ウマが合わない!

朝川渉

第1話 YouTuberがやってきた。「だから、お前の問題じゃない」

(プロローグ)


白い壁に囲まれて眠るのが我慢できない僕は、15歳から壁中に何かを貼り付けて眠るようになった。今もこんなふうに、部屋中が映画のポスターや親戚から譲り受けた絵画で埋め尽くされている。がらくたいっぱいの、物置みたいな部屋。ひとは、夜中に目が覚めて目の前が白いものばかりだったとき、その空白の寒さに時に寂しくならないんだろうかと思う。



(主人公の腕の中には彼女が子どもみたいに口を開けて眠っている)


フッ…と笑う主人公。部屋は薄暗く、カーテンの外側から薄く光が差し込み、朝焼けのようにも見える。二人はさながら、そこで眠るエビ…もとい、胎児のようにも見える。しばらく、部屋の汚さと雑乱とした感じをわたしたちは見ている。


ぴんぽーん!ぴんぽーん!どんどんどん!


「ねえ!たかし!」


「…」


「ねえ!おい!あけろ!!」


どん!どん!と、ここが一軒家であるから良いようなものの、隣近所なら全員が目覚めてしまいそうなくらい思い切りドアを叩く音に主人公の隆が眉をひそめる。


「おい!たかし!

チェーンは閉めないって約束しただろが!!」


(…はあ)


「う…ん、、なんの音?」


「あ、ちょっと待ってて。また、れいこさん?」


「うん…」たかしは立ち上がり、散らかった部屋の、ベッドの下に乱雑になった衣服類をがさがさとかき回し、そこにある服を着込む。


「大変ね。帰国子女の従兄弟を持つと」蓮は微笑むが、隆は引きつった笑いを浮かべるのみ。


まだ、蓮にはれいこがたかしの元恋人ということは言っていないのだ。


ガチャ。


「おっかえり〜」


カジュアルな服を着込んだれいこが、楽しそうに部屋へ入ってくる。たかしの肩を小突き、スキップするように玄関を通り抜ける。


「おい」


「ん?」


「ん、じゃねえだろ」


「もう、朝の七時ですけど?世間様はゴミ出し、子どものいる家庭では送り出しする時間で…」


「そーじゃなくて…ほんっと、いい加減にしてくれよ…」


れいこは、そのすらっとしたスタイルに不釣り合いなトレーナー、それからズボンを可愛く着こなして首を傾げて隆を見ている。

それから、右手でピースを出して隆の顔の前に見せつける。


「は?」


れいこは、ふざけてチョキをぱかぱかとする。


「わかるでしょ。2年。あなたが飼うべき犬の名前。あなたが別れる時に言うべき台詞。もう決めた?」


「はあ?」

たかしは、呆気にとられてれいこを見る。れいこは、にこっと屈託無く笑う。


「買ってきたよ。たかしの好きなたこ焼き…」


「好きじゃねーし」


「あっいいにおーい!」


蓮が、かわいいふわふわのカーディガンを羽織り、起き抜けの上気した顔でこちらへやって来る。なんの邪気もない顔。蓮はいつも、天使みたいにだ。そしてれいこに対しても、たかしに対しても屈託無く、話しかけて来る。


「蓮ちゃん」


れいこは微笑み、ダイニングテーブルに着く。それを見た蓮は、お茶、入れてきますと言って台所へゆく。隆も一応、そのテーブルに座る。

こと…こと…と、お湯の湧く音。広いダイニングは閑散としている。

お茶を持ってきた蓮、隆、それからその向かいにれいこの三人が座り、黙ってたこ焼きの包装を、れいこが開けている。隆が、何の気なしにテレビを点け、そのリモコン操作をするたかしをれいこが見る。


テレビではこれからの大雨の予報を映し出している「また、雨かー」と蓮がつぶやく。れいこは黙ってテレビを見て、「台風、来ないのかな」と呟く。





このような状況になってしまったことの起こりは、三ヶ月も前にさかのぼる。アルバイトで出会ったたかしと蓮は、付き合い始めてすぐにこのたかしの親が用意した家で半同棲のような生活を始めるようになった。自堕落な生活…それから、親の目のない、だらしない性生活。たかしは、蓮が好きだった。蓮と会って始めて人を愛するっていうことを知ったからだった。だからとにかく、家があることを都合のいいことに、源氏物語さながらの生活を二人でしていたのだ。

