番外編 草間仁の場合4 ダークヒーロー
そして、コンペ前に全部員の絵を清川先生に見てもらう日が来た。
部員たちにはほとんど抜き打ちに近い形だ。
部長である僕が皆に周知すると、瞬く間に部室にざわめきが広がった。
僕は皆をいさめながら、紙を配る。さりげなく、足を負傷した生徒・戸川澪にも紙を配った。
部長である僕は今さら清川先生に絵を見てもらう立場でもないので、監督役だ。騒ぐことが好きな二年生の田代という部員を軽くたしなめると、背後で清川先生の声が低い声が響いた。
「君はなんていう名前だ?美術科の何年生だ?」
その声は尋常ならざるものを含んでいて、僕はたまらず振り返った。
戸川澪。
まさか。
近くに駆け寄って戸川の絵を見る。雀の絵だ。
まるで生きてその場を飛んでいるかのように目に飛び込んできた。
戸川澪はただ、戸惑ったように先生を怯えて見ている。信じられない。今、飛んでいた雀をただ描いただけだって?どんな動体視力をしているんだ。
清川先生はその絵に見入りながら、戸川澪に質問を浴びせかけている。
美術科の何年生か?
写真を元に描いたのか?
そして、清川先生は信じられない言葉を口にした。
「とりあえず、今すぐ美術部に入ってくれ」
ざわめく声がどよめきに変わった。冗談だろ。
部長である僕でさえ、そんな風に清川先生に渇望されたことはない。
自分の中で猛烈な嫉妬が湧いた。
戸川澪は醜くもなければ取り立てて可愛いわけでもない。
何より許せないのは、「才能のある」「女」だからだ。
批判が噴出する部員たちを俺は制することが出来なかった。自分の心が激情に駆られ、ドクドクと波打つようだった。
何事もなかったような顔をしているのが精一杯だった。
戸川澪が戸惑っているのに清川先生は熱心に言葉をかけ続けている。そんな澪の態度に部員たちから苛立ちの声がかかる。部長として止めるべきだが、この場で一番理不尽にも憤っているのは他でもない自分だ。
消え入るように断りの返事をして戸川澪は部室から消えた。
翌日から来ることはないだろう。僕はそう思ったが、どこかぼんやりとそれで済む問題ではない、ということが分かっていた。
部員たちが帰った部室で提出された絵を整理する僕に、
教員室から出てきた清川先生が「……仁」と声をかけてきた。
いつもは、その声に喜びを感じるが、今日は違う。
清川先生が、乞うている。
僕ではない。
あの才能を、呼んでいる。
そして、僕はそのために一役買わなければいけないだろう。
反感を買った彼女を美術部に入れるために。
戸川澪。
清川先生が望んでいるのは彼女だ。
僕は怒りで身が焼かれる思いがした。
戸川澪。元・テニス部。事故で体が不自由になった不幸な女子高生。
二年生の彼女は残りの高校生活を美術という舵を取るだろう。
そう仕向けるのは美術部部長の自分だ。
清川先生の意向は僕にそうしろと告げている。
僕はいつまで冷静でいられるだろうか。
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