02

 スフレを自転車のかごに乗せ、家を出発する。

 風を切って田舎町を走ること約15分。

 僕たちは目的地である老竹おいたけ公園に到着した。

 この公園は家から少し遠いが、いつも人がいないのでスフレと遊ぶにはうってつけなのだ。

 案の定、今日も公園は僕たちの貸し切り状態だった。

「ようし。じゃあボール遊びでもするか」

 スフレを自転車のかごから出して、僕は言った。

 スマートバンドを操作してアイテムフォルダ内にあるバーチャルボールを召喚アポートする。

 そのボールを僕はさっそく放り投げた。

「取って来い!」

 するとスフレはボールを追いかけ、口にくわえて戻って来る。

 その様子はまるで犬だ。

 実際の狐がこんなことをするのか僕は知らないが、そこはバーチャルペット。外見が自由なら中身も自由で、良くも悪くも何でもありなのだった。

 ボールを受け取った僕は、スフレを撫でてやった。

「よしよし。今度はもっと遠くに投げてやるぞ」

 僕はもう一度ボールを投げた。

 しかしどうも力の加減を間違えてしまったらしい。

 僕が投げたボールは予想以上の飛距離を見せ、公園を囲んでいる茂みの向こうへと飛んで行ってしまった。

「やべっ。やりすぎた!」

 僕たち生身の人間にとってバーチャルオブジェクトは重みがないから、本物のボールを投げるのとは感覚が違う。そのためこういうミスもたまに起こしてしまうのだ。まあ、僕はあまり運動が得意ではないので、本物のボールでも似たようなミスをしてしまうのだけれど。

 それでもスフレはボールを追いかけ、茂みのあいだを突っ切って向こう側に行ってしまった。

 しかしボールが見つからないのか、なかなか戻って来ない。

 僕は心配になり、ボールが落ちた茂みのほうへと近づいた。

「おーい、スフレー? 見つからないなら戻って来ーい」

 ボールはバーチャルなのだから離れていても回収することができる。だから無理に見つける必要はないのだ。

 と、その時だった。

 茂みに隠れていたらしき女の子が、突然ひょこりと姿を現した。

 彼女と見つめ合う形になり、僕は固まる。

 え、誰?

 どうしてこんなところに女の子が?

 そんな風に戸惑っているうちに、彼女は唐突に言った。

「はあい。スフレだよー」

「は?」

 彼女は僕が投げたボールを手に持っていた。

 意味が分からずにいる僕に向かって、彼女はさらに続けた。

「突然のことで戸惑うのも無理はないよね。でもご主人様、これは本当なんだよ。あなたへの愛ゆえに、スフレはこうして人間になることができたのです」

「……」

 さて、これはどうしたものか。

 僕は一瞬考えてからこう答えることにした。

「そ、そうだったのか! これはびっくりだなあ! 変質者が公園に出たって警察に通報しなくっちゃ!」

「うわー、ひどい! ちょっと面白いかなと思って言ってみただけなのにー!」

 そう言うと彼女は、茂みの隙間を通ってこちら側にやって来た。そのあとに続いてスフレも僕の元に戻って来る。

「にゃはは。そこでその子と会ったから、一芝居打ってみただけだよー」

 と彼女は笑って種明かしをした。

 なんなんだ、この子は……。

 僕は改めて彼女のことを見てみた。

 好奇心を表したかのような大きな丸い目に、何かを企んでいそうなにやついた口元。長い髪はウェーブがかかっていて、少しギャルっぽい雰囲気がある。その見た目からして高校生ってところだろうか。首のナーヴコネクターは真紅色で目立っているが、整った顔立ちと華やかさを持っている彼女にはよく似合っていた。

「この子、スフレって言うんだよね? 君のバーチャルペット?」

「ああ、うん。そうだよ」

「すごく賢い子だねー。ちょっとお話したらすぐに言うことを聞いてくれたよ」

「そりゃどうも……。って言うか、初対面の僕に向かってよくそんな奇妙なことをする気になったね……」

「本当は『あなたが無くしたのは金のボール? それとも銀のボール?』ってやりたかったんだけどね。さすがのエナちゃんもとっさに用意ができなくてこんな奇妙なことになっちゃったんだよ」

