番外編 草間仁の場合6 教えて、先生
俺は部員たちにコンペの開催を告げた。
ざわつく部室。予想通りの反応。
清川先生からお題が発表される。
お題は「花」。
俺の得意とする分野だ。清川先生は俺に期待しているのか。
そう思ったのも、束の間のことだった。
「戸川、油彩使っていいから」
清川先生が戸川澪を真っ直ぐにみた。
その一瞬で俺は分かってしまった。これは、戸川澪の課題克服だ。
戸川澪の得意とする「カメラ・アイ」、瞬間記憶能力。その力の発揮できそうにない、「花」という題で戸川の能力を引き出そうとしている。
俺は勝たなければならない。
戸川澪に。このコンペに。
清川先生に。
咲が丘高校美術部部長として。
剥がれかけた自分の仮面を拾うような日々が始まった。
戸川澪は油彩が使えるということが嬉しかったらしく、花に関係のない物を描いて必死に慣れようとしているようだった。
美術科部員の田代が戸川の絵を見て「油彩、初めて?マジで?」と驚く声をあげた。
俺は、目の前のキャンバスを前に自分の描いている線がぐにゃりと曲がっていくような感覚を味わった。
その癖、戸川澪に「きよピーのこと、あんま気にしすぎず」と声をかけたり、「美術科に来てもらった方がいいよね」と言ったりまるでフォローしているような態度をしていた。
何故、そうしたのかというと、そうしないと部長としての化けの皮が剝がれてしまいそうな気がしたからだ。
自分ながら、狂っている、茶番だ。
だけど、油彩画初心者に負けるつもりはない。清川先生の目を覚ましてみせる。
そうして、万全を期して発表の日を迎えた。
部長として、発表されるのは最後だ。
戸川澪はどんな絵を描いてきたのか。
後ろ姿越しにも緊張している戸川は決意したように絵と共に正面を向いた。
その戸川の絵に一同はしん、となった。
俺は直感的に冷や汗のような嫌な思いが額をかすっていくような心地がした。
戸川澪の絵は「桜ふぶき」。
狂おしいくらい画面いっぱいに桜の花びらが舞っている。じっと見ていると己の平衡感覚を失いそうな絵だった。
あまりに皆が静まり返っているので、清川先生が「もう大丈夫」と戸川を下がらせた。
今の絵は何だった?
俺は何を見せられたのだろう。
俺は頭がぼうっとした。絵を見る前はあんなに尖っていた神経が戸川澪の絵を見たことで中和されたような感じだ。
しかし、俺は自分の絵を諦めてはいなかった。
部長として最後に菜の花畑の絵を発表したとき、確かな手応えも感じた。「綺麗」と口々に賛美する部員たち。
勝った。
そう確信した。だから、先生が壇上で発言した言葉に耳を疑った。
「……申し訳ない。一晩待ってくれないか」
まさか。
「今回はハイレベルってことかなー」
そう俺は笑った。内心、動揺して焦っていることを誰にも悟らせないために。
誰の目にも明らかだったからだ。
草間の絵か、戸川の絵か……。
俺の中で何かがグズグズと崩れていく。自分以上の才能。自分以上の天才。
塔が崩れるように俺が崩壊していく。
しかし、表の自分は戸川澪と、戸川の友人である山田有華にコンビニで買った豚まんを差し入れていた。せめても。余裕を見せたい。
戸川澪はきらきらした目で嬉しがった。しかし、山田有華は俺に何か言いたげな表情をしていた。美術マニアで普通科にして美術部に入っている山田。彼女には俺の本意が透けてみえるのだろうか。頭脳明晰という噂だ。一年から在籍していて、清川先生のマニアでもある彼女は時々、俺にこんな表情をする。
『部長の欲望なんて透けてみえますよ』
そう言っているような気がする。
俺は笑ってその場を後にした。もちろん、心の底から笑ってはいない。
明日の発表はどうなるのだろう。
俺はどうなってしまうのだろう。
先生、教えて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます