第30話

 確かに法皇が今上帝を、疎んじておられたは知っている。

 最も愛された中宮の御子様でありながら、今上帝は御父君様に愛された事はおありになられない。それは、乳母であった母から聞いている。

 一度たりとて、その腕に御抱きになれた事は無いそうな。

 それも致し方ない事と、今は典侍ないしのすけの母は言った。

 元々躰がご丈夫でない中宮は、懐妊が解って着帯の儀の後直ぐ里に下がった。

 あれ程の御寵愛振りの主上が、よくお許しになられた……と宮中で囁かれた程であったとか?

 かつて寵愛する后妃が、懐妊で里へ下がる折には、なかなかお許しにならない帝が多い。それは誰だって理解ができる。

 愛しいひとには、できるだけ側に居て欲しいものだ。

 特に出産で命を落とす事が多いのだ、不安やら何やらで手放したく無い、が本当だろう。

 だが、昨今の宮中でも稀に見ぬ程の、主上の御寵愛を得ていた中宮が、里に下がるというのに、当時の今上帝は直ぐにお許しになられた。

 ならば他の后妃達が色めき立ったが、期待する程の夜のお召しは無かったのだから、今上帝の御寵愛は確かに本物であったはずだ。

なのに当時の主上……法皇は愛しい妻を簡単に手放した。手放したが愛情は深く思いも強かった。

 それは幾枚もの、御文にも現れている。

 そして幾度もの、中宮の里邸への使いと送り物にもだ。

 そして無事ご出産後、出産の穢れと云う物がある中津國なので、その穢れが明ける頃中宮は、玉の様な皇子と共に宮中に御戻りになられた。

 そして直ぐに親王宣下を受けられ、皇太子として立たれたのである。

 御躰の御弱い中宮が、無事ご出産され戻られたのを、殊の外安堵されたは当時の今上帝であったが、それから半年も経たぬ内に、中宮の御体は元に戻る事無く、死の穢れに煩い内裏の掟により、里に下がらされて直ぐに薨られたのである。

 その後の法皇の悲しみ様は、宮中の語り草になる程に悲痛な物であった。

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