「どっちにしても初対面の人にやることじゃないよ?」

「でもイソップでは初対面のきこりにやってたじゃん。私を変質者と言うのならあの神様だって変質者だよ」

「リアルと寓話を同じレベルで考えるんじゃない。そんなこと言ったらバイオリンを弾くキリギリスってなんだよって話になるぞ」

「にゃはは、それもそうだね。ところで」と彼女はきょとんとした顔で言った。「君はいったい何者?」

「それはこっちのセリフだよね!」

「そうだった? じゃあこのセリフは君にあげるよ。はい、どうぞ」

「いや、どうぞって……」

「あげたんだからありがたく使ってよね」

「えっと、じゃあ……。君はいったい何者?」

「人に名前を聞く時はまず自分から名乗れ!」

「……うん」僕はにこやかに笑って言った。「スフレ、もう帰ろうか。この公園には変な人が出るから、近づかないようにしよう」

「ちょっと、無視しないでー!」

 帰ろうとする僕の肩をつかんで彼女が言った。

「申し訳ないのですが、僕には変人と話す趣味はありませんので」

「そんなこと言わずに! ちゃんと名乗るから帰らないでー!」

 と言うわけで、会話の仕切り直しが行われた。

 彼女はこほんと咳払いをしてから自己紹介を始める。

「私の名前は栗谷くりたにエナ。この春から高校生になるぴちぴちのJKだよー」

「そうですか」僕は冷めた表情で言った。

「あれ、何者か名乗ったのにむしろ距離を感じるのは気のせい?」

「そんなことないですよ。名乗るという行為はお互いを知るための第一歩ですからね」

「じゃあなんで敬語なの?」

「敬語っていうのはですね、適切な距離感でそれなりに気分よくコミュニケーションがとれるという便利な言語なのですよ。本音を隠すというある種の制約は、自分を守ることにもつながりますしね。つまりこれを使えば不快な相手とも少しは楽しく会話をすることができるんです。まあそれはともかく、僕たちは今日が初対面なのですから、別に敬語でも不自然ではないでしょう。むしろ今まで馴れ馴れしくため口を使って申し訳ありませんでした」

「君、大人しい顔をして結構ズバズバ言うね。おもしろーい」

 僕のをものともせず栗谷はけらけらと笑った。

「ところで、君の名前をまだ教えてもらっていないんだけど?」

「これは失礼致しました。僕の名前は網代あじろ直太なおたです。実は僕もこの春から高校生なんですよ。つまり同い年ですね」

「へぇー、そうなんだ! もしかして同じ高校だったりするかな? 私は柏田かしわだ高校ってところなんだけど」

「奇遇ですね。残念ながら同じ高校です!」

「これはすごい。運命の出会いだね!」栗谷はキャッキャと喜んで言った。「実は私、他県から引っ越して来たから知り合いが誰もいなかったんだよねー。だから網代くんはこの町でできた初めての友達だよー」

「この話の流れでそれを言うなんて、栗谷さんはなかなか強い心をお持ちですね」

「いやー、それほどでも」

「褒めてない、と言いたいところですが、ここまで来ると本当に賞賛したくなってきました」

 実際のところ、僕は自分で言っていることの割には栗谷に好感を持てていた。

 僕の毒舌に対して笑ってみせるその姿勢。

 僕自身敬語を使っているせいか、キャラを演じて会話をするというゲームをしているようでなかなか楽しかった。

 少なくとも、次の質問の答えを聞くまでは。

「そう言えば、栗谷さんは茂みの中でいったい何をしていたんですか?」

「あー、忘れてた。私、妖怪を探している途中だったんだ」と栗谷が言った。

「は? 妖怪探し?」

 僕は固まった。

 いくら何でも突拍子が無さ過ぎるだろ。

 しかし彼女は平気な顔をして話を続けた。

「そうだよー。あっ、妖怪は妖怪でも電脳妖怪ね。それが私の専門だから」

「何ですかそれ。普通の妖怪と違うんですか?」

「電脳妖怪っていうのは、仮想世界バーチャルワールド拡張世界オーグメンテッドワールドのような電脳世界に出没する妖怪のことだよ。だから妖怪の一種には違いないけど、性質はちょっと違うかな。なんと言っても電脳妖怪は、ナーヴコネクターを介しているせいか霊感がなくても普通に見えるからねー。だから網代くんも、もしかしたら見たことくらいあるかもしれないよー?」

