第十節 四冊目のスケッチブック
今日はこのスケッチブックを仕上げて、清川先生に提出する。
清川先生を「きよピー」と呼ぶ草間部長の気持ちが少しわかった。何故かというと、「きよピー」とキャラ付けでもしないとあの先生の圧からの逃げ道はないような気がしたからだ。
そこで辛いときは澪も心の中では清川先生をこっそり「きよピー」と呼ぶことにした。
きよピーは怪獣。機嫌を損ねると怒るのが当たり前。
そう言うと、有華は爆笑した。
「普通に悪口じゃん」と目に涙をためるほど笑っている。
しかしテニス部を描いたスケッチブックを開くと、有華は真剣にそれを眺めて黙り込んだ。
「澪、すごいよ……」
呆然、といった体で有華はつぶやく。ここ最近、清川先生におしかりの言葉しかもらっていなかったので、澪は素直に嬉しかった。
鉛筆の濃淡の具合は、来栖先輩の鉛筆画を思い出しながら、描いたのだ。こんなところでも自分の記憶能力が役立つとは思いもよらなかった。
とにかく動きのあるものを瞬間で記憶して、描き込む技法は上手い人が描いた絵や描き方を記憶して紙に再現する。
そんな方法を澪はおよそ二週間で会得していた。
入部して十五日目。
四冊目のスケッチブックを持って、教員室に入る。
いつにも増して機嫌の悪そうな清川先生に澪は恐れながらスケッチブックを提出した。
清川先生はさっと観るのではなく、今回は一頁ずつ丹念にスケッチブックを繰ってくれた。
うん、とか、ふん、とか言いながら絵を眺めている。
澪は冷や汗を描きながら、待っているしかない。
清川先生が一番長く眺めていたのは、描き込み、こだわった千夏の姿だった。
「まぁ、いいね、そうか。……仁を呼んで」
仁と言われて澪は一瞬、誰のことかわからなかった。
草間部長の下の名前と気づいて、慌てて教員室を出る。
「草間部長、清川先生が呼んでいます」
澪がそう言うとキリンの油彩画に取り掛かっていた草間部長が振り返る。
「はいはーい」
草間部長はそう返事を返すと教員室へ消えていった。
一体、何の話をするのだろう。
澪は疑問に思いながら、目の前のキリンの絵を眺めた。
キリンはあの黄色い肢体ではなく、柔らかな紫色に塗られていた。逆に黄色は周囲をもやのように取り囲んで塗られている。幻想的な絵だ。
私も早く油彩画したいな。
そう思いながら、澪は草間部長の絵を眺めていた。
最近は有華も油彩画に取り掛かっている。
入部以前の澪の真向かいで有華はクロッキー帳でデッサンばかりしていた。
そのことになんの疑問も持たなかったけど、あれは澪の相手をするための有華の心遣いだったのだ。
澪は昨日の千夏の応援といい、友人たちに深く感謝した。
教員室から草間部長と清川先生が出てきた。
何なのだろう。何か発表するのだろうか。
皆が疑問を抱きながら、清川先生の言葉を待っていた。
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