ガチャ!と蓮がドアを開け、にこにこ顔で換気をするが、視点を変えて蓮を見ると下着しか付けていない。それがこの家での、生活…たかしには2年というリミットが頭の中にはあったが、蓮はどうだっただろうか。


そんなある日。日付が変わりそうになる頃にチャイムが鳴り、誰にもこの生活を知らせていないたかしはギクリとして、半裸で覗き穴を見てみた。それは、れいこだった。(なぜ、ここに。もうずっと前に別れたのに)れいことは付き合ってはいたけど、半ばサークルの人たちに押されてという形だったため、たかしにはれいこを愛してたという実感がない。それに、ウマが合わない。そのウマの合わなさを誰かに説明しようとすれば、その原稿用紙はすぐに50枚くらいかなり濃い内容のものを書き込めるだろう。居留守を使おうと思ったが、チャイムが鳴りやまないため蓮が不安がり、一応対応してみたところ、二人の関係、というかいま、そこでやってた雰囲気を一瞬で感じ取ったれいこは、プライドを傷つけられたような気がし、ヒステリックな女のありふれたパターンとして蓮の気を引くための一芝居をうったのだ。「わたし…殺しちゃった。人を…しつこくて。証拠は、ない。だから迷惑はかからないと思う。しばらく、ここに置いてくれない?」

けれどそれは、先日れいこが仕事でききづてに知ったある人の過去を、模倣したに過ぎない。自分に言い寄って来ていた鬱陶しい人間が常にいるのは事実だったから、それはれいこにとっても意外なほど本当っぽくなった。たかしは蓮を不安にさせないため、れいこと自分との関係を未だ打ち明けておらず、「従兄弟がたまたま日本に帰ってきている」と説明をしただけだった。








蓮とたかしの一軒家へと、YouTuberが入ってくる。


YouTuberの林は、最近退職したばかりのニートの女の子。いま、はやりのYouTubeでいっちょ当ててやろうともくろんでいたところだった。


「ハーイ!林ちゃんで~す!

林ちゃんのなんでもやってみるチャンネルだよ~」


はじまりの挨拶を撮影したあとで、一人でそれをチェックして首をかしげる林。

それから10秒後、ひとりでうなづく林。

なにもかも、準備不足の感じは否めないが、とにかくこうなってしまったからには行動あるのみ。駅前の、雑踏ではなくビルとビルの間の、一目につかない場所で練習を繰り返していた林は、決意をしたように歩き始める・・・・


十数分後、林が歩いているのは閑静な住宅街だった。


あちこちを見回しながら、ネタを探し続けて歩き続ける林。

ふと、髪の長い女性が、空き地でしゃがみこんでいる姿が目に飛び込んでくる。


平日の昼間にしては目立つ、主婦っぽくもない身なりの女性に、林は思わず声をかける。


「あの・・・・どうされたんですか?」


「ん、」


女性が立ち上がり、林の背後から「あっ」と男の声が聞こえる。


女性が「たかし」と声を上げ、林がうしろを振り向いてみると、端正な顔立ちの「たかし」と呼ばれた男と、その隣に華奢な女の子が立って、林の顔をにこにこと見つめていた。








「わー。ひろい」


たしかに、ここは広い。一軒家に父、それから姉夫婦が住んでいたのだけど、いまは皆がニューヨークに住んでいる。


れいこはにこにこしながら案内している。(なに、考えてんだか…)たかしは訝しげにそれを見る。


「ふえ〜すご〜い!こんな家に男女三人で住んでるってえ???一体どんな人たちがここに住んでいるのでしょーか…」



YouTuberは、テレビ向けにおかしな口調で話していた。れいこだけは表情を崩さず、蓮は笑いを含んだ感じでそれを見て、たかしの方を同意を求めるように見る。たかしはそうなると、こころが柔らかくなるのを感じた。そうだよな、こういう人たちって変だよ。いま、ちゃんと蓮と僕は話たくって、僕はどこにいても度々こんなふうに思う。きっと世間の人から僕らのしていることなんか理解できないだろうなと思っていた。

