等価交換の星

朝川渉

等価交換の星

「…と、そうして人魚姫は短剣を夜の海へ放り出し、舟のへりから漆黒の闇の中へ身を投げ出しました。そして、魔女の行っていた通りに、人魚姫は泡になって消えてしまいました…おしまい。」


母さんが僕の目の前で絵本を閉じ、微笑みかけた。「さあ、もう寝る時間よ。電気消すね」



「はーい。」



僕と並んで寝転がっていた母親が立ち上がり、寝室の電灯の紐を引っ張る。そうすると、部屋は入り口から見えてくる台所の灯り以外は暗闇に包まれた。外からは車の流れる音が繰り返し聴こえてきた。僕の家は大きな道路に面した場所にある。



僕は目を閉じる。それから、いつもそうするように、さっきまで読んでもらっていた絵本のことを考えはじめる。

人魚姫の消えてしまった海でも、こんな音はするのだろうか。飛び降りてしまった大きな船の浮かぶ海は、夜の闇にすっぽりと飲まれて、その海面に賑やかな船上の光が反射している。海の中へ潜ると、そこでは泡がぽこぽこと立ち上っている。そのどれか…そこまで考えていると眠くなってきた。


たぶん子供の頃、僕は本の中に出てくる人魚姫の気持ちだを考えてみることはなかったと思う。そんなことよりも、どうして、人魚姫はあんな交換条件をのんだのだろうと考えていた。あとは物語の中に出てきた魔女。その魔女が持っていた声をなくす毒薬、それから人魚姫の姉たちの、いろんな色の髪の毛。きれいな泡、それから、みたことのない珊瑚、海藻、城、それをすべて捨てて、泡になって消えてしまったかわいそうな少女ーー






300X年、僕は宇宙船の中にいた。


機内は五十度を超え、僕は慌てて宇宙服を着込む。そして片手では、いま起きている気圧の変化や感情をノートパソコンに書き溜めていた。キーボードを高速で叩きながら、非現実的なことを考えたりしていた。


このスペースシャトルが最短時間、最短の費用で誰よりも早く発着を成し得たのは、ひとえに僕のやり方にあった。それは、「必要最小限の機能のみ、燃料もごくわずかで稼働することにこだわる」という部分だった。ーー僕がやったのは成功例をひたすらに読み、理解して、自分の手で積み上げ、失敗、成功をひとの百倍やりこむということだけだ。

だからこのシャトルも予算はそれほどかかっていない。

しかしこの考えには大きな欠点もあった。

シャトルは、一億万キロメートルを走行し終えた三日目でエンジンに支障をきたした。最短経路で目的地に戻ってくるために軽量化し、機能もごくわずかにしたシャトルが緊急避難に成功する確率はわずかに六十パーセントで、その中に僕が冷静に対処し得る可能性を多く加味してあった。つまり、いちかばちかということだ。



宇宙は広く、底なしだった。僕は、初めて自分のこと極小の存在だとこころから感じていた。夢見がちな僕はこの夏休みの期間を、人生で一番楽しく過ごしていたような気がする。





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広大な宇宙のなかに浮かぶ星のひとつ、トーカコーカン星の中には巨大な文明が栄えていた。それは地球と似ているようで、少しずつ違っていた。一つに、建物はみな低く、その周辺を植物が覆い、地表にいくつかの湖が点在しているということ。それはまるで緑の茂った月面のクレーターのようにも見えた。それから、人たちが皆静かにゆっくりと歩き回っている情景だった。それはどこか、牧場にいるのどかな、羊の群れに似ていた。


「あら?」


ミナミは、空を見上げて、そこに花火の燃えかすのようなものが光っているのを見つけた。


「何かしら?」








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目を覚ますと、地球の家にいるときのような、やわらかい光が目の前に広がった。天井。壁。それから、薄い色の木で作られた家具…



僕は寝ぼけていて、実家で起きた時のように感じていた。



だんだんと意識が戻ってきた。全身がものすごく痛い。まるで、燃えているような。カッターで指の先を切ってしまった時、火傷したみたいに痛いと感じるような、あれが全身にわたって感じられるような感じ…

僕が痛みに耐えながら、状況を整理しようとしていると、部屋のドアがあき、そこへひとりのおばさんが入ってきた。

「●●●」

おばさんが、何か異星の言葉を話している。僕は、翻訳ラジオがふところに入っているのを確かめて、おばさんに見守られながら電源を入れた。

この星の地軸を検索する待機音が二、三秒ながれたあと、ヒットしたものがみどり色のランプで表示された。「トーカコーカン星」。聞いたことがない。

「あの、すみません。僕は、怪我をしていたみたいですね」


僕が言うとそれが、異星の言葉に変換されて、流れる。瞬間、おばさんの顔がほころぶ。うちのお母さんとたぶん、同じくらいの年齢かもしれない。

「見つけたの。広場で…

広場はすごいことになっています。

機体、ばらばら。

子どもたち、大騒ぎ。

あなた、死んでる」


「ありがとうございます」僕はこたえる。


「頭が痛いです。それから、身体じゅうが痛い。」僕が翻訳機に向かって話しかけると、おばさんが大きな口を開けて笑った。トーゼン!ってことらしい。


おばさんと話したところによると、僕はこの星の都心部から離れた農村部の、そのまた僻地の森の中へ不時着したらしい。僕自身は、墜落の衝撃によってその前後の記憶がぼんやりしている。覚えているのは温度の上昇していく機体の中でノートパソコンを再起動させようとしたところまで。