「そんな妖怪がいるんですか。でも、誰にでも見えるんだったらもっと騒ぎになっているはずですよね? 何で知られていないんですか?」

「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかないからねー」

「はい?」

「アーサー・C・クラークの言葉だよ。知らない?」

「それはなんとなく知っていますけど……、妖怪と何の関係が?」

「考えてもごらんよ。科学と魔法の見分けがつかないってことは、魔法を使っても科学だと勘違いされちゃうわけでしょ? それと同じで、これだけ電脳世界が発達した世界では電脳妖怪と遭遇してもただのバーチャルだと勘違いされちゃうんだよ。ちょっと不思議なことが起きてもバーチャルのバグだと思われちゃうしね。それでみんなスルーしちゃって話題にならないってわけ」

「ははあ、なるほどねえ」

 僕は栗谷の説明に少し感心した。

 電脳妖怪とやらを信じるわけではないが、彼女の言うことには一理ある気がする。僕なんか妖怪を目の当たりにしても変わったバーチャルペットだと思ってしまいそうだ。実際、妖怪を題材にしたバーチャルのペットやおもちゃもあるくらいだし、確かにこの世界に本物の妖怪がいたとしても見分けはつきにくそうだった。

「にゃはは。どう? 納得した?」栗谷は悪戯っぽく笑った。

「思いのほか説得力のある説明でした」と僕は認めた。「それにしても栗谷さんは妖怪に詳しいんですね」

「そうでしょー? 何しろ将来はそっち方面の道に進もうと思っているからね。実はこの町に来たのもここが電脳妖怪の発生スポットになっているって聞いたからなんだよ。ここなら電脳妖怪の研究をしたり実験をしたり、いろいろと経験が積めそうだからねー」

「ははは……、すごい夢ですね。どこまでが本気なんですか?」

「全部本気に決まってんじゃん」

 栗谷はにやりと笑ったが、目は真剣そのものだった。

 ちょっと待て。もしかしてこの妖怪のくだり、全部本気なのか?

 いや、まさか。

 僕をからかってこんなことを言っているだけだろう。

 本気にしたら負けってやつだ。

「そうそう、網代くんに聞きたいことがあったんだ」と栗谷が唐突に言った。

「なんでしょう」

「この町に大きな狐の電脳妖怪が出るって噂があってね、実は今探しているのはそれなんだけど、何か知らない?」

「いや、知らないですね。噂自体聞いたことないです」

「そっかー、残念。やっぱりただの噂なのかなあ。まあ妖怪と遭遇するのって縁みたいなところがあるし、探したから見つかるってわけでもないんだけどねー」

「そうなんですか」

「そうなんですよ。逆に言えば網代くんが道端でばったり出くわすなんてこともあるかもしれないよ?」

「フラグを立てないでくださいよ……」

「にゃはは。まあもしも何か見たり聞いたりしたら私に教えてよ。はい、これ連絡先ね」

 栗谷はスマートバンドを操作してアポートしたバーチャルカードを僕に渡した。栗谷の言う通りそれは、連絡先の書かれたアドレスカードだった。

「これはどうも……」

 いきなり貰っても困るが、破棄するのもどうかと思ったのでアドレス帳に登録しておくことにした。受け取ったカードを自分のスマートバンドに当てる。するとカードが消え「アドレス帳に栗谷エナを追加しますか?」というダイアログが現れるので、追加をタップする。これで僕のアドレス帳に栗谷エナが登録された。

 そのタイミングを見計らって栗谷が言う。

「さてと、そろそろ私は妖怪探しを再開するかなー。網代くんのおかげでいい息抜きになったことだしね」

「さいですか」

「それじゃあバイバイ網代くん。また明日、入学式でねー」

「はい。また明日……」

 僕に手を振って歩き始めた栗谷は、また別の茂みの向こうへと消えて行った。

 公園にはちゃんとした出入り口があるのに、なぜそれを使わない?

 そう思いつつも僕は、彼女のことを見送った。

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