第13話 佐野屋
翌朝、雷蔵と初音は鷺を出た。
意識の戻らぬ左門を任せきりというのは気が引けたが、現状、どうしようもない。
佐野屋は賑やかな商店のならぶ
各所から集まってくる荷車も目立つ。
主は、米屋であるが、酒も扱っている。
ぼてふりとのつながりもあるため、生鮮食品などを買い取り、城に納めるという仲買もやっている。
実に、商いの広い店だ。
使用人も数多いのだろう。店を出入りする人の数は、ひっきりなしで、のきさきは実ににぎやかだ。
二人は佐野屋ののれんをくぐった。
「横目奉行の塩見だが、少し話を聞きたい」
「お奉行さま?」
番頭と思われる、ひょろりとした男が驚いた顔で出迎えた。
雷蔵が奉行という肩書を持ちだしたことに、初音は少し驚いたが、考えてみれば、その方が話は早い。もっとも、
「へぇ。少しお待ちを」
ほどなくして、二人は、店の奥の座敷へと案内された。
店内で役人が聞き込みをしているというのは、店側としても体裁が悪い、ということなのだろう。
座敷からは、小さい中庭の庭園が見えた。楓町という密集地に立地していることからみると、かなり贅沢なつくりである。
二人を出迎えたのは、白髪こそ混じり始めているが、まだ活力に満ちた印象を与える男だった。
年齢は四十くらいであろうか。
男は店主の
「それでお話とは」
笑顔ではあるが、手短にしてほしいという雰囲気を隠しもせず、文太郎は二人に話を促した。
「城から米や酒の発注を受けていると思うが、中島にも届けている品があると聞いたが」
「へえ。それが何か?」
文太郎は首を傾げた。
「星暗寺への品とはうかがっておりますが」
「それは、いつからだ?」
「もうかなり前からでございますよ」
文太郎の答えに、雷蔵は頷いた。
「発注量等に変化はないか?」
「そうですね。最近は多くなりました。星暗寺の人数が増えたのか、よその店が手をひいたからなのかは、よくわかりませんが」
中島に運ぶとなると、船輸送になるので、手間がかかる。
佐野屋は自分の店で船を持っているが、そうでない店の場合は廻船屋の手配などの必要もあって、さらに手間がかかってしまう。割に合わぬと、手をひく店があっても不思議はない。
「頻度は?」
「前は、半年に一度くらいでしたが、最近は月に一度くらいですね。米と酒だけでなく、野菜なども運ぶようになりました」
「ふむ」
物資が送られているというのは、ひと月に一度、狩場に玄治が訪れているという話の裏付けになる。
「うちは、城からの発注を受けて、運んでおりますので、物資が増えた理由などは全く存じてはおりません」
「わかっている」
雷蔵は頷いた。城から発注されたのは間違いない。佐野屋としては商いであるから、引き受けているに過ぎない。事情を知るとしたら、佐野屋より、勘定方のほうだろう。
「少し前に、剣術指南役、四谷左門殿がたずねてこなかったか?」
「……はい。ちょうど二十日ほど前でしたでしょうか」
文太郎は少し思案して、答える。
「その時、何を話した?」
「はい。中島に運搬する人間はどんな風だと聞かれましたので、うちは船頭が一人、人足が一人で運んでいると答えました。もっとも、人足はそのたびに、変わっておりますが」
文太郎は言葉を切った。
「変わったことはないかと聞かれましたので、ちょうど、うちの人足の
「骨折?」
文太郎は頷いた。
「へえ。二か月くらいまえのはなしですがね。なんでも化け物を見て足を滑らせたとかなんとか。まだ仕事に復帰はしておりません。話を聞きたいとおっしゃいましたので、
「藍町の長兵衛長屋だな」
雷蔵は確認する。
「はい。あと、船頭の
「何の話をした?」
「……直接お聞きになった方が早いかと。今、呼びましょう」
文太郎は手を叩く。
ほどなくして現れた使用人に、言伝を頼む。自身は、そつなく茶の用意をして、雷蔵と初音の前に差し出した。
「四谷どのの様子などは覚えておるか?」
「ご様子ですか?」
文太郎は首を傾げた。
「田茂吉の話を聞かれて……お急ぎでお帰りになりましたね。随分と難しいお顔をされていたように思いましたが」