あと2年…

「シャンデリア!ここシャンデリアあります!」

その、いかにもとってつけたようなシャンデリアを、YouTuberはスマホで映し出している。


「ね、お茶にしません?」


さすがにれいこが口を出す。「あ、そうッスね…」ぺこぺこ頭を下げながら、YouTuberはこたえる。たしかにこの家のいろいろな場所は、趣味がかち合わない一家があわてて作ったという感じを醸し出している。


蓮もれいこもそのまま歓迎したのに、たかしは気が気じゃなかったのだ。蓮は意味不明に人に親切にしたがるし、れいこはきっと何か一波乱起こせると企んでいたのに違いない…


いつだったか、たかしはれいこのこれからの事業計画を聞いたことを思い出していた。それはたかしのいた世界の暗幕を、一気に引きずり上げるような心地がした。

なにもかもうまくいっている、とれいこはいう。固定のお客も付いたし、その中には言い方は悪いがパトロンみたいな人もいる。そういう人は派手な分かりやすいものを欲しがる。だからわたしみたいな人も女でもうまくやっていける。けどそれだけじゃ寂しい。本当の自分はもっと、地味で、それからあなたみたいにうだつの上がらない人間で…そう語るれいこを、たかしはうっとおしく思う。そんなこと知らない、と吐いてしまいそうになった。そんなこと知らないし、これからもあなたのことをこれ以上少しも知ろうと思わない。苛々してきていた。

インテリアは、海外から発注されたものや壁紙、窓枠など凝った部分、それからそうでもない入り組んだクローゼット、おかしな暗室…、きっと凝った部分は父で、姉の夫が庶民的な趣味をそこに無理やり入れ込んだのだろうとたかしは推測していたが、そんなものどうでもよかった。


蓮はいつも通りだが、れいこはまだ仮面をかぶって客をもてなしている。コーヒーを入れ、微笑みながらYouTuberの林の前へ来る。


「ありがとうございます」


林がぺこっと頭を下げ、たかしはそれを微笑みながら見つめる。たかしは、富豪の家庭で育ったため、ぱっと見賢く思慮深い、ハンサムな青年に見える…

そしてれいこは、さながら…


(えーと、この二人が付き合っていて、あの子が妹か何かかしら?)


林は考える。

林は、れいこの動きを撮影する。優雅な手つき…育ちの良さそうな身のこなし。シンデレラ…?林にはそんなエフェクトがかかってれいこが見えている。

そして、こっちは…

林は次に、たかしを撮影する。たかしはたじろぎ、中学生が突然インスタントカメラを向けられたように固まり、それから(でも、人じゃん)と思い直したように笑顔になる。


(良い人そう。でも、バカっぽいかも)


林は心の中で、無遠慮に呟く。

そしてこちらは…

カメラの中で蓮は、にこっと微笑む。普通の人にはそれが、チワワかパピヨン犬が首を傾げたかのように可愛らしく見えるけれど、林は何故か女としとの対抗意識を感じてしまう。

(まあ、居候の妹ってとこね。)



コーヒーをゆっくり飲みながら、間を持たせる気の利く会話など考えてもいない。YouTuberは、面白そうなネタを探していた。(どこまで撮ってもよいのかしら?)


「あの、わたし…すみません。自己紹介させていただきます。わたし、先月までフリーターだったのですが、アルバイトをクビになりYouTuberに転職したハヤシ・コトミと言います。」


林はぺこっと頭を下げる。そして、カメラを自分に向き直し、ピースする。三人はそれを呆気に取られて見ている。



「わたしちょっと、ゲンゾーやってくる」


無表情で四人でいた場から立ち上がると、逆に構わずに部屋にこもってしまう。「ゲンゾー?」


「あの人、写真やってるんですよ。知らない?有名な◯◯◯。写真集も出してるし、若くて女ってとこで注目されてて」


「う…ごめんなさい…世間に疎くて」


「うふ…大丈夫。わたしも、実は会うまでは知らなかったの。

ほら、あれ」


蓮が壁にかけられた数枚の写真を指す。たかしもそれを見つめる。


「ほほー!すごおい」YouTuberはカメラをそちらに向け、「なんと、写真家◯◯◯さんの家に偶然泊まらせてもらうことになりました…!◯◯◯さん、わたしは知らなかったのですが…えへへ。また、この撮影後しらべてみまーす」


「まあ、そんなもんです。」こほんと咳をするたかし。


「写真なんて、誰がとっても僕らには同じに見えますからね」


「なんかいった」


れいこが、眼鏡とひっつめポニーテール姿でこちらを覗き込む。


「いえ」


たかしはそちらの方を見ずに15度くらい傾き、片手を差し出して言う。

………


「ふふ、なんか、タカシさん、結構尻に引かれてるっていう感じなんですね〜」

林は、空気を和ませようと、明るい声で言う。固まるたかしと、蓮もさすがに困った顔をする。


「いや…」


「違います違います、あの人、居候なんです。」

蓮が言う。


…?!


