三学期期末試験の数学

 そんなこんなで結局何も起こらなかったバレンタインデー。

 バレンタインデーの日から一週間に一回、Z先生に数学を教わるために塾に通う生活を送る様になった。特に三月には三学期期末試験が待ち構えていた。


 いつもの様にぎこちない授業をしていた時、いきなり期末試験の話を持ちかけられた。二学期の散々だった数学の期末試験の点数が記憶に蘇り、また今回も酷い点数をとってZ先生が残念そうにしている姿を想像してしまった。また真面目な話し合いをするのかと内心気だるかったが、期末試験の目標設定でZ先生とまさかの言い合いをすることになる。


「三学期期末試験、何点目標にする?」

「30点です。」

「え、それは低くない?」

「だって私30点以上取ったことないですもん、中学に入ってから。」

「せめて50点でしょ」

「いや、無理です、先生。」

「じゃあ60点で。」

「え!?ちょ、ちょ、先生、それは無理ですってあと30点上げるとか」

「いや、俺は妥当だと思う。」

「え、ちょっ・・・」


 私が言い返そうとした時は時すでに遅し。先生はカルテに期末試験の目標を60点以上と書き込んでしまっていた。残り一ヶ月で数学30点以上あげることは私にとっては至難であった。ただでさえ数学に全てを捧げて臨んだ二学期期末試験も1点ものびなかったのに一ヶ月で30点は正直無理であると思っていた。試験範囲は確率。


「ってことでまあ頑張っていきましょう」

「先生のこと、恨みますよ、まじで。60点じゃなくて私は30点取れる様になるから。」

「まあ別にいいけど30点でも。」


 そう言ってZ先生はくしゃっと笑ってくれた。


 この頃から毎日家で数学だけでも復習をする習慣をつけ始めていた。先生に出された宿題を解き、わからなかった問題を裏紙にわかるまで解き直す。そしてそれでもわからなかったら塾の授業中にZ先生に聞く。たまにZ先生が紙に解法を書いてくれたのだがそれを家に持ち帰って、わからなくなった時にはZ先生の言葉を思い出しながら紙を見返していた。一ヶ月間、そんな毎日を続けた。

 Z先生の前では正直になれずに30点取れればいいと思っていたけれど、内心はZ先生の喜ぶ顔が見たくて頑張って60点以上取りたいと思っていた。だからどんなに難しい問題でも投げ出さなかった。わかる様になるまでZ先生に質問して解けるまで繰り返した。

 Z先生に出会うまで数学が大嫌いで問題さえ見るだけでも辛かった私。

Z先生に出会ってから数学はZ先生と関わることができる唯一のチャンスだと思い、数学を解くことは全く苦にならなくなっていた。むしろZ先生に教えてもらうことで数学がどんどんわかる様になり、楽しさまで覚える様になっていった。

 

 一生懸命数学を勉強する様になった私を見かねたZ先生は自作の問題集を作って私に渡してくれた。

「問題集ほしい?」

「あったら嬉しいですけど、先生の時間が・・・」

「あ、わかった。じゃあ、これ」

 いきなり手渡された手書きの問題集。確率の問題が丁寧に書かれていた。

「嘘、作ってくれたんですか?」

「いや、他の子にも渡してあるから」

「でもお時間割いてまで作って下さって本当にありがとうございます!」

「いえいえ〜、まあその問題集を解きつつテキストとか教科書とかも見つつ頑張って下さい。」

 少し冷たく感じたがZ先生が手作り問題集を渡してくれただけでも嬉しかった。


 Z先生の問題集は丁寧に解説まで書いてあり、非常にわかりやすいばかりではなく、Z先生の字を見るだけで元気が出るほど勉強効果が絶大であった。

 学校に行く時にはいつも教科書の他に塾で使っているテキストとZ先生の手作り問題を持っていき、休み時間にも一生懸命問題を解いていた。周りからは塾に通い始めたことについて驚かれ、あまりにも学校で勉強をするので呆れられていたがそんなことは全く気にならなかった。そしてたまに塾の自習室に赴き、ひたすら数学の問題を解き続けた。他の科目なんてはっきり言ってどうでもよかった。

 