「……難しい顔か」
やがて、廊下を歩く足音が近づいてきて、襖の前で止まった。
「田茂吉でございます」
文太郎が入るように告げると、襖がすらりと開き、男が正座して頭を下げた。
三十代半ばといったところか。
身長はやや低めだが、鍛えられた体つきをしている。
かなり緊張しているのか、動きがぎこちない。
「田茂吉、こちらのお奉行が、お前に話を聞きたいそうだ」
「へ、へえ」
田茂吉は襖を閉めて、ひれ伏すように頭を下げた。
「先日、四谷どのが、そなたの話を聞いていったようだが、その時話したことを、もう一度話してくれないか」
雷蔵が話を促すと、田茂吉は顔を上げ、ゆっくりと話し始めた。
「えっと。作造の様子をまず聞かれました。作造は、小屋に荷を運び入れた後、少し山を見たいと言って山に入りました」
田茂吉は、船のそばで弁当を食っていたらしい。やがて、作造と思われる悲鳴に驚いて山に行くと、道から外れた場所で、斜面を転がり落ちたと思われる作造を見つけたらしい。斜面の向こうの藪に何やら大きな獣のような影を見たので、あわてて田茂吉は作造を助け起こし、船に逃げ帰った、と話した。
「作造は、化け物、化け物って言っておりました。あっしは姿を見ておりませんが、随分と大きな奴だったのは間違えねえです」
「……化け物か」
雷蔵は初音と視線を合わせる。ご禁足地の外に窮奇が二頭もいたのだ。あの桟橋付近にまで来ることだって、ないとはいえない。
「ほかには?」
化け物の目撃情報というのも、かなり強烈なものがあるが、人さらいには直結しない。
「へえ。川を渡っていて気になったことはないか、という話で」
田茂吉は、自信無さげに口を開く。
「星暗寺の件とは関係ないんですが、中島の辺りで銃声をきいたことがありまして。その時、女の悲鳴のようなものも聞こえたように思ったことがあるのです」
「人の悲鳴?」
「はい。ただ……人の姿は見えませんでしたし、念のため、声を掛けたのですが返事はありませんでした」
桟橋から離れた場所で、接岸することが不可能だったため、それ以上のことはしなかった、と田茂吉は答えた。
「あの辺は、獣の多い場所ですから、獣の鳴き声を聞き間違えたのだとは思うのですが、どうにも忘れられない声でした」
ずっと気になっていたのだろう。田茂吉は、首を振る。
「あの山は険しく、しかも狩場もあって、奥まで入り込むようなもの好きはそうはおりません。人などいるはずがないのですが」
星暗寺の僧など、ごく一部の人間しか住まぬ山で、女性が助けを求めるなんてことがあるとは思えない。
まして、銃声がしていたとなれば、狩場で獣を狩っていたのかもしれない。下手に山に入れば、流れ弾に当たる可能性もある。
そう思いつつも、田茂吉は未だに後ろめたさを感じているようだ。
「銃声は何度も鳴っていたのか?」
「へえ。その悲鳴のようなものを聞いた後も、一度。狩場はずっと遠いですから、川にいて、流れ弾に当たるようなことはないでしょうが、少々おっかなかったです」
田茂吉は思い出したように、ブルブルと身体を震わせた。
「その時、一緒だったものはいるか?」
「はい。作造ですよ。作造が怪我をする半月ほど前のことです」
「雷蔵さま」
ゾクリ、としたものを初音は感じた。
「作造が山に入ったのは、悲鳴が聞こえた場所を見に行ったのか?」
「さあ? たしかに方角的には合ってはいるようには思いますけれど」
作造は重症で、大した会話を交わすことができず、ご城下に戻っても、いまだ仕事場に顔を見せない。見舞いに行っても、事故のことはあまり話したくないらしく、詳細は聞けていない、と田茂吉は話した。
「……なるほど」
雷蔵は低い声で呻いた。
そのまま田茂吉と文太郎に礼を述べ、佐野屋を後にする。
賑やかな路をたどりながら、雷蔵の顔は青ざめていた。
「……まさか、な」
雷蔵は頭を振った。
「藍町へ」
二人は長兵衛長屋に向かうことにした。
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