47.苦悩
イルミナージュ王国、第一騎士団団長執務室にて。
「なぁ……」
「…………」
「……いや、頼むからさ……」
冷え切った室内の中、執務机に向かっているのはリオレイルだった。その眉間に皺を寄せ、機嫌の悪さをこれでもかと晒しながらも、その書類の処理速度が落ちることは無い。
「リオレイルってばさぁ……」
「…………」
「そんなに逢いたいなら、逢いに行けばいいじゃねぇか」
ビキッと高い音がする。
カイルは慣れた様子で主の手からガラスペンを取ると、その軸先を取り替えた。
「何を我慢してるんだかしらねぇが、不機嫌に付き合わされる俺らの身にもなれっての」
応接セットのソファーに座って、苦言を呈してくるのは副団長のアウグスト。ここにセレナの姿は無い。彼女はリオレイルの機嫌が悪い時には、絶対にこの部屋には近寄らないのだ。そしてそれは今日で三日目にもなる。
「……半年が長すぎるんだ」
「はぁ?」
搾り出すように紡がれた声は、自嘲めいていた。リオレイルもわかってはいるのだ、このままではいけないという事くらい。
執務椅子に深く背を預けて目を閉じる。その脳裏に浮かぶのは、いつだって愛しい婚約者の姿だ。癖の無い艶めいた銀髪、楽しげに煌く紫紺の瞳。剣を握る時の凛々しさも、『リオン』と呼ぶ声の甘やかさも、気恥ずかしげに目を伏せて揺れる長い睫毛も、何もかもが愛おしいのだ。
そんな愛しいグレイシアに、もう二週間も逢っていない。
逢いにはいつだって行ける。忙しくないわけではないが、転移の陣を組んであるのだからそれで一瞬。時間をやりくりすれば少しだって逢える。
それなのにそうしていないのは、ただ単にリオレイルが弱いだけだった。
逢いに行けば何をするか分からない。自制心には自信があった筈なのだが、グレイシアが関わればこのザマだ。
婚姻までの半年が長い。彼女が成人するまでの十二年は待てたのに。
もう数え切れない程の溜息をついたリオレイルは、ソファーで紅茶を楽しんでいる悪友に目を向けた。
「何を難しく考えてんのか、我慢してんのかもしらねぇけどよ。いまは婚約期間だろ? 楽しい楽しい時間だと思うけどな。そんな時に側にいてくれない婚約者か……嫌われてもおかしくねぇよなぁ」
「……うるさい」
「結婚式に向けて色々決める事もあるんだろ? 相談したい事もあるかもしれねぇよなぁ。手紙でのやりとりだけじゃ、伝えられねぇ事もあるだろうしなぁ」
悪友の言葉は胸に痛い。
しかし痛いということは、それだけ的確だというのも事実。
自分はこんなにも思い悩む性質だったのか。
グレイシアが絡むと及び腰になるにも程がある。
リオレイルは溜息をつくと立ち上がり、騎士服の襟元を軽く緩めた。首をぐるりと回すと、張っていた肩が楽になったような気がする。
「行ってくる」
「おう。しゃあねぇから残りの書類はやっておいてやるよ」
アウグストは立ち上がると、執務机へと近付いた。カイルが纏めた書類を受け取ると、リオレイルの肩をぽんぽんと叩く。
「お気をつけて」
カイルはそう言うとアウグストの背中を押して、執務室を後にした。
残されたのはリオレイルだけ。ふぅと深い息をつくと耳に手を遣り眼帯を外す。
「……逢いたければ逢いに行けばいい。
自分に言い聞かせるよう紡ぐ言葉は、常よりも低音だ。自嘲に口端を上げるとリオレイルは意識を集中させる。自分の足元に見慣れた魔法陣が浮かび上がった。
自分の欲望と戦わなければならない日が来るとは。リオレイルは低く笑う。
そして愛しい婚約者の元へとその身を飛ばした。抱き締めたいと、自分の願いを叶えるために。
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