第14話 作造
藍町は、庶民の長屋が数多く並ぶ区画だ。
商家などは離れているため家賃は安いが、水の便は悪くない。
ここに住む多くのものは、商家に通いでつとめていたり、雇われ職人が多い。
したがって、この時間にいるのは、幼子と主婦がほとんどだ。
二本差しの雷蔵と、初音の姿は、かなり目立つ。長兵衛長屋と名付けられたその長屋の木戸をくぐった途端、二人は視線を感じた。
とはいえ、面と向かって声を掛けるものはない。コマに興じる子供も手を止めて、二人の方をじっと見ているが、見ているだけだ。かなり警戒されている。
「ちと、ものをたずねるが」
雷蔵はかぶっていたすげがさを取り、井戸のそばで青菜を洗っていた女性に向かって声を掛けた。
女は緊張してこわばった顔で頷く。それほど強面ではない雷蔵ではあるが、無精ひげが伸び放題になっているから、その反応は当然であろう。
「作造という男がここに住んでいると聞いたが」
「へ、へえ、あちらの奥の家です」
女は警戒しながら指をさす。
「あ、あの、作造さんが何か?」
「いや。山でケガをしたと聞いてな。その時の様子を聞こうと思って、来ただけだ」
できるだけ優しく雷蔵は笑んで見せる。その目に柔らかい光を感じたのであろう。その顔に女はほっとしたようだった。
「作造は、所帯持ちかね?」
「いいえ。おひとりです。ただ、ケガをしてしばらくは、妹さんが面倒を見に来てくださっていたようですが、最近は時折来られるだけになりました」
「そうか」
つまりは、当面、一人でそれなりには生活できるようになった、ということであろう。
「まだ、お仕事できるまでにはなっていないようですけど」
女は心配げに答えた。
女の様子から、作造は近所づきあいは悪くないのだな、と初音は思った。
「ありがとう」
雷蔵と初音は女に頭を下げ、教えられた家へと足を向けた。近所の者たちの好奇と警戒の視線は感じているが、先程より柔らかになったようだ。訪問先がわかったことで、多少安堵したのであろう。
作造の家の戸は、ピタリと閉まっていた。家の中から音がしているので、留守ではないだろう。
「作造」
雷蔵が声をかけた。
「開いてる。誰だい?」
低い男の声が返ってきた。見知らぬ人間の声に警戒しているようだ。
「横目奉行の塩野だ。少し話が聞きたい」
「どうぞ。あっしは歩くのがままならないんで、開けて入ってくだせえ」
「入るぞ」
雷蔵は戸に手をかけた。たてつけが悪いこともあり、ガタガタときしむ音をたてる。
入口は三和土になっていて台所を兼ねた作りで、一段高い奥の居住空間に、男は足をのばしたまま座って、栗の皮をむいていた。かごには山積みの栗が置いてある。
部屋に入ると、初音は戸を閉めた。奥にある窓のおかげで、部屋はそれほど暗くはない。
「お奉行さまが、何の御用で?」
作造は少し緊張した面持ちで口を開く。
やましいことがある、というわけではなく、突然の役人の訪問に驚いているという感じだ。
「突然にすまないな。仕事中だったか?」
「へえ……知り合いの和菓子屋からいただいた仕事でして。この足でも何か仕事をせねば、食っていけませんからね」
栗の鬼皮をむくというのは、かなりの重労働だが、すわってできなくはない。元の仕事にはまだ戻れないまでも、前向きに生きているのだなと初音は思った。
「少し前に、四谷左門という役人がたずねてこなかったか?」
「お名前までは憶えておりやせんが、お役人さまはいらっしゃいました」
こくり、と作造は頷く。
「何を聞いていった?」
「ケガをしたときの様子を知りたいと、おっしゃいまして」
作造は、ずるずると尻を引きずるように移動しながら答えた。
「お役人さま、こちらにおかけください。あっしはこの通りの状態なんで、お構いはできませんが」
「いや、気にするな。このままでいい。お前も楽にすると良い」
その言葉に作造は少しほっとしたようだった。役人相手に、高い位置で座ったままというのが、どうにも落ち着かなかったのであろう。
「その時に話したことを、話してくれないか?」
雷蔵は、話を促した。
「へえ。中島の辺りで気が付いたことについて、聞かれましたので、あっしがケガする半月ほど前に銃声を聞いた話をしました」
「銃声?」
「へえ。銃声そのものは前にも聞いたことはあったのですが、以前よりずっと大きくて、おっかなかったです。女の悲鳴みたいなものも聞こえました」
作造はブルブルと身体を震わせた。
「女の声を聞いたと思ったので、あっしと田茂吉は大声で誰かいるのかと聞きましたが、返事はありませんでした。場所的に、桟橋から離れていて、接岸もしにくい場所でしたから、そのまま通り過ぎたのですが、妙に気になって。銃声も何度もしましたし、生きた心地はしませんでした」
「銃声が近い、と感じたのだね」
「そんなわけはないんですがね。狩場はずっとずっと川から離れておりやすし。そもそも女があんなところにいることはまずありません。きっと獣の鳴き声を聞き間違えたのだとは思うのですが」
作造は言いながらも、震えている。
「それでも気になっていたから、中島に寄ったときに、見に行ったのかね?」
雷蔵の問いに、作造はこくりと頷いた。
「そういうことでもありませんが。ちょっとした好奇心というか、なんというか。物見遊山で、そっちの方角へ少し山を登って行きやした。そうしたら、藪の深いあたりで木の枝が折れていて、随分と踏み荒らしたような跡を見つけたんです」
作造は順を追うように話した。
