過去⑨

 ある天気のいい午後だった。

 グレイシアとリオレイルは、屋敷から少し離れた花畑で花摘みをして遊んでいた。

 屋敷からは離れているとはいえ、騎士の詰所からは程近い。子どもだけで遊んでいても問題ないほど安全な場所だった。


 色とりどりの花が咲く。

 二人は花畑に座り込み、花冠を作るべく一生懸命手を動かしていた。


「ねぇ、リオン。明日帰っちゃうって本当?」

「……伯父上から聞いた?」

「父様とおじ様がお話していたのを聞いちゃったの。もう会えないの?」

「会えるさ。俺達は友達だろう?」


 リオレイルは出来上がった花冠を、グレイシアの頭に乗せる。明るい色彩で作られたその冠は、グレイシアの銀糸によく似合った。グレイシアは嬉しそうに表情を綻ばせるも、すぐにその唇を可愛らしく尖らせる。


「お友達? わたしはこんなにリオンのことが好きなのに?」

「俺だってグレイスのことが好きだよ」


 グレイシアは出来上がった花冠に目を落とすと、不恰好なそれをリオレイルの頭に飾った。ところどころで花が飛び出してしまっている仕上がりでも、リオレイルは嬉しそうに笑っている。

 

「そうじゃなくって! わたしはリオンのお嫁さんになりたいの!」

「じゃあ大きくなったら迎えに来る。その時には結婚しよう」


 リオレイルの声も、その表情も柔らかい。

 グレイシアは数度目を瞬くと、嬉しそうに破顔した。その頬は仄かに色付いている。


「いいの?」

「もちろん。グレイスが俺のお嫁さんだ」


 リオレイルは紫色の花を一輪摘む。それで器用に指輪を作ると、グレイシアの指に結びつけた。リオレイルの頬も、耳も赤く染まっている。グレイシアは嬉しそうに指輪を見つめるばかり。


 そんな穏やかな雰囲気に終わりを告げるように、陽が翳った。漂う腐臭に、二人は立ち上がる。リオレイルはグレイシアを守るように抱き込んで、周囲に警戒の視線を向けている。


 何かを引きずる音に促され、そちらを見た二人の目に映ったのは、“穢れ”を全身から立ち上らせる“忌人いみびと”の姿だった。


 悲鳴をあげそうになるグレイシアの口をリオレイルが押さえる。リオレイルの腕の中で、グレイシアの体は震えていた。

 リオレイルがグレイシアを抱えたまま後ろに下がるも、“忌人”は同じだけの距離を詰めてくる。逃げられないとリオレイルは悟っていた。それならば、せめて……と。


 ふらふらと体を横に揺らす“忌人”が、不意に一気に距離を詰める。振りかぶったその爪は容赦なく二人に襲い掛かった。

 二人の頭から花冠が落ちる。“忌人”に踏みつけられた花が黒く染まって散った。


「ぐ、っ……!」


 リオレイルはグレイシアをしっかりと抱え込み、その背中に爪を受けた。噴き上がる鮮血がグレイシアの視界を染める。


「グレイス、逃げろ……っ!」

「ぅあ……あっ……」


 リオレイルはグレイシアだけでも逃がそうとするが、震えるグレイシアはその場から動く事が出来ない。

 グレイシアの心を占めていたのは、リオレイルを失う恐怖だけ。リオレイルの背中から“穢れ”が立ち上る。その向こうでは“忌人”が追撃に向けてまた大きく腕を振りかぶっている。


(……死なせない。死なせたくない)


 グレイシアの瞳から涙が零れた。胸を占める感情のままに、リオレイルを抱き締める。刹那、グレイシアの胸から光が溢れると、その光は聖なる柱となって翳っていた雲さえ貫いた。


「っ、ぐ……ぁっ!」


 聖なる光はリオレイルの背からも“穢れ”を祓う。その焼けつく様な痛みにリオレイルが苦悶の声を漏らすと、グレイシアは宥めるようにその頭を撫でるばかり。その手が尚も震えていても、彼女はリオレイルを離さなかった。


 光を受けて、リオレイルの体が魔力に包まれていく。

 髪は魔力を帯びた漆黒に色を移し、左目が母と同じ琥珀色に変化する。


 リオレイルが“忌人”に手を向けると、そこに魔力が収束する。振り下ろした手から放たれた冷気は“忌人”を氷漬けにして、ぐっと拳を握ると霧散する。雲間から差し込む光に反射した氷の破片がきらきらと輝いていた。


「グレイシア、しっかりしろ!」


 未だにグレイシアの体からは聖なる力が溢れ続けていた。虚ろな瞳をしているグレイシアをしっかりと抱き締め直し、リオレイルは必死に呼びかけていた。



「リオレイル!」

「シア!」


 異変に気付いたアドルフとテオバルト、ベルントとエトヴィンが駆け寄ってきた事にもリオレイルは気付いていなかった。

 幼い甥の変化と、霧散した“忌人”の欠片、立ち上る聖なる光に状況を把握したテオバルトはグレイシアの額に手を翳す。


「暴走している。アドルフ、この力を封印するが構わないな」

「ああ、頼む」

「この記憶も……いや、ここしばらくの記憶を全て消したほうがいいだろう。僕やリオレイルを思い出すと、封印が解けてしまうかもしれない」


 テオバルトの言葉に、ベルントとエトヴィンが顔を上げる。


「それって、グレイシアはリオレイルを忘れちゃうの……?」

「……いいんだ、それがグレイスのためになるのなら」


 理解したリオレイルは小さく頷く。そのオッドアイに涙を浮かべていても、グレイシアの為だと理解して。


 テオバルトが詠唱を紡ぎだす。グレイシアはゆっくりと目を閉じていくも、その間際までずっとリオレイルを見つめていた。

 額に触れたテオバルトの指先が一際強く輝くと、グレイシアの体から溢れる聖なる光は収まっていった。

 穏やかな表情で眠るグレイシアを、リオレイルはきつく抱き締めると深く息を吐いた。


「……リオレイル、大丈夫か?」


 気遣うエトヴィンの声に、小さく頷くと抱き締める腕から力を抜く。アドルフが娘を受け取ると、リオレイルの頭を優しく撫でた。


「リオレイル、グレイシアを守ってくれてありがとう」

「そんな、僕は……グレイスに守られて……」

「君がいなかったら、グレイシアは堕ちていたよ」


 優しく紡がれる言葉に、リオレイルは首を横に振るばかり。テオバルトはそんなリオレイルを抱き締めるとその背を宥めるように撫でた。


「帰ろう、リオレイル」

「……はい」

「アドルフ、また連絡する。急な事ですまないが、僕たちはお暇するよ」

「ああ、分かった。準備をさせよう」


 翳っていた雲は風に流されて、穏やかな春の日差しが降り注ぐ。そんな中で、リオレイルはずっとグレイシアを見つめていた。その指にはまだ紫の花が飾られたまま。

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