2ー10.子爵令嬢

 森を出てすぐ、騎士団員の五名を学者方の守りとして待機させたリオレイルは、悲鳴の元へと駆けていく。その後ろにつくのはアウグスト、カイル、セレナだった。


 近付くにつれ、鼻を腐臭が刺激する。

 リオレイル達が見たものは多数の”忌人いみびと”に囲まれる馬車だった。暴れる馬は”忌人”にその喉笛を食いちぎられ、鮮血が噴き上がる。血に濡れた地面に尻餅をついているのは、御者らしき男。

 ひしゃげてしまった馬車を護衛達が囲んでいるが、”忌人”には敵わないようで一人が”穢れ”に沈んでいくところだった。


「総員! 散開せよ!」


 リオレイルの声に、アウグスト達が剣を手に”忌人”達へ向かっていく。

 セレナは馬車を、アウグストは護衛と御者を守る配置で剣をふるい、カイルは”忌人”達の背後をつく。


 カイルの剣が”忌人”の首を撥ね飛ばす。その瞬間、崩れ落ちる”忌人”の陰から、別個体が長く伸びた爪でカイルの心臓を狙った。

 リオレイルはその爪を氷弾ひょうだんはじくと一気に距離を詰めて、腹を薙いだ。


「主、申し訳ありません」

「気を付けろ。……連携が取れているぞ」


 リオレイルの声にカイルは息を飲んだ。

 ”忌人”を相手取りながら注意深く観察すると、確かに統率された兵の動きをしているようだった。それはセレナやアウグストにも伝わっているようで、二人とも動揺を隠せないでいる。


 ”忌人”の長い爪と切り結ぶセレナの横から、また”忌人”が襲いかかる。それを避けたセレナは二人纏めて胴を切り裂く。二つに分かたれた胴体が崩れ落ちるのを見届ける間もなく、飛び上がった”忌人”が頭上からセレナに飛びかかろうとしていた。

 その個体の額に別方向から短剣が突き刺さる。空中で力を無くした”忌人”がその場に崩れ落ちる。短剣を引き抜いたセレナは、それをカイルの足元に投げた。


「ありがと!」

「油断するなよ」


 半分ほどの”忌人”が、その身を剣に散らした時だった。

 天にきらりと星が流れる――刹那、まるで知っていたかのように、騎士団の面々は一斉にその場から距離を取る。


 降り注ぐのは星ではなく、氷塊――リオレイルの氷魔法だった。

 狙いも正確に、その氷塊は確実に”忌人”に当たり、その身を氷漬けにしていった。それをアウグスト達が剣を使って割っていく。


 陽光に氷粒が煌めいて、美しくさえもあった。

 その幻想的ともいえる光景を最後に、戦闘は終わりを告げた。”忌人”は霧散して、”穢れ”の欠片さえも残さなかった。



「リオレイル、いまの奴らが、例の・・……」

「だろうな」


 アウグストが薄く汗をかいている。

 例の、統率された”忌人”。しかし率いていた者は見受けられなかった。”忌人”同士で連携を繋げているのか、だとすれば”忌人”が明確な知能や自我を持っているというのか。

 リオレイルは小さく溜息をついた。



「あの! お助け下さってありがとうございます!」


 不意に掛けられた声に、リオレイルが目を向ける。

 ひしゃげて扉が曲がってしまった馬車から、護衛の手を借りて降りてきた令嬢の声だった。


 黒い髪は顎辺りでくるりと内巻きに整えられている。濃桃色の瞳が濡れて、瞬きをすると涙が頬を一筋伝っていく。ぷっくりとした肉厚の唇が印象的な、美しい小柄な少女だった。


「わたくし、ルルシラ・クラッセンと申します。クラッセン子爵の娘ですわ」


 ドレスを摘まみ、膝を折って淑女の礼をするルルシラに、リオレイルをはじめとする騎士団は胸に手をあてそれに応えた。

 ルルシラはその濃桃の瞳に恋慕の色を乗せて、リオレイルを見つめている。それに気付いたリオレイルは一歩下がり、機微を察したアウグストが代わりに前へと出た。


「我々は第一騎士団です。クラッセン子爵領にて異形が発生しているとの報告を受け、調査団の護衛として参りました。お怪我はないですか」

「わたくしは大丈夫なのですが、護衛の一人が”穢れ”に沈んでしまいましたの……。わたくしを守る為に、なんてこと……」


 ルルシラは顔を覆って、肩を震わせる。それを護衛の一人が宥めていた。


「”忌人”は急に現れたのか?」

「はい。今日は町に視察に出て、お屋敷に戻る最中だったのですが……。道を塞ぐように”忌人”が現れて、あっという間にその数を増やしてしまったのです」


 アウグストの問いに答えたのは、ルルシラを宥めている護衛だった。


「皆様がいらして下さらなければ、わたくし達は皆、”忌人”に捕らわれていたでしょう。大したもてなしは出来ませんが、どうぞ屋敷においでなさって。お礼をさせて下さいませ」

「いや、我々は任務の最中ですので。そろそろ失礼を」

「それは残念ですわ。……アメルハウザー公爵様!」


 ルルシラが前に進み出て、言葉を交わしていたアウグストの横を通りすぎる。リオレイルとの距離を詰めたルルシラは、指先で涙を拭ってから微笑んで見せた。


「本当にありがとうございました。……噂以上に素敵なお方ですのね。わたくし、ずっとあなた様にお会いしたく思っておりました」


 ルルシラは胸の前で華奢な指先を組んでいる。頬が薔薇色に色付いて、漏らす吐息まで恋に染まっているようだった。


「近々、王都に行く予定がありますの。その際には今日のお礼をさせて下さいましね」

「いや、不要だ。失礼する」


 感情の乗らない声で言葉を紡いだリオレイルは踵を返す。それに他の面々も追随する中で、リオレイルは背中が疼くのを感じていた。

 昔、”忌人”に襲われた時の傷。既に”穢れ”は祓われているのに。これだけの障気にあてられていたからだろう。そう結論付けたリオレイルは、歩きながら大剣を背負う。



「……あの人、団長の事を知っていたんですね」

「アメルハウザー公爵だぞ、知らない貴族なんていねぇだろ」

「でもなぁんか気になるんですよね。女の勘ってやつです」

「当たるのか、それ」

「副団長はそういうところが、キャルちゃんに嫌われる原因なんですよ」

「嫌われてねぇし」


 リオレイルの後ろでは、アウグストとセレナが軽口を叩いている。緊迫感はないが、二人とも周囲を警戒しているのを理解しているリオレイルはそれを咎める事はなかった。


「お前はリオレイルに近付く女なら、みんな気に食わねぇだろ」

「当たり前ですよ。グレイシア様がいるのに近付いてくる女なんて、ろくでもないです」

「言い切るねぇ。でもまぁ、俺の嫌な予感ってのも、これだったのかもしんねぇなぁ」


 きっぱり言い切るセレナに、アウグストも苦笑するしかない。

 アウグストとしても、あの子爵令嬢が何か火種となりそうなのは理解していた。


「……主、何か考え事ですか」


 主であるリオレイルの違和感に、従官でもあるカイルだけが気付いていた。琥珀の瞳だけを腹心に向けたリオレイルは小さく首を横に振り、薄く笑う。


「グレイシアに逢いたい」


 紡がれた言葉に、アウグストの苦笑いが深くなった。


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