「で、何だろうと思い、そこいらをうろうろしていたんですが。木に何かが食い込んでいるのを見つけました。どうにも不思議に思い、それをとろうと夢中になっていたら……バリボリと何かをかじるような音が藪の向こうからして……」
その時のことを思い出したのであろう。作造の顔がみるみるうちに青ざめていった。
「何を見たんだね?」
「牛……牛のような、それでいて、顔は人のような……」
作造は手で顔を覆い隠した。
「そいつは、何かを貪り食っておりました。何を食っていたのかはわかりませんが、あっしは、ぞくりとして、逃げだしたのですが、つい足を滑らせて坂を転がり落ちました」
「
雷蔵が小さく呟く。
おそらくは闇の眷属だ。下手をすれば、作造は食われてしまったかもしれない。足の骨だけで済んだのは、ある意味では、不幸中の幸いだったといえる。
「かなりな勢いで転がり落ちました。何か叫んだかもしれません。気が付くと田茂吉が助けに来てくれました」
作造はカタカタと歯を鳴らした。
「見上げると斜面の上の方の藪がガサガサと揺れておりました。あっしは、田茂吉に頼んで、大急ぎで舟に戻ったのです」
「なるほど。いやなことを思いださせてしまって、すまなかった」
雷蔵は、作造に頭を下げる。
「いえ……お役人さま、あれはなんだったのでしょう? あっしは幻を見たのでしょうか?」
「幻ではないし、幻でもある」
作造は意味がわからない、という顔をした。
「はっきりしたことはわからぬ。実はあの山について、お上で近いうちに調査することとなっている。そのような化け物がおるというのなら、そのための対処が必要だ。今日はそのために、おぬしに話を聞きに来たのだ」
「ああ、そうなんですね」
作造はほっとしたようだった。おそらく、周囲に「化け物を見た」と言っても信じてはもらえなかったりもしたのであろう。
「ところで、木に食い込んでいたものとは?」
無言でいた初音が突然口を開いたので、作造は驚いたようだった。
「えっと。そこの箱の中にあるんですが」
指をさされた先に小さな箱が長持の隣に置かれていた。
初音は手をのばして、その箱を手にする。ふたをあけると、そこには、木くずのついた黒い塊があった。すこし、ひしゃげたような、いびつな丸い金属である。
「雷蔵さま」
初音は、慌てて、中身を雷蔵へ見せた。
「これは……鉛玉?」
雷蔵は眉根を寄せる。
「前に来たお役人もそのようなことをおっしゃっておりました。あまりに怖い顔をなさったので、お持ちになりますか、と聞きましたら、しばらく預かってくれとのお話で」
「なるほど……俺が預かっても良いか?」
雷蔵の顔はいっそう険しいものとなっている。
「へ、へえ。あっしとしては、どっちでもかまわんです。ただ、なんかその辺に捨ててはいけないもののように思えて、保管していただけなので」
「良い判断だ。それから、このことは、あまり人に話さない方が良い。いらぬ事件に巻き込まれかねない」
雷蔵は、木箱から黒い塊をとると、自らの手ぬぐいにくるむとそのまま懐にしまった。
「他に、気づいたことはなかったか?」
作造は首を振った。
「いえ……前のお役人さまもお奉行さまも、同じように険しい顔なさっております。あっしはその黒い塊を持ってきてはいけなかったのでしょうか?」
「それは違う」
雷蔵は、強い声で断言した。あまりの口調の強さに、初音もびくりとした。
「すまぬ。驚かせた」
ふぅぅっと息を整え、雷蔵は頭を下げる。
「持ってきてならぬわけではない。おぬしのしたことに、非はない。そこに
「あってはならない……」
初音は雷蔵を見上げる。その目に浮かぶのは、怒りの色だ。
「世話になった。養生してくれ」
雷蔵は、作造に礼をのべ、家を出る。
ずんずんと長屋を出て歩いていく雷蔵の後を初音は追いかける。
作造が持ってきたものは、鉛玉だ。おそらく火縄銃の弾であろう。そう。ただの弾だが、何故という疑問が湧き上がる。
もちろん、禁足地ではないから、普通の猟師の流れ弾なのかもしれない。踏み荒らした跡があったということは、そのあたりで、何か大きな獲物をしとめたのかもしれない。
いや、そうではなく、撃ったのが役人たちであったとしても、窮奇や、作造の見た化け物と遭遇したのかもしれない。
でも。
初音の胸に言いようのない暗いものが広がる。
二人の聞いた悲鳴が、獣でなく本当に女の悲鳴であったとしたら?
さらわれた娘はどこへ消えたのか……そのふたつを結びつけることは、酷く恐ろしい。
前を歩いていた雷蔵は、奈波川の橋のたもとで足を止めた。
川の流れは穏やかで、橋は、今までと変わらぬように、人が行き交っている。
「俺の考えは、間違っているのだろうか」
ぽつり、と雷蔵が呟く。
「それとも間違っていてほしいと、願うことが間違いなのだろうか」
「雷蔵さま」
初音は雷蔵の傍らに立ち、冷たい光を放つ川を見つめる。
「私は、迷う雷蔵さまが好きです」
「初音どの」
初音は精一杯の笑みを作る。
「その迷いは、人として当然です。どうぞ、ご自身を信じてください。真実がどこにあるのか、まだわかりませんけど」
「ありがとう」
雷蔵表情が少しだけ和らぐ。
「大丈夫。俺は逃げない……初音どのに嫌われたくはないからな」
「はい」
雷蔵の手が初音の手に僅かに触れた。
ドキリとして、見上げた雷蔵の顔は険しかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます