないかという連絡が入っております」
「そうか」
雷蔵は顎に手を当てて頷いた。
水橋家が田宮を動かしていたということは、完全に命緋刀を探してのことだったのだろう。辻褄はあう。
「それから、最近は、監視がきつくなっております。病を理由に断っておりますが、城から召喚状も来ております」
「召喚状?」
「横目の調査について、手心を加えて、真実を遠ざけた咎とかなんとか」
男は、苦い顔をした。
「そうか」
「真実から遠ざけたのはどちらかと、抗議したいところです」
男は納得いかぬようだ。真実など探らせたくないからこそ、奉行の座をはく奪し、謹慎処分をくらわせておきながら、さらに、咎を負わせる。どう考えても不条理だ。
雷蔵は息を吐いた。
「詮議をするつもりなど、ないだろう。よくて追放、悪ければ、死罪だ」
「そこまでするでしょうか?」
男は、顔をしかめた。
「四谷左門と俺が親しいことは、すでに知られている。ということは、俺と左門が接触する前に、俺をこの国から追い出したいと思っているはずだ」
言いかけて、雷蔵は耳を澄ました。
廊下を渡ってくる足音だった。
「お茶を」
「ああ」
雷蔵が返事をすると、すらりと襖が開き、若い女が現れた。
女は、丁寧に頭を下げ、襖を閉じる。盆には、湯飲みと茶請けの饅頭がのっていた。
「久しいですね、姉上」
雷蔵の言葉に、女は、微笑みながらも眉を少しだけ吊り上げた。目のあたりが雷蔵と似ている。
「まったく、いつまでほっつき歩いているのですか。身代わりの杉浦さまがお気の毒です」
ーー杉浦?
初音は、びくんとした。そういえば、入り口で雷蔵が名乗った名は、杉浦だった。
つまり、雷蔵は、目の前の杉浦という男を替え玉にして、屋敷から出ていたのだろう。確かに遠目から見れば、似てなくもないかもしれない。
「そうですな」
雷蔵は微笑する。
「もっとも、杉浦さまは、雷蔵と違って、規則正しい生活をされておりますし、人に気遣いのできるかたですから、一緒に生活する身としては、雷蔵といるより楽ですけれど」
梅は湯のみを差し出し、そっと座る。言葉はともかく、表情は柔らかい。
仲の良い姉弟なのだろう。
「杉浦、姉の
「……めっそうもございません」
男はぶんぶんと頭を振った。
いくぶん、頬が赤いように見えるのは、気のせいだろうか。
「雷蔵、それで、そちらのかたは?」
梅が初音の方を見て首を傾げた。
「四谷左門の娘の、初音どのだ」
「え?」
男は驚いた顔をした。
「左門さまのご息女?」
梅も驚きの顔をしている。
「……初音です」
初音は静かに頭を下げた。
「初音どの、姉の梅と、俺の身代わりを務めてくれている杉浦廉二郎だ」
雷蔵が二人を紹介する。
ーー杉浦廉二郎。
初音は、男の顔を見る。男もまた、初音を見ている。
顔を見るのはお互い、初めてだ。
「……どうかしたのか?」
不思議そうに、雷蔵が初音に問いかける。
ーーそうか。
初音は納得する。雷蔵には、許嫁がいるという話はしたが、許嫁の名前までは言っていなかった。父も、廉二郎も、雷蔵には話していなかったのだろう。
「意外な取り合わせですね」
廉二郎が感想を述べる。
「左門を探していて、出会ったのだが……いろいろ助けてもらっておる。ああ、そうか。杉浦の家と四谷の家は、親類だったな」
雷蔵が得心したように頷く。
「面識が?」
「いえ……お会いするのは、初めてです」
初音は、丁寧に頭を下げる。廉二郎の方もぎこちなく、礼を返した。こんな場所で、こんなふうに出会って、どのように相対するのが正解なのか、初音にはわからない。それは、廉二郎も同じようだ。
「それで、四谷さまは、みつかりましたか?」
廉二郎は、初音と雷蔵を見やり、遠慮がちに雷蔵にたずねた。
どちらに聞いた方がいいのか、迷ったのかもしれない。
「見つかりはした……意識はない」
雷蔵の言葉に、廉二郎と梅の顔が曇った。
「しかし、左門の探っていたものは、わかったと思う」
雷蔵は大きく息をついた。
「私は、席を外した方がいいかしら?」
梅は雷蔵の表情にただならぬものを見たのだろう。そっと立ち上がろうとした。
「いやーー姉上。姉上にも話があります」
雷蔵は姿勢を正す。
「俺が探っていることは、この国の禁忌となるものです。そして、真実がどこにあろうとも、退くことはかなわぬところまできてしまいました。ですから……姉上は、早々にこの屋敷を出て、国を出るなり、寺に身を寄せるなり、していただきたい」
「私がいると、雷蔵の邪魔になるかもしれないということね」
梅は静かに頷いた。どこかで、こうなることを予見していたかのように、落ち着いている。
「縁座することを恐れる私ではないけれど、私が盾にされて、雷蔵の妨げになるのは本意ではないわ。わかりました。準備が出来次第、出立しましょう」
「すみません」
雷蔵は静かに頭を下げ、視線を廉二郎に移す。
「廉二郎、姉上につきそって安全な場所へ送り届けてやってくれ」
「それは、構いませんが……こちらの屋敷はどうなさるおつもりで?」
廉二郎は、謹慎中の雷蔵の身代わりだ。
廉二郎がこの屋敷にいたからこそ、雷蔵は好きに動いていた。
「しばらくこの屋敷には俺がいる。頃合いを見て、俺は動く」
「雷蔵さま?」
廉二郎が驚きの表情を浮かべた。
「正しいかどうかはわからん。だが、もう決めたことだ」
雷蔵は力強くそう言った。
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