番外編 草間仁の場合8 涙

祝賀会は騒然となった。せっかく後輩たちが考えてくれた「三年生を追い出す会」だったが、部長である俺が台無しにしてしまった。


ざわめく周囲に戸川は泣き出しそうな顔をして耐えている。

今の俺の顔は周囲にどう写っているのだろうか。


「部長、おかしいっすよ」

さっきまではしゃいでいた田代が戸惑った様子でこちらを見上げてくる。そのポツンと投げ込まれた静かな言葉に燃え盛っていった心が冷えてきた。


壇上から動かない俺に、ある部員が教員室へと駆け込んでいった。その様子を見て俺は少し冷静さを取り戻した。部員は清川先生を呼びに行ったに違いない。


ごめん、先生。

清川先生に迷惑がかかることを思い至り、そのとき初めて俺は反省した。今耐えている戸川より泣きたかったのは、俺の方なのだ。


戸川澪とコンペで競り合った結果、俺は勝った。しかし、コンクールで「最優秀賞」を逃した。戸川の桜の絵なら最優秀賞かもしれなかった、そう暗に清川先生に言われて俺はどうしようもない気持ちになった。

どうしようもなくなって、あえて火種を蒔いてしまった。


戸川澪の次期部長。

誰だって認めないだろう。そう、何より戸川澪自身が。


これは戸川に対する俺の一種の復讐だ。


教員室から出てきた清川先生は俺をみて、ため息をついた。

俺に物言いたげにしていたが、戸川と俺の勝負の件を聞くと、

「これ以上、こじれないようにお題は俺が考える」と部室を出て行ってしまった。


最悪だ。

俺は部長としてふさわしくない行為をしてこの高校生活を終わろうとしている。

清川先生はどう思っただろうか。

俺をみた先生の視線を俺はまともに受け止めることが出来なかった。

しかし、先生のその顔をちゃんとまともに見ておくべきだった。


部員からの信用を失った俺は誰にも見送られずに一人で帰路についていた。


「変な内輪もめならやめてほしいワ」


部室からの去り際にサーシャがそんな言葉をぶつけてきた。サーシャは勝負して部長免除されたい戸川にも「消極的」と言っていた。


素直な奴はいいな。


ひねくれた自分を思ってそう感じる。俺は戸川澪が現れる前はただ、純粋に絵が好きで、清川先生が好きだっただけだ。


清川先生が前に教員室で話してくれた。


「人間は複雑で残酷だぞ。俺が利き腕を失った途端、周囲の人間の態度は全てひっくり返った。もちろん、悪い方に、だ」


そう言って俺の肩を左手でポンポンと軽くたたいた。


「お前みたいなタイプは美大に入ってからがしんどいぞ。絵を嫌いになるかもしれない」


その時の俺は、「そんなのあるわけないじゃないですか」と軽く返した。ずっとそんな日々が続けば良かったのに……。美大で絵が上手いやつらにもまれて嫌になったとしても、そんなときはこの教員室に戻ってこられる。清川先生の顔を見られる。


それだけで良かったのに。


徒歩で夜道を歩きながら、俺は泣きたい気持ちを抑えていた。手に触れたものが冷たい。


雪か。

そう思い、空を見上げたが雪は降ってこなかった。

代わりに頬を幾筋も涙がすべる。


おかしい。ここ数年、いや、物心ついたときから泣いた記憶が無かったのに。

後から後から、涙が溢れてくる。


本当に、戸川より泣きたかったのは俺の方なのだ。

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