大人しい劣等生
最初はずっとZ先生と私、二人だけの授業だった。私にとっては慣れない授業だったから塾側が考慮してくれたのだろうか。真相は謎のままだが。だがずっと個別に指導してもらえる訳ではない。
ある日、いつもの様に教室に入ると面識のなかった少年が隣の席に座っていた。
少し小柄めだけどいかにも強そうな少年だった。彼はスマホに気を取られて私が教室に入ったことでさえ全く気がついていない様子だ。戸惑いを隠せないまま私は彼の少し離れた隣の席に座った。
突然のことだったので少し驚いていたが、Z先生は教室に入ってその少年の方をみて何くわぬ顔で授業を始めた。
「ほら、授業始めるよ〇〇くん。いつまでスマホいじってるの、早くテキスト出しなさい」
「ねえ、先生、俺最近ゲームハマっててさあー」
あ、もしかしてこの子も私と同じ新入りなのかな。
ずっと勘違いしていたが、どうやらそういう訳ではないらしい。話を聞いてみれば、彼は地元の公立に通う中学一年生らしい。しかもあろうことか彼はZ先生にタメ口で話しかけているのだ。ずっと敬語を使っていた私にとってはかなり信じ難いことであった。なんて失礼な子なんだろう、この子は。そう思っていた。目上の人にタメ口を使う人間が私は苦手だった
だがZ先生はそんなこと一向に気にせず、少年と楽しそうにゲームの話題に花を咲かせていた。この時間の授業で私は一度も喋った記憶がない。たった一人知らない人が来ただけで私は一気に凍りついてしまう。Z先生が話しかけてくれるのをずっと待つことしか出来ないのだ。
先生から指定された範囲の問題を時終わるまでは特に二人が二人が喋っているのを気にしなかった。だが問題は解き終わった後。何もすることがなくなってしまうのだ。だからZ先生から指定された問題を解き終わっても消しゴムで消して同じ問題を解くか又はテキストの次のページを解きながら、耳だけはZ先生と少年の話を聞いていた。ゲームを一度もしたことがない私にとって二人の会話は全く知らない言語を話しているかの様だったので理解不能だった。
真横で楽しそうに話している二人。真横で話題に入れず、必死で暇つぶしに問題を解き続ける私。会話に夢中だったZ先生は彼が出した問題の範囲を私がすでに解き終えていることに全く気がついていなかった。人見知りの私は二人の会話を割って「終わりました」なんて言えるはずもなかった。
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。ようやく「あ、終わった?D村さん」と顔を覗かせた。一方、さっきまで楽しそうに会話をしていたあの少年は何か別の教材を解き始めていた。
ようやくZ先生と話せると思っていたのだが、話しかけるタイミングをすっかり見失ってしまっていた。少しぎこちない態度をとってしまった私。そんなことにも気がつかず、Z先生はいつもの様に淡々と解説をこなし、また問題の範囲を指定した。
そしてあっけなくZ先生は隣の少年の方の様子を見に行ってしまった。
「ほらやるよ〇〇くん。」
そう言っているのが聞こえた。確かに最初は隣の少年は真面目にZ先生の話を聞いていた気がする。でも時間が経つとやっぱりお喋りなお隣くんの会話にZ先生は簡単に引き込まれていた。そして私が問題を解き終わると二人の意味不明な会話を聴き続け、必死で暇をもてあそぶことの繰り返し。こんなことは今日で何度目だろう。
話題に入れない悔しさ、人見知りである自分への憎しみがつのり、それを必死で紛らわそうと問題を解く手を止めなかった。
そんな私に気がついたのかわからないが隣からZ先生がこう言い出した。
「ほら、〇〇くんちゃんとやって。D村さんはちゃんと集中してるよ。優等生を見習わなきゃ。」
一瞬、ドキッとした。優等生と言われたことなんて今まで一度もなかったから。
優等生と言われて嬉しいという感情もあった。
でも彼の言っていることは間違っている。私は優等生なんかじゃないのだ。
私は小さい頃から勉強が大嫌いだった。中学校一年の頃にはほとんどの科目の成績が底辺で学校から呼び出しを食らったほどだ。優等生の様に理解することに人の倍以上かかる。学校で授業を一生懸命聞いていても話している内容が耳に入っては脳に吸収されずにどんどん出て行ってしまうのだ。
優等生ならたった一度や二度言われたことを簡単に飲み込むことができるはずだ。
でも私は違う。それなのに明るく喋れるタイプでもなく、口数もかなり少ない。
私になんてなんの武器もない。そう思っていた。強いて言えば英語が得意なだけで他にはなんの取手もなかった。なんもいいとこなし。
だから私は大人しい劣等生なのだ。
そう悟った。
早く帰りたい。逃げたい。塾に入ってから初めてそんな感情を抱いた。それくらい辛くてしんどかった。
あれ以来、しばらく授業に他の人がいてZ先生と楽しそうに会話をしているとどこかへ逃げ出したいという衝動に駆られ、苦しむ様になった。
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