番外編 草間仁の場合9 一騎打ち
翌日、俺は部室に顔を出さなかった。同学年の来栖によれば、部室内の黒板には「卒業おめでとうございます!」と俺の作品や写真などがベタベタと貼られていたらしい。戸川澪はそれを見て傷ついた表情をみせていたらしい。
とんだ勘違いだ。
俺の取り巻きがやったらしいが、それは違う。俺はその取り巻き、女たちに散々な態度をとってきた。「卒業おめでとう」と純粋に祝った子はその内どれくらいいるだろう。俺と戸川の一騎打ちを「馬鹿馬鹿しい、早く卒業しろ」とばかりに飾り立てをした女もいるはずだ。
戸川を部長指名した俺は確実に信用を失っていた。
それでもいいさ。
高校生活に未練はない。そう、清川先生以外には。
祝賀会から俺は清川先生を避けるように生活していた。騒ぎの発端になったことに責任を感じていたからだ。だけど、こうなったからにはしょうがない。
清川先生はお題に何を持ってくるだろう。それだけでも、俺が何を試されているのか分かる気がした。眠れない日々が続いた。
祝賀会から数日後、ついにお題が発表された。
コンペでお題が発表されるときのような緊張感に部室内が包まれる。
清川先生は皆を見渡した。俺はあまりまともに先生が見られなかった。
「お題は、自画像。ただし、自分ではなく、草間は戸川の。戸川は草間の絵を描くこと」
清川先生の発表に俺はホッと息をついた。自分でも意外だった。
人物画は俺の得意分野である。清川先生なら良く知っているだろう。それと自画像なら戸川の動体視力は活かせないだろう。俺のことを考えて。
考えて?
はた、とそこで俺の思考は止まった。違う。これは俺のためのお題じゃない。戸川澪の苦手克服のためのお題だ。ずんとした怒りが俺を襲う。咲が丘高校の美術部の発展のため、踏み台になるのは俺の方なのだ。
そう思考は暗い方へ傾いたが、表面上の切り替えは早かった。
「じゃ、はじめようか。戸川さん」
俺は戸惑う戸川を尻目に早速、戸川澪の正面にキャンバスを置いて戸川の輪郭をなぞりはじめた。
ざわつく外野の声なんて聞いていない。戸川澪を描く。そしてふと、目線を上げた先に清川先生がいた。その顔はいつもより柔和で俺の視線に少し迷うような素振りを見せた。
清川先生が俺をここに呼んだんだ。この高校へ、この部活へ、この場所へ。俺は先生に、にっこりと微笑むと再びキャンバスに目を落とした。
描ききってみせる。戸川より綺麗な俺の力で。たとえ、それが届かなくても、俺は後悔なんてしない。絵筆が踊るように進む。
俺が好きなものを少し、取り戻せた気がした。
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