recipe 3 王道和食
【from第二部】豚ロースのしそ巻き揚げ、厚揚げと茄子の含め煮、うざくあえ、豆腐とオクラの味噌汁(前編)
たっぷり仕事をして家に帰ってきたら、門扉を開ける前に玄関ポーチに勝也が立っているのに気が付いた。
見るからに気怠い感じでドア脇の壁にもたれ、馴染みのスーパーの名前の入ったポリ袋を二つ左手に提げ、右手でスマホをいじっている。あたしは慌てて自分のバッグを開けてスマホを取り出したけど、彼からの連絡は入っていなかった。
門を開いてアプローチを進み、玄関に近付くにつれ歩調を落とした。すると勝也がゆっくりと顔を上げ、あたしを見ると小さくため息をついた。
――やれやれ。また何かめんどくさそうなメンタルに落っこちてるってわけか――
「どうしたの?」あたしは言った。「合鍵、失くしちゃったとか?」
「持ってる」勝也はデニムのポケットから鍵を取り出して見せた。「いつも言うてるやろ。勝手に入るのは嫌やて」
「じゃあその合鍵、何の意味があるのよ」
あたしは勝也から鍵を受け取り、鍵穴に挿してドアを開けた。「どうぞ。何か作ってくれるんでしょ」
勝也は黙って家の中に入った。靴を脱いで廊下を進み、さっさとダイニングに消えていった。
――何があったのか知らないけど、ほんと、子供なんだから――。
着替えを済ませてダイニングに入ると、キッチンで勝也がお米を研いでいた。
カウンターから作業台を覗くと、茄子と胡瓜、青紫蘇、ミョウガやオクラなどが並んでいる。まだ五月の末だけれど、野菜市場は早くも盛夏だ。
「今日は和食?」
カウンターの椅子に腰を下ろして、あたしは訊いた。
「うん」
炊飯器にお米と水の入った内釜をセットして、勝也はスイッチを押した。「ちょっと時間かかるかも」
「白? 赤?」あたしは立ち上がり、ワインの色を訊いた。
「どっちでも」勝也は茄子を洗いながら素っ気なく答えた。
「……もう、ふてくされてる」あたしは座り直した。「あたしのせい?」
ごめん、と勝也は首を折る。「……赤かな」
「じゃあ、冷やす必要ないわね」
「ノンアルのカクテルも買ってあるけど。ワインテイストの」
「大丈夫よ。自分でやるから」
あたしは手をひらひらさせて一度だけ首を振った。「それより、何があったの」
「……冷蔵庫に入ってる」
勝也は言うと、一口大に切った茄子を水にさらした。厚揚げをパックから出して小さなざるに入れ、ケトルで沸かしたお湯を回し掛ける。そして水分を切り、角切りにしていく。迷いなく包丁を入れているにもかかわらず、そのサイズはほぼ均一だった。
彼にとって料理は何よりの気分転換だ。あたしには理解できっこないんだけど、とにかく作るのが好きみたい。癒し効果もあるようで、こうして淡々と手順を踏んでいくことで、何らかの事情で落ち込んだ気分を浮上させることができるらしい。そして、今日みたいに連絡なしにいきなり来るときは、よほどのことがあった場合が多い。
「――いいから話して」あたしは静かに言った。
すると勝也は顔を上げ、すごくがっかりした声で言った。
「……
「あの本部の? 捜一の」
ああ、と勝也は小声で頷く。
「飛ばされたって――」
「南の端っこ――もうちょっと行ったら
鍋にごま油を引き、茄子の水気を切って投入する。ジャァッ、という音とともにごま油の香ばしいかおりが立ちこめる。続いて厚揚げも。
「やむを得ない、ということだと思うけど」
「そうや。不当でも何でもない、致し方のない左遷や」
茄子と厚揚げを器用に均等に裏返しながら、白だし、お酒、塩、おろし生姜をそれぞれ分量を量って計量カップに入れ、最後に水を足してかき混ぜる。それを鍋に加えて、さっと煮立たせてから蓋をして火を弱め、顔を上げると勝也はあたしを見た。