蓮を見ると、にっこりと笑い、それが嫌味なのか無垢なのかわからないが、蓮のキャラには合っていない突っ込みのせいでとにかくその場に穴が空いたように感じる。

驚いたようにたかしが蓮を見る。


(何か?)みたいな笑顔で蓮はいる。たかしはそこに、安めぐみの降臨を見た。


「は?」


林が不躾に口を開けて尋ねる。(その態度で、蓮を舐めていることが分かる…)


「いや…その」


たかしが思わず手を差し出して何か言おうとし、それに林がカメラを構える。

(カメラ越しに)「やっぱ、言わないとだめですか?」








「いや…変ですよね…僕たち。っていうか、僕?」


「蓮さんっていくつですか?わたし15歳くらいに見えてたんですけど」

林は眉をひそめて言うが、もともと声がでかく明るいので、たかしの調子とどこかが外れているままだ。


「25ですけど」たかしが言う。ふたりは、コンビニ帰りだった。二人ともさっき買ったレジ袋を手にぶら下げながら。家から近くに流れている河川敷を歩いている。


「ふうんなるほど。なるほど…(こっそりと)面白くなってきました!こちらのお二人はプー太郎のカップルと、なんとあの有名な写真家の◯◯◯さんという組み合わせ…そして、なんと!三人は三角関係だったようです…!!」


「いや言わないでくださいよ」


「編集します」真剣を装い頷きながら、YouTuberは言うが、その顔は面白いもんが取れそうだと言う喜びでほころんでいる。


「いや本当に」


「蓮さんにはまだ言ってないんですか。どうして?甲斐性のない男ですねー。石田いっせいか」


「あなたみたいな人間には言われたくないですよ」


「ほほう…」


林は、冗談のようにカメラをたかしに向ける。たかしは「やめろっつーの」といい、カメラを手で塞ぐ。「蓮はともかく、あの女はかなり厄介だから。あなただって何されるか分からないですよ」


「ふうん。大丈夫。カメラがあるし、それに憲法◯条で守られていますから」


「…」


「ああ、そういえば」


「なに」たかしはムッとして答える。


「あの、れいこさんが埋めていたもの…って、一体なんだったんですか?」



ーれいこ&蓮はその時・・・ー


蓮は風呂掃除をし、忙しそうに部屋を歩き回ってそれから台所へ行く。れいこは暗室でネガを取り上げ、真剣な眼差しでそれを見つめてニヤリと笑う。




「知りたいですか?」たかしは答える。


「うーん、どっちでもいいかな」林はとぼけて言う。どうやら、コンビニで買った肉まんの方に今は気がいっているようである。


「あなたって、」


「林です。ハヤシ・コトミ。◯◯◯◯〜!ハヤシコトミのユーチューブのチャンネル登録よろしくね!」


「…」


「じゃーんっ!」


「…」


「イエ〜イ」


「……それ、言ってて悲しくなりませんか?」


「やっぱなります?」


「はい。そもそもユーチューブ、見ないんで」


「ははあ〜。わたしも見ないんですけどね。たまたまなんです。夏休みに…これだ!と思って。それで、あるじゃないですか、法則性が。大学生は皆プラスチックの手提げ鞄持っているし、ニュースが始まる前には一日の疲れを癒す詩情あふれる音楽がかかる…そんな流れで、わたしも作ってみました。ハヤシ・コトミのテーマソング的なものを」


