第11話 命緋刀 一

「まさか」

 雷蔵の手が小刻みに震えている。

「どうしたのですか?」

 初音の声は聞こえないのだろうか。

 魅入られたように刀身を見つめる雷蔵の震えが、止まらない。薄暗い中でも、雷蔵の顔が青ざめているのがわかる。

「雷蔵さま!」

 何か危険なものを感じて、初音は鋭い声を発した。

 その声に驚いたように、雷蔵は、刀を取り落とす。

 畳に落ちた抜身の刃が、鈍く光っている。まるで、陽炎が立ちのぼっているかのように、光が揺らめいて見えた。

「……危なかった」

 雷蔵は、肩で大きく息を吸う。額には、汗が浮かんでいた。

「初音どの。すまないが、その懐刀、鞘にしまってもらえないか?」

「はい」

 初音は、刀を拾う。おそらく名のある品であろう。見事だと思う。白鞘は実戦向きではないが、この刃をおさめるには、その無垢な表情が相応しいようにも思える。

 柄を握ると、少しゾクリとする感触が全身に走った。初音は、観察するのもそこそこに、慌てて白鞘に納める。

 雷蔵の顔は、まだ青い。

「大丈夫ですか?」

 雷蔵は初音を安心させるように、小さく頷いて見せたが、少しも大丈夫そうではない。

「どういうことなのです?」

 初音は清兵衛と朱美の方に目を向けたが、二人にも心当たりはないようだった。

 当惑した表情で、雷蔵を見つめている。

「説明は、俺からするーーおそらく、二人は、いや、これは左門も知らないだろう」

「父上も?」

 初音は、懐刀と、父の姿に目をやる。

 左門は、相変わらず眠ったままだ。

「この刀は、おそらく命緋刀めいひとう。星暗寺に安置されているはずの、封印の刀だ」

 雷蔵は静かに告げる。

 初音は目をしばたたかせた。

「お寺にあるべきもの?」

 なぜ、寺にあるべきものが、ここにあるのか。

「封印のって、例の闇王のですか?」

「ああ。そうだ。にわかには信じがたいが」

 雷蔵は、首を振った。

「命緋刀が、結界の外に出ていれば、封印は弱まって当然。ひょっとしたら、もはや結界はないに等しいのかもしれない」

「……これが、そのお刀であるのは間違いないのでしょうか?」

 清兵衛がたずねる。

「間違いないと思う。昔見た時よりも、ずいぶんと穢れている気はするがな。手にしたとき、力を吸い取っていく感触があった。そんな力を持つ刀は、二振りとあると思えない」

「力を吸い取る?」

 柄に触れた時、ゾクリとした感触はあったが、初音は、そこまでは思わなかった。

「もっとも、誰の力でもいいわけじゃない」

 雷蔵は肩をすくめた。

「鞘におさまっていれば、なんともない。この刀は主がいて、主以外の男性が触れることを嫌うのだ」

「主というと、領主の塩田さまですか?」

 初音の問いに、雷蔵は頷いた。

「この刀は、契約によって、主に力を貸す。年に一度、力を注げば、闇王を封じるだけの霊力を放つ」

「これが、その命緋刀だとすれば、それを奪った父が謀反と言われるのは、わからなくもないのですけれど」

 初音は白鞘に入った懐刀を、再び神棚へと戻した。

 目に入っていると、どうにも落ち着かない気分になるからだ。

「もともとは、お寺に安置してあるべきものを、ご領主さまは、何の意図があって、持ち歩きになっていたのか不思議ですね」

「ああ。それに、艶という女とのむつみあいに、わざわざ使用していたというのも気になる」

 雷蔵はようやくおちついたらしく、顎に手をあてながら、思案に沈む。

「……艶さまの傷が、癒えるのが早いのも、そのお刀だからなのでしょうか」

 朱美が呟く。

「命緋刀がないとなれば、なりふり構わず捜すのは当然だーーだが、返したら全てが丸く収まるというものでもなさそうだ」

「探ってみる必要はありそうですね」

 清兵衛が頷く。

「寺にあるべきものが、なぜ、手元にあるのが。まずはそこからだな」

「あれは、どうするのですか?」

 初音は、神棚を見上げた。

「早いうちに寺に戻し、結界を張り直す必要はある。窮奇が結界の外まで出てきていることを考えると、猶予はあまりない。ただ、このまま寺に戻しても、たぶん、封印はうまくいかない」

