第5話 廻船
頼んだ食事を食べないのも不自然なので、三人は、箸をとり、食べ始めた。
こんな時ではあるが、あぶった魚がとてもおいしいと初音は思った。さすが港町である。
「それで、俺の屋敷のようすはどうなったか知っているか?」
「変わりはないようですね。見張りはずっとついているとか。もちろん、ご城下のことですのではっきりとこちらではわかりませんが」
「そうか」
雷蔵は、ふむと頷いた。
雷蔵は、罷免された上に謹慎処分を受けているらしい。
謹慎中に、こんなふうに出歩いていては、今後に差しさわりがあるのではないだろうか。
初音が、そう指摘すると、雷蔵は肩をすくめた。
「俺はもう、出家するくらいしか道がない。横目奉行になった時に、それは薄々感じていた」
「事件が解決出来れば、お奉行に戻れるのではないのですか?」
そうでなければ、左門の復職も無理ではないのか、と初音は思う。
「俺の事情と左門の事情は、違うから」
雷蔵は言葉を濁す。複雑な事情があるようだが、それについて語るつもりは無いようだ。
「後任は聞いているか?」
「奉行の後任はまだ決まっておらぬようですが、どうやら、近衛衆の田宮興三郎が候補に挙がっているとか」
「田宮……その人、たぶん、うちの屋敷に押し入った役人です」
初音は、記憶をたどる。
「なるほど。山里、田宮の後ろに誰がいるか、さぐれるか?」
「やってみます」
初音の目で見ても、その人事は、完全に無関係ではない。きな臭い話だ。
「雷蔵さまは、お屋敷に戻られませんので?」
「戻ったところで事件は解決しないからな。それに後任が決まったら、捜査が継続されるとは思わない。だが、おぬしらは、後任の奉行の指揮下に入り、その指示に従わねばならぬ」
「捜査は、打ち切られましょうか?」
山里は、大きくため息をついた。
「たぶんな。そうでなければ、真実に近づいた時期を見計らって罷免した上に謹慎、などとバカげた辞令を受け取ることはなかっただろう」
雷蔵は肩をすくめた。
「いざとなったら、俺一人で調べる。おぬしらは、おぬしらの生活を優先してほしい。この事件にこだわる必要はない」
「それは違います。私も、左門どのも雷蔵さまのために命を張っているのではありません」
男は少しムッとしたようだった。
「……わかっている。だが、退くべきときに退くのも、大事なことだ」
「雷蔵さまにそれを言われても、説得力に欠けます」
「それは、そうだ」
ふっと、雷蔵は笑う。人を惹き付ける笑みだと、初音は思った。
左門が命を張って、この男に仕えていた理由が、なんとなく理解できる。
「ああ、それから、初音さまに茂助という男からの伝言を杉浦から預かっておりました」
「茂助から?」
山里は初音に頷いた。
「茂助はじめ、使用人は全員無事。茂助は、ご城下に戻り、左門どのを捜すとのことです」
「茂助は、無事だったのですね」
初音は、胸をなで下ろした。
「ではーー」
いつの間にか、自分の前の膳をたいらげ、山里は手を合わせた。
「山里、おぬしも気をつけよ」
「承知しております。雷蔵さま、初音さまも、くれぐれもお気をつけて」
「ありがとうございます」
この男もかなり危ない橋を渡っているのだろうな、と初音は思う。
山里は、頭を下げると、先に帰っていった。
階段の足音が消えて行くのを、じっと待つ。階下は客が多いようで、バタバタと音がしている。
「行こう」
雷蔵に促され、初音は立ち上がる。
にぎわった店内で、雷蔵と初音の姿を気にしたものはいなかったようだ。外に出ても、後をつけるような気配はなく、初音はほっとした。
それでも、用心は必要だと思い、お互いの袖が触れるような距離に近づき、初音は声を潜めて訊ねた。
「どこへ行かれるのです?」
「とりあえず、知っている廻船屋に行ってみる」
他に手掛かりはないのだから、しかたがない。
「ところで、杉浦の家は、雷蔵さまとはどんな関わりが?」
「左門の紹介で、俺は面識がある程度だ。横目の人間ではなく、港奉行所の与力をしている。当主の
辰之進は、初音も名は知っている。許嫁の廉二郎の父親のはずだ。遠い親戚で、父と同じ流派の剣の達人……父が、廉二郎を婿養子に決めたのは、たぶんそういった事情もあるのだろう。
初音は雷蔵に目を向ける。無精ひげはあるけれど、端整な顔立ち。大きくて、まっすぐな瞳。
このひとは、塩見雷蔵という名で、初音の許嫁の杉浦廉二郎ではないーーそんな当たり前のことを今さらのように確認して、初音の胸は苦しくなった。
そんな初音の様子に気づいた風もなく。ふうっと雷蔵はため息をついた。
「後任の奉行が決まれば、山里も思うように動けなくなる。左門を早く見つけ出さねば」
「……そうですね」
初音は頷きながら、そっと雷蔵に、わからぬように首を振る。
ーーそんなこと、あってはならないことだ。
初音は、自分の中に芽吹きつつある想いを否定する。
左門の無事もわからず、許嫁のいる身で、許されないことだ。
しかし、否定すればするほど、胸が痛くなる。
初音は、雷蔵の袖にそっと手を伸ばしかけてーーやめた。
すぐそばの雷蔵が、初音には急に遠く感じた。
白浪の港は、商船と漁船が入り混じっている。
入り組んだ海岸線を持つ湾内に石を積まれてつくられた港には、たくさんの船が停泊していた。