「フッ…」


「たかしさん…笑うと美青年ですよね…なぜ、プーなんですか」


「プーじゃないですよ。今、勉強中なんです。」


「へ。それ本当ですか」


「ええ。別にいちいち、他人に言わなくても…」

林が、さっとカメラを取り出す。


「だからな…」


林は、カメラごしに、「オーケー」の形のわっかを手で作り、たかしに合図する。

「何言えば良いんだよ」


林は、しきりにゴーのサインを送る。

「ええと。…この、河川敷は、実は海とは繋がっていません。そもそもこの川が出来たのは、100年前に屯田兵が…」


「ちゃうやろ!」


林がたかしの頭を叩く。

「ゴーのサインでてんねんから、出発しろや!自分の人生語ってみろ!たかし!」


「はあ?!」


「ほら!ほら!」


「バカか!そんなやついるわけねえだろ!カメラの前でなんで俺の人生、語らなきゃなんねーんだよ!」


「…たしかに。」

林が低い声で答え、それが「そもそも」を覆すかのように響く。


「…たかしさん」二人は、河川敷の終わりを歩いている。「はい?」


「わたし、肉まん食べたくなってきました。食べても良いですか?」


「は?どうぞ。あなたのお金なんだし、僕は構わないけど」

たかしは、YouTuberの口調が染み付いちゃってるのかな、と思い、同意する。


「ありがとうございます」


「ハア」


「そもそもですね…わたしがこうなってしまったのは、就職に失敗したことにあるんです。」


「ふうん」チラ、とたかしが林の方を見る。


「回ってません、カメラは」


「じゃあ普通にしゃべれば」


かさ、かさと肉まんの包みを開けながら林が答える。「いんです。普通に戻りたくなったら、戻ります」


「で」


「でですね…わたし…驚かないでください。面接に、100落ちたんです…わたし…それまで普通に生きてきて、自分はいけるって思っていました。勉強はちょっとだめだったけど、でも友達もたくさんいたし、わたし、バレー部の副キャプテンやってたんです。信頼も厚くて…

それが、就職に100、落ちたんです。わたし、そこでなによりも嫌だったのが…」


たかしは肉まんの匂いを嗅ぎながら、蓮が何を作ってるのかなと考えていた。


「嘘をつくって事で…だって、大したことない自分を、どうやって売り込めばいいんだろう、って…こんな誰も欲しくないわたし、売りに行くの嫌になって…」


たかしは、下を見ながら歩いている。


「こんなだったら、鮭売って歩いてる方がましだなって…」


たかしは顔を上げて、林の方を見る。


林は肉まんを食っている。「で?」


「で、就職を辞めて…一度、結婚しようとしました。」


「え、そうなんだ。」


「田舎に戻って。わたしの田舎、自分のこと『オラ』って呼ぶ県なんです。そこでお見合いしました。相手が、ああわたし、たかしさんだったら結婚していたかもしれない」


「…」


「…たかしさん…蓮さんとエッチしてるんですか」


「はあ?!」


「真面目、じゃないですか…」


「何言ってるんですか。」


「あのですね。これが、クラブだったらそんな反応する若者居ませんよ…へ〜っへっへっへyouもしちゃいなよ〜!」


「…」


「ってなりますから。」


「こほん」


「そこでは性は一晩、高級いちごひとパックの値段で取引されてます。

…毒され過ぎですかね?わたし」


「いいから。・・・あなたの人生の話を、してみてよ。」


「はい。…そこで、わたし、夜逃げ出したんです。というのも、わたしの方が揺らいでいたから、とんとん拍子に縁談が進んでいってしまって。気がつくと、まとまりかけていたからです」


「そんな君が」


「はい」


「YouTubeあげたら」


「その辺はダイジョウブです。あのへんは、回線通ってないですから」


(でも、あるだろ…!何かが絶対…!)


「つまらないです。女は」


れいこは、出来上がった写真を暗室のそこらじゅうにぶら下げ、満足げにそれを眺めている。暗い部屋に映し出されるシルエット。れいこは運動もダイエットもしていないのに、歩いていると10人中9人は振り向くプロポーションをしている。

たかしの隣で話す林もなかなか可愛かったが、たしかに人生に対して甘えた感じが前面に出ている。もっと、苦労をしたほうがいい…たかしはそう言いそうになったが、自分のことを思い出した。


