2ー24.不安

 澄み渡る空はどこまでも深い青。

 暑さに陽炎が揺らめく、暑い日だった。風も微風程度しか無く、じっとしているだけで汗をかいてしまう程に。


 そんないい天気の中で、グレイシアは自室に閉じ籠っていた。

 ここはアーベライン侯爵家。辺境の地である。


 グレイシアが実家に戻ってきてから二日になる。リオレイルからの連絡はまだない。

 連絡が来るはずもないのに、それを心待ちにしている自分に気付いて、グレイシアは自嘲に深い溜息を零した。


 ソファーの上で膝を抱えて丸くなる。そのままころんと横に倒れたグレイシアは、窓から外を眺めていた。四角く切り取られた青い空。ゆったりと雲が流れていく。

 行儀が悪いと咎める侍女もいない。グレイシアは部屋に一人だった。



 リオレイルは無事だろうか。

 聖なる力を分け与えたとはいえ、ルルシラは”穢れ”を操る力を持つ。リオレイルに残る”穢れ”は全て祓い落とせても、もしかしたらまた同じような事になってしまうのではないか。

 やっぱり自分はあの場から去るべきではなかったのだ。いくら腹を立てていたとはいえ、あの場に残って聖なる力を使うべきだった。


 もし、自分がいないせいで、リオレイルが”穢れ”に飲まれたとしたら……。

 冷静さを取り戻してから、ずっと同じ事を思い悩んでいる。はぁ、とまた溜息を漏らしてクッションを胸に抱き寄せた。


 思えば自分は、一体何に腹を立てていたのか。

 人の心を操るルルシラに対する怒り。それはもちろんある。しかしリオレイルに対してはどうなのだろう。

 ”穢れ”によって自我を奪われた彼に、自分の意思はなかった。それを責められるのだろうか。


「……悔しくて、悲しかった。それを怒りで誤魔化していたのね」


 小さく落とした呟きは、すとんと自分の胸に馴染んでいく。


 リオレイルが自分を見ていなかった事、リオレイルが自分を捕らえる事に頷いた事、リオレイルが自分以外の人と結婚しようとしていた事。

 それがただ、悲しくて。惨めな自分を誤魔化すように、ただ怒りで上書きして。

 きっとリオレイルには全てがばれてしまっているだろう。


「……嫌いになってしまったかしら」


 彼からしたら、勝手にグレイシアが怒っているように見えただろう。彼の意思はそこにはないのだから。

 怒って、離縁だと騒いで実家に帰って。呆れられても仕方がない。


「本当に離縁になったらどうしましょう。……謝って、もう一度わたしを好きになって……そんな自分勝手な事、わたしが嫌だわ。でも離縁はしたくないし……ああもう、どうしてわたしはあんな事を。……メイサかセレナに、リオレイルの様子を聞いてみる? それも何だか狡い気がするし……」


 かっとなって、考えなしに行動してしまうのはアーベラインの悪いところだ。いや、それを理解していながらも、そんな行動をとったグレイシアが悪い。自分が一番わかっていた。


「……三日で解決するような話じゃないでしょうに。三日経ったら、アメルハウザーに帰ろう。そしてリオンに謝らないと……」


 グレイシアしかいない部屋に、独り言が響く。

 夕方に差し掛かろうとする時間。燃えるような太陽が、更にその熱気を増していく。


 泣きたくなるのを堪えながら、グレイシアは窓から空を眺めていた。

 イルミナージュに続く空を。




 リオレイルがアーベライン家の門をくぐったのは、その頃だった。

 従官であるカイルも連れず、リオレイルは一人だった。騎士服をしっかりと着込み、背には大剣を携えている。


 グレイシアには伝えないで欲しいと添えた先触れを出してはいるが、アーベライン家はどうするのだろうとリオレイルは様々な事態を想定していた。

 門前払いをくらうのか、それとも迎えて貰えるのか。



(そうなるだろうと思っていたが、少し予想が外れたか)


 屋敷の前庭には、グレイシアの父であるアドルフ・アーベライン侯爵と、次兄のエトヴィンがいる。彼らは困ったように眉を下げ、どこか同情するような視線をリオレイルに向けていた。


 彼らの前にはドレス姿の女性が二人。

 母であるアレクシア・アーベライン侯爵夫人と、エトヴィンの妻であるルゥシィだ。二人はドレスには似つかわしくない長剣を抜いている。


 アレクシアはグレイシアとよく似た美貌で、にっこりと微笑んでいる。しかしその緑の瞳には怒りを隠そうともしていない。

 小柄なルゥシィは豊かな茶の巻き毛を高い位置で一本に纏めている。青い瞳は険しくリオレイルを睨んでいた。


「まさか、こんなにも早く娘が帰ってくるとは思わなかったわ」

「シアちゃんに事情は聞いていますが……だからといって許されるものではありません」


 二人から放たれる怒りは、殺気にも似ていた。

 自分のした事を思えば、義母達の怒りも当然だ。リオレイルにはそれを受け止める以外の選択肢はない。言い訳など出来る筈もなかった。

 義父と義兄を加えた四人を相手取るものと思っていたくらいだ。


 リオレイルは大剣を抜いた。

 沈みかけた太陽が刃に映る。


「覚悟!」


 ルゥシィの鋭い声が合図となった。

 地を蹴り一気に距離を詰める二人に対し、リオレイルも大剣を両手に向かっていく。


 アレクシアの剣は素早いし、ルゥシィの剣は重い。

 軌道をずらして振るわれる二人の剣を、リオレイルは軽々と受けて弾いていく。一際高い剣戟が庭に響いた。


 動きを止めた三人。

 アレクシアの腹には大剣の刃腹があてられていて、ルゥシィの首元にはルゥシィ自身の手で剣が突きつけられていた。ルゥシィの手を掴み、そうさせているのはもちろんリオレイルだった。


「……剣が鈍っているのなら絶対に会わせなかったけれど」

「わたくし達の敗けですね。悔しい……」


 その場に座り込むルゥシィは悔しそうに眉を寄せた。

 リオレイルは大剣を背負うと、胸に手をあてて腰を折る。騎士の礼だった。


「グレイシアに会わせて頂けますか」

「ええ、もちろん。あの子も待っているでしょう」

「ありがとうございます」


 姿勢を正したリオレイルは二人に軽く会釈をして、足早に玄関へと向かう。

 途中、アドルフとエトヴィンに「災難だったな」と声をかけられるも、苦笑いをする以外になかった。


 早くグレイシアに会いたい。

 ただそればかりがリオレイルの胸を占めていた。


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