私と先生が出会った日
ーあれは中学二年生の二月二日ー
どこにでもありそうな曇天の空だった。学校帰り、そのまま電車に乗って隣町にある塾に向かった。電車に揺られる中で私はどんな先生が私を待ってるのか、正直不安だった。
近くにも関わらず、隣町に電車で行くのはこの時が生まれて初めて。電車のなかで私の最寄駅を離れ、見慣れない町の景色が広がっているのを見つめながら、どうか女性の優しそうな先生でありますように、と心の中で祈った。
隣町で降りて、改札を出て塾に向かう。これから出会う先生がどんな人なのかを想像しながら早足で歩いていた。隣町は都会よりでも田舎よりでもないがとても和やかで綺麗な場所ということだけは間違いない。あの時から私はあの町の雰囲気が大好きになった。
塾までの道のりはあっという間だった。
初めての授業だったから緊張して授業が始まる時間よりも少し早くついてしまっていた。
静かに深呼吸をしてゆっくりとドアに手をかける。
そして思いっきりドアを引いた。
事務の人の様な三、四十代ほどの女性が受付にいた。初めはこの女性が私の先生だと思い込んでいた。彼女に自分の名前を名乗り、初回授業の簡単な手続きを済ませた。
良かった、男の先生じゃない。
そう思っていた矢先。
「はなこさんの担当をするZ先生です。」
どうやら受付の奥の方にいた先生が私の担当の様だった。先生の姿を人目見て、すぐに先生が男の人であることを悟った。
背がすらっと高く痩せ型。決してかっこよくはなかったけれど優しそうな顔立ちをしていた。
それでも中学にいる男子たちのことが頭をよぎった。まさか、始めからいきなり男の先生になるなんて思ってもみなかった。でもこれからやり切るしかない、でも怖い。いろんなことが頭をよぎっていたけれど立ち尽くしているだけでは始まらない。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
互いに挨拶をし、頭を下げた。その時の先生のぎこちない笑顔を今でも忘れていない。
きっとあの先生もいやなんだろうな、こんな私だから。
マイナス思考に走りがちな私はすぐに彼に対する申し訳なさでいっぱいになった。
よりによってなぜ男の先生になったのか。私も怖いけど先生も可哀想。この先どうなるのか怖い。男子に対して偏見を抱えていた私は教室に案内される時、かなり警戒していた。不安な気持ちでキョロキョロあたりを見回す。まだ早い時間だったせいかあまり人の姿は見当たらなかった。
案内されたのは一番奥にある狭い教室。たまたま生徒は私1人だった様だ。
教室に入る前、最初にZ先生に言われた言葉。
「俺今日どこやるか決めてないや。今、どこやってるの?」
そんな他愛のない言葉ではあったけど、その一言が私の中にあった警戒心の壁を一気にぶち壊した。
この先生なら、行けるかも。そう強く感じた。
「私も分からないです」
「そっか、そうだよな。どうしよう、どこやる?どこが苦手とかある?」
「全部苦手です。」
「そっか、それは困ったな」
Z先生が困った様に笑った。それが苦笑いであったとしても、私はそれが嬉しかった。先生が笑ってくれてる。男の人でもこんな人もいるんだなって思った。今思えば、優しい男の人がいることは当たり前のことなのだろうけど、当時男の人は女の人をいじめる怖い人だと思っていたから、この気づきは私にとって男子への偏見をなくす大きなきっかけになった。父親と学校の先生以外の男の人と楽しく会話できている自分がとても信じられなかった。
全部わからないと言って先生を困らせていたが、とりあえずこの日は当時学校で習っていた合同な証明をみてもらった。
「じゃあ、三角形の合同条件言ってみて」
「えーっと・・・三組の辺がそれぞれ等しい・・・二組の変とその間の角がそれぞれ等しい・・・一組の辺とその両端(りょうはし)の角がそれぞれ等しい・・・?」
「両端(りょうたん)ね。」
「そうなんですか?ずっと両端(りょうはしだと思っていました。」
「いや、両端(りょうたん)だから」
男子と言い合いをしたのはこれが初めてだった。ただの言い合いだけでこんなに楽しいと思えた。昨日の自分に話したってきっと信じてくれはしないだろう。
そんな感じで授業を進めていたのだけれど、どういう訳かZ先生に解説してもらわなくてもいつもより少しだけ数学が解けていた。
「え、全然できるじゃん。どこができないの?」
数学で褒めてくれたのはZ先生が初めてだった。数学で30点以下しかとったことがないという事実を先生は嘘だと言って信じてくれなかった。それが本当に嬉しかったことを今でも覚えている。
Z先生ともっと話していたい。そんな思いが勝手に芽生えていた。男子に偏見を持っていたなんてまるで嘘みたいだった。
もうこの時からZ先生のことが大好きになっていた。それが先生としてという理由なのか憧れという意味なのか、恋という理由なのかはこの時はぐちゃぐちゃだった。
なんか、わさびとケチャップとはちみつを混ぜたみたいな感じだ。
それくらいZ先生が好きという意味が自分でもよくわかっていなかった。
Z先生と一緒にいられたのはたったの二時間。学校の授業で二時間であれば地獄だが、Z先生との授業がたったの二時間だったのは本当に短すぎた。この時はまだ担当の先生が決まっておらず、もしかしたらもうZ先生に会えないのではないかと恐怖さえも覚えていた。だから、もし最後だった時のために私はZ先生に一言かけた。
「先生、わかりやすかったです。」
「ああ、本当?」
帰って来た言葉はそれだけ。さっきまであんなに優しくて一緒にいて楽しかったのに、目さえも合わせてくれないそのそっけない態度がひどく胸に突き刺さった。同時に恥ずかしさも覚えた。
ああ、私は何をしているんだろう。普通に考えて変な人に決まってるじゃん。
言って後悔した。今でも鮮明に覚えている。やっぱり、Z先生嫌だったかな。だとしたら申し訳ないな。落ち込んでしまってはいたがそれでもZ先生との時間が楽しくて、やっぱりZ先生がいいと思っていた。
あれから他の先生の授業も受けてみたがやっぱり私はZ先生の授業をもう一度受けたいと思っていた。そして、いろんな先生の授業を受け終わり、初めて本格的な授業が始まった日。
二月十四日。
ーZ先生だった。ー
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