過去③

 父の友人が遊びに来ると聞いてから、グレイシアはそわそわしていた。お気に入りのピンクのリボンを白銀の髪に結んで貰い、これまたお気に入りの、紺色が綺麗なデイドレスに着替えた程だ。


「グレイシアったら、そんなに楽しみなの?」

「楽しみよ。お友達になりたいんだもの」


 最初はサロンで大人しく待っていたはずなのに、待ちきれずに玄関ホールをうろうろしている娘の姿に、アレクシア・アーベライン侯爵夫人はくすくすと笑う。しかしそれを咎める事はしなかった。


 六歳の子どもにしたら、新しいお友達が出来るというのは大事件だというのを彼女は分かっている。

 しかしこれから夫の友人であるアメルハウザー公爵が連れてくる子どもとは、すぐには仲良くなれないかもしれない。その子がどんな深淵を抱えているかを聞いているアレクシアは小さく溜息をついた。


「……うちの子達と過ごす事で、少しでも彼が元気になるといいんだけれど」


 これから来る子どもは十歳。アーベライン侯爵家には十歳の長男ベルント、九歳の次男エトヴィン、六歳の長女グレイシアがいる。歳近い子どもと賑やかに過ごす事が彼の癒しになる事を、大人達は皆願っていた。



「来たかも!」


 グレイシアは何かを察知して、玄関の扉を大きく開いて飛び出していく。アレクシアには何も聞こえなかったのだが、彼女は気配探知に長けている。アレクシアは笑みを浮かべてその後を追いかけた。


「やぁ、グレイシアちゃん。おじさんを覚えているかな?」

「アメルハウザーのおじさま! その子が、わたし達とお友達になる子ね? こんにちは!」


 グレイシアが飛び出した先、玄関ポーチに僅かな荷物を手に立っていたのは、テオバルトとリオレイルだった。

 にこやかな公爵と、その隣の無表情な少年。

 グレイシアが話しかけても、リオレイルは反応しない。テオバルトは困ったように眉を下げてリオレイルへ身を屈めるも、それよりも早くグレイシアがリオレイルの顔を覗き込んでいた。


「こんにちは、わたしはグレイシアよ。グレイシア・アーベラインというの」


 ふい、とリオレイルが顔を背けるも、グレイシアは気にしない。幼子特有のしつこさで、彼の頬を両手で挟み、強制的に自分へと向けさせた。


「よろしくね」


 リオレイルはそのくらい瞳に少女を映すと、ただ小さく頷くばかり。


「こら、グレイシア。彼がびっくりしちゃうでしょう。いらっしゃい、テオバルト」

「世話になるね、アレクシア侯爵夫人アドルフ侯爵は?」

「上の子達を連れて狩りに行ったの。あなた達にご馳走するって、はりきっていたわ」

「そうか、有難いな。……この子がリオレイルだ。グレイシアちゃん、仲良くしてやってくれ」

「もちろん!」


 事情を知らないグレイシアばかりが明るい。それでもその明るさは、大人達の気持ちを上向かせるようだった。

 グレイシアは夕闇が近付く春風の中、目の前の少年に見惚れていた。泣くのを我慢しているような、そんな雰囲気を彼から感じたからかもしれない。

 

(きっとお友達になれるわ)


 グレイシアの小さな決意は、ふわりと漂うマグノリアの香に包まれていった。




 グレイシアを始めとする、アーベライン侯爵家の子ども達はリオレイルと遊ぶのを楽しみにしていたけれど、彼が客間から出てくる事はなかった。

 侯爵達が狩ってきた鴨はその日の夕食にあがったのだが、リオレイルとテオバルトは客間で食事をとったのだ。これはリオレイルを慮っての事だった。



「彼の闇は相当に深いな」


 子ども達が寝静まった後、サロンでアドルフ・アーベライン侯爵とアレクシア・アーベライン侯爵夫人、テオバルト・アメルハウザー公爵はテーブルを囲んでいた。ブランデーを垂らした紅茶の香りがふわりと広がる。

 リオレイルはやはり眠れないようで、テオバルトが魔法を使って眠らせてきたようだ。体は休息を求めていたようで、リオレイルは瞬く間に深い眠りへ落ちていった。


「テレサが生きていた時も、彼はテレサと共に王太后からの悪意に晒されていた。幾ら周りが守ろうとも、刺された棘は彼を苛み続けるだろう。それにきっと……あの子は、テレサが死んだのは自分の所為だと思っている」

「そんな……」


 三人の子の母親でもある、アレクシアが両手で顔を覆う。


「彼はそんな苦しみも、ずっと一人で抱えてきた。それは僕も同罪だから、これからどうやって償っていけばいいのか……」

「すぐに癒えるものではないだろう。うちの領地アーベラインは自然も豊かだし、やんちゃな同年代もいる。少しは彼の気持ちに寄り添えるといいんだが」

「それなんだけど、意外と……鍵になるのはグレイシアちゃんかもしれない」

「グレイシアが?」


 まだ六歳の娘になにが出来るのだろう。そんな表情がアドルフの顔には浮かんでいる。


「グレイシアちゃんの真直ぐな感情は、リオレイルを動かすかもしれない。アレクシアは見ただろう? あの子が頷く姿を」

「ええ、見たけれど……」

「他人と視線を重ねる事も、意思表示をする事もないんだ、あの子は。だからあの小さな頷きを見ただけで、僕はどうしようもなく嬉しかった……」


 テオバルトの声は苦渋に満ちていた。

 春とはいえ、夜には冷える。暖炉の薪が小さな音を立てて爆ぜた。

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