他国との貿易船からの荷物は、一度港に荷揚げして、佐奈川の水運を使って城下へ運ばれていくため、港は白壁の大きな蔵も数多く並んでいる。
潮の香りがきつい。風がそよぐたびに湿り気が肌に絡みつくようだ。
雷蔵と初音は、海からやや内陸に入った位置に店を構えている、廻船屋のひとつ、『風車』に入った。
廻船屋というのは、船の手配を主に行っている言わば運輸業者である。
城下と白浪の港、さらには他国との交易を担うのだが、『風車』は主に、城下と白浪の港をつなぐ川での輸送を行っているそうだ。
店内は人が出払っているらしく、ガランとしていた。
広い三和土の入り口から一段高い座敷に、でっぷりとした中年の男がキセルをふかしている。
壁にはたくさんの名前の書かれた木札がかかっている。どうやら、この店の専属の船頭のようだ。
「
「おや、雷蔵さま」
男、半平はキセルを置いて、にこやかな顔で出迎えた。商売用の如才ない笑顔だ。
「あいにく、今、船は出払っておりまして。潮の加減もありますんで、城下に行くなら、明日の朝でないとご都合できませんが」
「いや、今日は船の話ではない」
雷蔵が答えると、半平は初めて初音に気が付いたらしく、目に好奇の色が浮かんだ。
「最近、四谷左門が、訪ねてこなかったか?」
「へえ。つい先日、お見えになりやしたよ。廻船屋の評判とか、随分と聞かれました」
雷蔵は上がりかまちに腰かけた。初音は雷蔵に手招きされて、雷蔵の横に腰かける。
長くなる、と見たのであろう。半平は茶を入れ始めた。
「左門にした話をそのまま聞いても良いか?」
「へえ。でも、たいしたことは。左門さまは、違法な積み荷を運ぶような仕事を請け負いそうな廻船屋をお捜しだったようですが」
廻船屋は、荷主との信頼が大事な商売だ。荷主としては、丁寧で安全な運行をする廻船屋を選びたいし、廻船屋としても違法な品など運びたくはない。万が一、違法な品の運送を請け負えば、処罰されるし、何よりも商売に傷がつく。
「あっしら廻船屋ってのは、はたで見るより、かなり横のつながりが大きい商売でね」
半平は湯飲みに丁寧に湯を注いだ。
「もちろん商売ですから、競争相手でもありますけど、忙しい時期ってのは重なるから、お互いに融通しあうっていうのもあるんです。使う船だって、あっしら商売の船は、全てお上に登録しておりますから。ですから、表に看板出している廻船屋は、まず、そういう仕事をしませんよ、と話しました」
半平は話しながら、盆に湯飲みを二つのせて、雷蔵の前に差し出した。
「怪しげな船がいたら、誰かが気づきます。佐奈川の港には夜更けでもないかぎり、必ず誰ぞがおりますし」
「つまりは、違法な積み荷を運ぶような仕事を請け負うようなのは、看板を出さず、しかも夜に運送するような輩だということか?」
「……まあ、そうなりやすね」
半平は頷いた。
「賭場に入り浸って、解雇された船頭なんかは、やくざにいいように使われているとも聞きやす」
「心当たりはあるか?」
「さあて。ただ、登録のない船を隠すとしたら、星見岬のほうでしょうなあ。あちらは漁師の船もいきませんから」
星見岬というのは、佐奈川の対岸にある岬だ。
峠から見た、草木が生えないという黒い岩肌を、初音は思い出した。
「ただ、あちら側から船を出して、しかも夜に城下へ、となりますと船頭に相当な腕が必要です」
そこまでの腕を持つ人間は、そうはいないし、そんな人間がやくざな仕事を受け続けるのも不自然だと、半平は続けた。
「なるほど」
雷蔵は顎に手を当てた。
「星見岬に、船の隠せそうな場所は多いのか?」
「ええ……まあ」
半平は頷きながらも、懐疑の色は隠さない。
「岩窟がかなりあちこちにありやす。可能は可能でしょう。しかし普通はしないと思いやす。なんといっても、あのあたりは黄泉の岩戸と呼ばれるほど、四六時中、嫌な風と潮が巻く不吉な場所です。そうでなくても、岩礁が多いですから」
「漁師も行かない、か」
そのような場所ならば、違法な組織の拠点があってもおかしくはない。
「ああ、あと、城下までの中継地である『
半平は思い出したように、付け加える。
「正直、こちら側から城下への時は、この時期は中島はあまり使いやせん。今は良い風が吹きますから。こちらから城下へ行くときは、上げ潮と風の力を借りますから、一息に上った方が効率が良いのです。中島を使うときは、よほど風が悪い時ですな」
中島というのは、城下と白浪の中間地点ほどにある、小さい港だ。
白浪から城下まで、順調にいけば、上りは、一刻(二時間)、下りは四半刻(三十分)なので、いらぬと言えばいらぬ場所ではある。
風の悪い季節の場合、船を引くための人足が置かれることもあるが、たいていは無人の港だ。
現在は、港の近くの山が、領主の
「中島か……」
雷蔵は深く考えに沈んでしまったようだ。
「左門さまからは、違法と思われる品を依頼するような輩が現れたら、通報するようにとは、強く申し付けられやした」
「そうか」
雷蔵は半平に立ち上がり、礼を述べた。
初音も頭を下げ、その後に続く。
「さて……どこから攻めるかな」
雷蔵が小さく呟く。
その背中は、随分と迷っているようだった。
「犯人よりまずは、左門を探す方が先、かな」
いつの間にか、秋の日は傾きつつあった。
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