雷蔵の表情は、険しい。

「そもそも、戻したところで、また持ち出される可能性が高いのではないかと」

 清兵衛が指摘する。

「いっそ、雷蔵さまがお持ちになりますか?」

「いや……できれば、しばらくここに保管してもらった方が良いかもしれん。俺は、たぶん、目をつけられているからな」

 雷蔵は言いながら、肩をすくめた。

「もっとも、長い間置いておくわけにはいかないが」

 この命緋刀が、狩場の結界を守るモノだとしたら、早急に戻さなければいけない。

 初音は、ふと、了安の言葉を思い出す。

 了安は、渇きの病を治した計都は、己の血を飲ませたという噂があると言っていなかっただろうか。

「血……」

 艶の身体を傷つけ、塩田は血をなめていたという。

 それは、ひょっとして……。

「渇きの病の治療だった?」

「何?」

 初音の言葉に、雷蔵が目を丸くした。

「どういうことだ?」

「いえ……計都という僧がした治療と、艶さまとのお話は、よく似ているのではないかと思ったので」

 初音は慎重に答えた。

「……なるほど」

 刃で傷をつけ、血をなめるという、一点ではあるが、共通項はある。

「そもそも、渇きの病というのは、結界を張るのをやめなければ癒えぬモノ、とおっしゃっておられましたよね? にもかかわらず、領主の塩田さまの病は癒えました。艶という方の件、無関係とは思えません」

「計都どのと水橋家の奥方は、どうやら縁者と思われます」

 朱美が、口をはさんだ。

「その縁もあり、水橋家が計都どのをご推挙なさったらしいです」

「計都は現在、ご典医の座だけでなく、形式だけとはいえ星暗寺の責任者でもある」

 雷蔵は顔をしかめる。

「命緋刀が、寺にないことは知っていよう」

「それにしても、持ち出されたのは、五年前でしょうか?」

 病を治すのに使ったとすれば、そういうことになる。

「五年前に、城下に運んだのは事実だ」

 雷蔵が大きくため息をついた。

「渇きの病を治すには、領主の座を降りねばならないと、了安が進言し、お館さまは、一度は、封印の任を降りることを承知した。ゆえに、命緋刀との契約を断つために、星暗寺から、城に運ばれたのだ」

「その後は?」

「もちろん、星暗寺に直ちに戻され、完治したお館さまにより、封印の儀式は滞りなく行われた。それは俺も同席したから、知っている」

 その儀式は盛大に行われ、塩田玄治の力が少しも衰えていないことを、同席した者は感じたらしい。

「もっとも、俺は、その後、呼ばれなくなってしまってな。その後の毎年の儀礼については、人づてにしか知らんのだ」

 雷蔵は自嘲気味に笑った。

「……そういうこともありましょうなあ」

 清兵衛が深く頷く。

「どういうことですか?」

 初音の問いに、清兵衛が目を丸くした。

「ひょっとして、お嬢さまは、この方がどういう方なのかご存知ないのですか?」

「横目奉行さまと伺っておりますが、違うのですか?」

「……いや、今は罷免されたから、横目奉行だ」

 雷蔵が口をはさむ。

「そうではなくて」

 清兵衛は頭を振る。

「塩見雷蔵さまは、塩田玄治さまの甥っ子であられます。五年前、一度は、この国の跡を継ぐことが決まっていた方なのですよ」

「え?」

 初音は雷蔵の顔をまじまじと見る。

 そういえば、了安が、雷蔵を巻き込んだとか言っていたような気がする。

 それに。

 事件を解決しても、横目に戻れそうもない、出家するしかないとも言っていた。

 命緋刀の件もそうだ。

「昔の話だ。現在、俺は、お館様にとっては、領主の座を狙う、危険な人間だ。横目奉行に任じたのは、奉行としての経験のない俺が何か失策するのを『待つ』ためだった」

 雷蔵は淡々と話す。まるで他人事のようだ。

「現在は、俺の従弟にあたる八歳の犬千代が跡継ぎ候補になっている。俺は、塩田の姓を名乗ることを禁止されて、塩見の姓となった」

「……全然、知りませんでした」

 初音はうつむく。五年前と言えば、初音は十三歳。

 世の中のことがわからない、という年齢ではない。

 だが、言い訳をするのであれば。母が倒れたのは、ほぼ同時期。

 亡くなったのは、十四になってからであったけれども、そのことで父との衝突も多かった時期だ。

 もちろん。今にして思えば、あの仕事人間の父にしては、ずいぶん母に尽くしていたとは思う。

 それがわかったのは、母が亡くなって、猛烈に仕事に傾倒していく父を見てからだったが。

 初音にとって、国家の一大事など、全く興味がなかった。だが、武家の娘として、塩見という名に全く心当たりがなかったのは、恥ずべき事だったのかもしれない。

「気にするな。俺はもうすでに、肩書をすべて失った、ただの謹慎中の男に過ぎない」

 雷蔵はそっと肩をすくめる。

「お館さまの病が治った時、結局のところ、俺は徹底的に、危険人物と認定された。ただ、俺以外に跡を継ぐのに都合がいい年齢の者がいないゆえ、排除できなかった」

 もちろん政治向きのことは、他の者が変わることができる。

 しかし、闇王の封印は、塩田の人間しかできないからな、と雷蔵は説明する。

「どうしてですか?」

「封印に使った、命緋刀は開祖である塩田竜蔵しおたりゅうぞうが、龍族から、一子相伝の約束で貰い受けたからだ」

「闇王と戦うため、開祖は、海を渡って龍に助力を求めたという昔話は、知ってましたが、本当だとは思っていませんでした」

「そうだろうな。だが、本当のことは、意外と、荒唐無稽なのさ」

初音の言葉に、雷蔵はほろ苦い顔をした。


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