第5話 -待ちきれず、出て来てしまったことよ -

ホルモンバランスを調整するために飲んでいた薬を強制的にやめさせられてしまったせいで、やはり体調が悪い


吹き出物はできるし、身体は痛くて怠い、

何もする気が起きないのが困ったものだ -


私は、そんな何となく気が晴れない日々を

送っていたのだが、


尚子と紅葉を観に行った数日後、平安時代を舞台にしたとある本を尚子に勧められた


最初は好みでない表紙のためか、あまり乗り気でなく、しぶしぶながら読んだのだが、

不思議と、どんどん読みたくなり読み進める



- 何か心に引っかかるけれど、何だろう? -



その翌日、私は尚子と電話でこの本に出てくる登場人物のことを話していた



尚子がその話の中で

「あの、業平との恋で知られる高子さんの兄って、何か不気味な人だよねー」と言うと、

私は「あぁ、あの偏屈な執念深そうな人」と返した


その時、


『まったく、ひどい言われようなことよ、

けれど間もなく、そなたは私無しではいられなくなる』


またいつもの声が耳元でしたが、もう勘弁してくれというくらい体が怠くて、私は考える気力も失せていた


翌日も翌々日も、

私はとりあえず、本の続きを読み進めていた


とある頁を開くと、あの懐かしい良い薫りが何処からともなく漂い、鼻先をくすぐる -



- 先日に見た、薄墨かがった淡い薄紅色の

桜の花びらが目の前に広がる -



うっとりとその情景に見惚れていると、

背中から首のあたりに何かがずっしりと絡みついているような感じがする


『ようやく、気づいてもらえたな…

私だけの愛しい胡桃子よ』


『やっと認識できる姿になれたことよ』


驚くよりもその人に背後から抱きしめられていることが不思議と何故なのか、嬉しくて -


耳元で囁く声にさえ喜びで溢れ、

とても懐かしいそのぬくもりに、

視界が滲み、涙が溢れ出てくる


何故、忘れてしまっていたのだろうか -

その人は前世の私の大切な人 -

藤原基経だった -


この本が導いてくれたのかもしれない -


基経の霊体にギュッと抱きしめられると、

ほんの僅かだが、次第に温かみを感じるような気がしてきた


いつも傍で見守ってくれていたもう1人の私、

幼少期の辛い時も心の中から呼び掛けて励ましてくれたあの声は基経だったのだと気付く


そう気付いた途端、思いが溢れ出し、

目の前には、たくさんの薄紅色の花びらが

ひらひらとしきりに散っては舞う -


大好きな曲の歌詞に良く似た情景が

そこにはあった


あの曲を聴いた時に感じた心の琴線にそっと触れて、奥底に閉まってある扉を開けるような感覚は、今日のこの時に繋がっていたのだ



あたり一面に、花びら舞い散る中、

私が逢いたいといつも願っていたのは

『王朝文化とこの街の歴史そのもの』ではなく、今ここにいる基経だったのだと、

この時気付く



それは、ずっと心に秘めて、思い描いてきた世界 -

私の理想とする愛の形

男とか女とか年齢とか、そんなこととは一切関係なく、ただただ、貴方だけが恋しくて、その存在が愛おしく思う気持ち - 



-貴方は私で、私は貴方、まるでアメーバのように自己完結する輪廻の中に絡み合う愛-



『本当は、愛しい胡桃子に直に触れたいし、したいことはたくさんあるのだが、それはこんな姿ではできないから、もどかしい…』


『でも、私を受け入れて欲しい - 』


基経がそう言うと、

辺り一面が淡い夕陽色の光に包まれて、

基経は実体化していた -

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