「何か、あれだよな。他人のことだとアドバイス出来そうになるのって、よくないよな」


「へ。たかしさん、わたしにアドバイスしようとしてるんですか」


「いや、君が急に語り出したから」


「まあ、そうですね。」


林は、もぐもぐ言いながら肉まんを食べ終わり、こんどはペットボトルを取り出す。


「で、うまく行きそうなの?その、あなたのチャンネルは。僕達の家…ネタになるの?」


「うーん。そですね。」


「…」


「ちょっと改良しないと駄目かもしれないですね。」


「どんなふうに?」


「わからないけど。」


とぼ、とぼと二人はしばらく無言で歩いていく。


「だいたいなんで、人の家撮ってそれがネタになるんだっつーの。アホか、わたしは」


「そもそもじゃん…それ…」


「芸能人じゃあるまいし、あほか、わたしは」


「おいおい…」


「だっさ。

テレビの見過ぎや!!!何が取材や!何がドキュメンタリーや!」


林は、唐突にいきり立って飲みかけのペットボトルを川に放り投げる。

たかしは口を開けてそれを止めようとしてか、手を差し出すが、ペットボトルは重心がふらつきながらも川の中頃に落ち、そのまま流されていく。


(カメラじゃないのかよ…!)


「ふう」


「きみ、その性格じゃないの?」


「何がですか?」


「いや…」


「すみません、わたし…いやになりました。当たり前のレールに思い切し乗ってたことに…こんなの、わたしじゃなく、YouTuberのアホどもが引いた、ほっそいレールなのに…」


「いや、べつに…いいんじゃない。誰もが乗ってるよ…僕も…家を継ぐってだけだし。羨ましいよ。あなたは熱意あるじゃない、とにかく」


林が、たかしの方に顔を上げて、期待を込めた目で見る。「あの、その、自分…が好きそうじゃない。羨ましいよ。自分のこと嫌いな人も、その、多いし」








家に戻り、林が目を輝かせている…


「た、たかしさん!!」


「…………」たかしは、大きめの電柱のような顔で林のすぐ傍に立っていた。


「す、すごいです!これなんか、上半身はだか!すっ…ごい」


「すごいでしょう。」


れいこはにこにことしながら林を見ているが、服装はきちんとしていても、髪の毛はひっつめでヘアバンド、それからダサいイモメガネを掛けている。

林はそのおかしな姿を素の表情で見たあとで、たかしを向き直して「す、すごいです…たかしさん。平成のダビデ像みたいです…」


「違うんだよ」


「は?」


「れいこ。言ってたよな、これ絶対試し撮りで、人には見せないって」


「そうだったかしら」


「最後だから、これが最後だからって最高にあの時、被写体がどうしても見つからないって困ってる顔していたよな。だから俺は仕方なくやったんだよ。仕方なくの意味分かるか。俺はこんなことするくらいならスプラトゥーンしてたかったんだよ、あの時…寒いし…」


たしかに写真は被写体が寒そうなやつばかりだった。


「林さん」


「はいっ?」舐め回すように写真を見ていた林は顔をあげ、れいこの方を向く。


「怒ってるわ。」


「はあ。たしかに」


「たかし、ナヨナヨえへえへしてるけど、中身はおとこよ。」


「は。」


「男はこうでなくっちゃだめよ。いい?自分のはだか映してもらい、えへえへ笑ってるようなのわたしは何人か見てきたけど、みーんなナルシストのひも体質よ。皆、親の脛かじってるのよ。」


林はたかしを見、たかしは引きつった顔をする。


「けど、たかしはね、うつわが違うの。」


「…あ、ハア」


「たかしはね、わたしが手綱を引っ張ったら嫌がるし、」れいこは、綱引きさながら二人の目の前で手綱を引いてみせる。そしてそれを力強く押し戻し、「緩めたら逃げようとするし、それから…」


れいこは、蓮の台所からの目線に気づき、「ご、ごほん!」と咳払いをする。たかしがじとっと見ていて、林は口を開けながらもちゃんと聞いている。


「…見せんなって言ったろ。写真。」たかしは、低い声で嫌そうに言う。


(たかし…そういうとこがすき…)


れいこは一瞬、林とたかしの目の前でうふっとする。林はそれを見て、たかしをチラ見する。たかしは平面な顔で突っ立っている。それかられいこは、口調を変えて「いいじゃないの。あんたの素っ裸なんて子供の頃からさんざん見たもの」と言う。



「そっちの問題じゃねーよ!おれのだ!俺の方の問題!」


たかしのその声で、会話の声の大きいところだけ聞いて居た蓮は、台所でほころんだ顔になる。

その、ほっとした蓮の笑顔が映し出される。




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