あたしは言った。「あなたは正しいことをしたのよ。彼が罪のない女性に着せた冤罪を暴き、そして晴らした」
「分かってる」青紫蘇を洗い、ざるにあげる。「けど――」
「彼とあなたのお父さまとのことは、また別次元の話だわ。あなたが警察官になるずっと前のことよ」
「そうや」
勝也は頷くと、冷蔵庫から薄切り豚肉のパックを取り出し、ラップを開けてまな板に二枚を少し重ねて広げた。洗った青紫蘇を一枚のせ、これもまた器用に手前からくるくると巻いていき、俵状に整える。同じ作業を繰り返し、全部で六つ作った。
「――同じことをやったんやなって」勝也は言った。「
「それは――」
「おまえの言うとおり、あの人と親父とのことは、俺が府警に入る前の話や」勝也は煮物の鍋の火を止めた。「俺はそれを知らんかったし、今回の俺の行動とまるで因果関係はない」
「そう、偶然よ。不幸な偶然」あたしは深く頷いた。「それで勝也が罪悪感を感じることはない」
勝也は苦笑した。薄力粉、生卵、パン粉を三つのバットに広げ、豚肉にフライ衣をつける。
「本当に、そんな必要無いからね。お父さまのことも、改めて責めないで」
「……そんな気、今さらもう起こらへん」
衣をつけ終えると、勝也はそれをまた別のバットに並べた。あたしの気付かないところで、我が家のキッチンにはいろんな調理アイテムが増えている。
「だったら、あなたも悔いるのはやめること」
「そうしようとは思ってる、でも――」
「悪い癖よ、勝也」あたしは強く言った。「くよくよしないの」
勝也は頷いた。だけどまた深く俯き、口元を曲げる。
「ほら。そんな顔して美味しくできるの? あたしが言うのもなんだけど」
そうやな、と言うと勝也は今度は小さめの鍋を出してきて水を入れた。火にかけ、冷蔵庫からキャベツ半玉と豆腐のパックを取り出す。扉を閉めようとしたところであたしが言った。
「カクテル、いただくわ」
「ん」
勝也はカクテルの缶を取り出し、カウンターに置いた。「グラスは自分で」
「このままでいい」
缶を開け、一口飲んだ。じっと見つめてくる勝也に言う。「美味しい」
勝也は満足げに頷いて、お湯の湧いた鍋の蓋を開け、計量スプーンで白だしを量って入れた。自分で作った料理だけでなく、あたしのためにと選んで買ってきたものは、あたしがどんな反応をするか確認したいみたい。すごくありがたいけど、ちょっとプレッシャーね。
「――
「何が」
塩をまぶしたオクラをまな板で回してこすりながら勝也は言った。
「このことよ。当然知ってるんでしょ」
ああ、と勝也は呟いた。「……結果論やてさ。くだらねえ、って」
「彼の言う通りよ」
「歯痒いみたいやな。俺がいちいち親父の残像に悩まされるの」
「
そう言ったあたしに勝也は子犬のような頼りない眼差しを向けると、小さく鼻息を吐いてオクラを洗った。へたを落として小口切りにしていく。
「彼にだって、気を遣わせてるのよ」
「分かってる」
「ああいう人だから、そんな素振りは見せないでしょうけど」
「分かってるよ。悪いなと思ってる」
勝也は言うと、
洗った胡瓜のへたを落としながら勝也は言った。
「それはそうと」
「……次はなに」あたしはため息をついた。
「昨日、
「あ――」
「指輪を見せてもらった」
リズミカルな包丁さばきで胡瓜を薄く輪切りしながら、勝也はあたしを見てにっと微笑んだ。
今度はあたしが下を向く番だった。
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