 この頃はZ先生が自習室を覗きにくることは滅多になかったが、数学の勉強を始めたことで少しずつZ先生と話すことが増えていった。


 確率の問題を解いていた時、素数に1は含むのかという議論になったことがある。その時、Z先生は答えられずあとで先生が調べて素数ではないことが判明した。この時、先生という立場だからといって必ずしも全て答えられるわけではないと悟った。この体験から生意気ながら私は先生を困らせたいと思う様になり、数学でもそうでなくても難しい質問をする様になった。


 そして迎えた三学期期末試験。試験中にZ先生と一緒に解いた問題の解き方が不思議と次々と蘇っていった。少なくとも中学校の数学の試験で解法がスラスラと思いついたことなんてない。早く解きたいという感情に駆られ、シャーペンがいつもの倍くらい早く動いた。信じられなかった。まさかここまで簡単に解ける様になるとは。

 結果はどうであれ、試験が終わった瞬間、今まで数学で感じたことのなかった爽快感を味わうことができた。


 そして一週間ほどして数学の試験結果が返ってきた。

 40点取れてたらそれでいい方だ。Z先生が目標設定をしたとはいえ、私は30点以上取れればいいと言ってきた。だから高い点数は期待しない。

 解きごたえはあったとしてもあの地獄の二学期期末試験の様な期待の裏切られ方をしたくなかったのであえて高望みはしていなかった。


 そして休み時間が終わった直後の五時限目。数学の試験が返ってきた。

次々にクラスメイトの試験結果が返っていき、皆一喜一憂していた。

 たかが期末試験、されど期末試験。

 別に進路に関連することではなかったがZ先生に支えれたこの三学期期末試験は

私にとっては運命の結果発表だった。


 「次、D村さん。」


 私の名前が呼ばれた。早く結果が見たいという気持ちと二学期期末試験のトラウマで見るのが怖いという両方の思いに押しつぶされながら結果を受け取った。

 結果を先生から受け取る瞬間がまるでスローモーションの様だった。

 席に戻り、落ち着いて深呼吸をする。他のクラスメイトが自分たちの試験結果について騒いでいる中、ゆっくりと試験結果を開けた。


ー結果は。ー






63点。






 30点の二倍どころか、わずかではあったがZ先生の目標である60点を上回っていた。一瞬、36点の間違いではないかともう一度点数を見かけした。


 間違いない、63点。・・・63点!!!


 気がついたら悲鳴をあげていた。クラスメイトがびっくりして皆自分に視線が集まる。我に帰り、テスト返しをしている先生の方を向いた。あの熱血な数学の先生は暖かい眼差しで私の目を見てかすかではあったが微笑んでいた。


 やった・・・やった!!!Z先生、私、ついにZ先生の目標まで超えちゃったよ!


 学校での試験の解説中、嬉しくてずっとにやけていた。それを見て私よりも

元々点数が高かった友達が少し悔しそうな顔をしていた。


 塾に行くことが待ち遠しかった。学校の時計をずっと目で追い、学校が終わった瞬間、数学の試験結果をリュックに詰めてすぐに塾に向かった。電車に揺さぶられながらZ先生の反応を想像していた。今思えば明らかな変人だが、当時は本当に嬉しかった。

 そして塾につき、教室に入ってから私はZ先生に結果報告をした。

「先生、テスト返ってきたよ」

「え、どうだった?やばい?」

「まあやばいです、いろんな意味で。見ますか?」

「うん、見たい。」


 当時は正直にテスト結果を見せていた。


「おお、目標点数上回ったじゃん」


 反応は想像以上に薄いものだった。当時、少しがっかりしたのを今でも覚えている。でも63点を取れたのは紛れもなくZ先生のおかげだ。私は先生に感謝の気持ちを込めてお礼を言った。


「先生、今まで協力して下さって本当にありがとうございました。先生のおかげで初めて数学で30点以上取れました。」

「いえいえ」


 ペコリと頭を下げるZ先生の顔はほんの少しだけ嬉しそうに見えた。そんな彼の顔を見て、私は彼の喜ぶ顔を見るために数学をもっと頑張りたいと強く思う様になった。


「ただ、ケアレスミスをなくせば、70点言ったかもね」


少し、この言葉は私にとっては皮肉に聞こえたが、


「今度こそミスを減らします」と言い返した。


 その後、Z先生に解説をしてもらったが63点を取れた嬉しさですっかり浮かれ気分になっていた。


 この期末試験から私の数学に対する情熱は更に増していき、もうテスト期間でなくなったにも関わらず、毎日数学の教材を片手に勉強を始めたのである。




 





 





 

 



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