2ー21.集結
すでにルルシラは死人である。
リオレイルの発したその言葉に、ルルシラは可愛らしい顔に眉を寄せる。その濃桃の瞳からはありありと動揺の色が見てとれた。
「な、にを……何を言っているのかしら。わたしはこうして生きて動いているでしょう。”穢れ”を身に宿している事は否定しないけれど――」
「その皮の下に在るのは”穢れ”だけだ。貴様は既に死していて、”穢れ”によって生命に似た活動をしているに過ぎん」
「私は、ルルシラ・クラッセン。記憶だって心だってここにあるわ」
「それを証明する手だてはないな。貴様がルルシラ・クラッセンだろうが、”忌人”が感情を持つ存在だろうが、どちらにせよ人の理からは外れている」
「ふふ……あはははは!」
不意に響いた笑い声に、カイルが隠し持っていた剣を抜いた。警戒するように、その視線はルルシラと、周囲を囲む”
しかしリオレイルの表情は変わらない。常の無表情でルルシラをじっと見据えるばかりだ。
「そうね、確かに私は人の理から外れた存在。でも私はここに存在している。あなたに私が殺せるの?」
ルルシラの手から”穢れ”が溢れ、それが二対の短剣を形取る。壁を作る”忌人”達がそれに合わせるように、ゆらりと一歩迫ってきた。
「貴様は既に死人だと、そう言ったはずだが。私は目の前にいる”忌人”を斬るに過ぎん。それが例え、ルルシラ・クラッセンの姿をしていようとも」
「あなたにそれが出来る? また”忌傷”から操ってあげる。今度は絶対に逃がさない」
にっこりと笑ったルルシラは、その”穢れ”さえなければとても可愛らしい令嬢だった。どこかうっとりとしたように、熱い眼差しをリオレイルに送っている。口ぶりは言い聞かせるようにどこまでも穏やかなものだった。
「私達はずっと幸せに二人きりで暮らすのよ。この世界を滅ぼしたとしても」
「断る」
短く告げたリオレイルが力強く地を蹴った。一瞬でルルシラとの距離を詰め、その首を撥ね飛ばそうと剣を薙ぐ。その剣筋に躊躇はない。
しかしルルシラは自分の前に”穢れ”を色濃く具現させる。リオレイルの大剣がその”穢れ”の盾に塞がれているうちに、迫ってきていた”忌人”の中に紛れてしまった。
「大丈夫よ、リオレイル様。触れられても”穢れ”に沈む事なんてないわ。安心して
くすくすと笑うルルシラの声は、弾むように軽やかだった。あっという間にリオレイルは無数の”忌人” に囲まれてしまう。駆けつけようとしたカイルを足止めするように、カイルの前にも数体の”忌人”が立ち塞がった。伸びた黒爪を剣で受け止めている間に、リオレイルの姿は見えなくなってしまった。
「
悲痛な声はルルシラの哄笑に掻き消される。
刹那、強い光が
リオレイルを飲み込んだ筈の”忌人”達が黒い粒子となっていく。そこに”忌人”がいたという痕跡さえも無くなって、その場にはリオレイルだけが立っていた。
愛剣の刀身が光を帯びて薄く輝きを放っている。
「……聖なる力……?」
神々しいほどの目映さに、カイルが息をのむ。カイルと対峙していた”忌人”達が、警戒したようにリオレイルに意識を向けた。それを見逃さず、カイルが目の前の”忌人”を両断する。
「どうして聖なる力を……あの女ね。その大剣、あの女が持ってきたものだわ」
「愛しの妻はこの剣に、聖なる力を付与してくれていてね。聖女の浄化と同じだけの効果に、貴様は耐えられるかな」
「いくら聖なる力を帯びていると言っても、付与されているだけでしょう。時間が経てばその効果だって……」
「効果が切れるよりも、貴様が消滅する方が先だと思うが」
薄く笑ったリオレイルは、また一足でルルシラとの距離を詰める。ルルシラは周囲の”忌人”を盾にして大剣の一撃を防ごうとした。しかし早かったのはリオレイルだった。”忌人”達が陣形を取るよりも早く、ルルシラの元へ肉薄する。
「あああああっ!」
その場に崩れるルルシラを庇うように”忌人”が前に出た。
リオレイルの大剣によって、ルルシラの左足と右腕が切断されて床に転がっていた。傷口から溢れるのはやはり”穢れ”で、血の一滴も零れる事はなかった。
ぎり、と歯を食いしばったルルシラからまた”穢れ”が溢れ出る。それは切り落とされたばかりの左足と右腕を形取っていった。
「……いくら手足を切り落としたって無駄よ。私は”穢れ”さえあれば、何度だって蘇る」
「そうさせない為の、聖女の浄化だろう?」
リオレイルが剣を振ると、切っ先から放たれた聖なる光がルルシラの切り落とされた手足を粒子に変える。そこにはもう”穢れ”の気配もなかった。
「彼女に直接、聖なる力を口移されていてね。時間に限りはあるが、私にも浄化の真似事が出来るようだ」
ルルシラの顔が青ざめていく。
状況を打破しようと、周囲に目を向けて――その視線がカイルに行き当たった。ルルシラの感情のままに動く”忌人”達は、その意を汲んで一斉にカイルに襲いかかる。
カイルはその攻撃を軽々と避けると、返す刀で”忌人”達を切り伏せていった。リオレイルのような浄化の剣ではない為に、教会の床が”忌人”だった成れの果てで澱みに黒く染まっていった。
「私の側近だぞ。簡単に取れると思わないでくれたまえ」
リオレイルは当然とばかりに低く笑った。
その圧倒的な力にルルシラは悔しそうに顔を歪める。ゆっくりと立ち上がるその姿は全身から”穢れ”を溢れさせていて、まるで”忌人”そのものだった。
「うぉ! なんだこりゃ!」
「団長! グレイシア様は!?」
響いた声にその場の全員が、扉へと目を向けた。そこに居たのはアウグストとセレナだった。騎士服を着ていないその姿とセレナの言葉から、グレイシアを救出したのはこの二人だとリオレイルには予想がついた。
「実家に帰った」
「はぁ!? アンタ、お姫さんにちゃんと謝ったのかよ!」
「その話は後だ。まずは――」
リオレイルの言葉に、アウグストとセレナが目を丸くする。それを片手で制したリオレイルはルルシラへ大剣を向けた。
ルルシラはいまの間に“穢れ”から”忌人”を生み出していた。その”忌人”が二つ、三つと姿を分かち、また神殿内は”忌人”に埋め尽くされそうとしていた。
しかしリオレイルにも、カイルにも、到着したばかりのアウグストとセレナにも、焦りの様子は見受けられなかった。
全員が強く剣を握りしめ直し、その瞳に闘志を燃やしている。
「殲滅せよ」
リオレイルの静かな一言を合図に、全員が地を蹴った。
夕間暮れと夜の狭間、グレイシアの瞳のような空の下だった。
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