森の中へ助けに来てくれた人は、たまたま近くで散歩していたミナミさんというひと。それから、このおばさんはミナミさんと親しくしている知人とのことだった。

「ミナミさんは?」

僕がおばさんに聴くと、身振り手振りを入れながら、用事を済ませにいった、帰ってくるとは思うけど、いつになるのかはわからないというようなことを言っていた。

おばさんがぼくの前でいくつかの支度を済ませたあと、インターホンがなった。

そこにいたのは僕と同じくらいの青年で、手に何か持っていたからたぶん郵便屋のような人なのだと思う。青年はおばさんに紙切れをわたす。おばさんはそれを受け取ると、片手を自分の着ているワンピースのポケットに突っ込み、何か手渡したみたいだった。この国の通貨だろうか?まるで地球とそっくりなやりとりを見て、僕は自分が遠くに来てしまったことを唐突に思い出した。

まだ、体が痛いのでぼんやりとそれを見ていたあと、眠ってしまったみたいだ。


夢を見る。その中に出てきたのは僕の住んでいた地球のなんてことのない日常的な風景だった。


あたりがだいぶ暗くなってきたころ、ドアが開いて一人の女性が入ってきた。すらっとしている、女の人。この家の中に入ってくるたたずまいから、たぶんここに住んでいる「ミナミさん」という人なんだろうなと思った。おばさんはどこへいったんだろうと思うと、女性が向こうの部屋に声をかける。そっちに台所でもあるんだろうか、カチャカチャと日常的な生活の音がする。僕がさっき見ていた夢はたぶんこの音を眠りながら聞いていたからかもしれない。

目を開けて、そこで座りなおすと、ミナミさんが足音もたてずに僕の隣に近づいて来ていた。ああ、そうだ翻訳機を・・・と思い、ひざ元から滑り落ちてしまった機器をごそごそと探っているとミナミさんは僕の隣に突然腰掛けた。(ふわっ)と風のように流れてきたにおいに戸惑っていると、ミナミさんは唐突に僕の顔に自身の顔を重ねてきた。

つまり、それは地球でいうところのキスだった。


僕が、驚いてミナミさんの、間近にある顔を見る。

初対面とは思えないほどの距離感にいるミナミさんは、きれいな女の人だった。

いや、そうじゃなくって、そのまま僕に顔を向けたまま、くちが動いて何かをしゃべった。


「等 価 交 換」


翻訳機はそう訳した。

「えっ、あの、は?・・・ど、一体どういうことですか?」

僕はままならないままに聞いてみる。

ミナミさんはそれには答えるつもりはなかったらしく、ふっと笑った後で立ち上がる。そこへおばさんが来て、二人して何かをしゃべっているみたいだった。


女の人というのはどこの場所でもよくしゃべる生き物みたいだ。








この星のシステムは地球とは少し違うみたいだった。まず、仕事というものが存在していない。これは二人の会話からなんとなくだけどダイスケが予想をつけた部分だった。ミナミさんは今日ずっと誰かの家で作業の手伝いをしていたらしく、おばさんはその留守番としてミナミさんから雇われていたようだった。「雇う」たしかにミナミさんはそう言った。(翻訳機でこっそり聞いていた。)そしてそれは特に特別なことではないらしく、おばさんは先日まで数週間近所の家の子守に駆り出されていたことや、建物の修復に付き添って炊事の手伝いなどでなにかと忙しく過ごしていることをミナミさんと話している。

けれどそこには地球のような「お手伝い」感はない。むしろ「受注を探している」かのような雰囲気だ。

そういった情報を共有する場所でもあるのかもしれない。



・・・おそらく、この星では職業そのものがまだ発達していないのか、まるで小規模の組合をそのまんま星全体に広げたようなシステムで動いているようだった。その人がその場でこなすべきことを代表してこなす。だから、さっき来た郵便屋もじつはふつうの青年で、青年が受け取ったものはお金ではないなにからしい。僕は別の日に、青年が開けた場所で船のようなものを組み立てて、仲間と笑いあっているのを目にする。それは数週間続いたかと思うと、あるとき船のかたちは跡形もなくなり、代わりに教会のような場所の周りを掃除している青年の姿があった。

ほかにも、おばさんがほかのおじいさんの手を引いて歩いているのや、働き盛りかと思える青年、女性が休憩中を思わせるかのようにどうどうと草むらで寝転んでいたりする。こんなに毎日、朝から人があふれていて、どことなくのんびりしている雰囲気のあるこの星を、僕は毎日が休日であるように何故か感じていた。





この星に不時着してから、一週間近く経っただろうか。



ミナミさんはテーブルにつけるようになった僕にその「何か」・・・この星の通貨のような、ふぞろいの石を手にしながら説明してくれている。テーブルの上には、鈍い白色の石がミナミさんの手によってごろりと置かれていた。


ミナミさんはその一つを手に取り、(見て)と言わんばかりに僕の前に差し出す。こんなふうに、ミナミさんのコミュニケーションはだいたいが唐突で、地球人の僕からすると近すぎた。今度も、顔と石が近すぎため、焦点が合わない。

僕は自分から少し後ろに下がってみる。


「これって、石かなにか?」


「ちがいます。食べ物」


ミナミさんが「食べ物」と言い張るその物質は、僕から言わしてもらえば単なる石・・・いや、ビー玉や、何かの鉱石のようなきれいめの原石のように見えた。


「これが?」


ミナミさんがうなずく。まさか。どうやってこれを消化するのだ。

僕がその石をつかみ、口を開けて、それを食べるようなそぶりをすると、ミナミさんはノーリアクションで僕の挙動を見ているだけだった。


「そういえば。ミナミさんは食べ物を食べないの?」


「食べますよ」


僕が疑問をそのまんまで口にすると、ミナミさんは答える。ここまで、翻訳機のまんま。

けど、一週間過ごしてきて、この家には食器のようなものもなければ、食べ物のようなものもないのである。それが先ず、大きな疑問だった。



今日もおばさんがミナミさんの家は手伝いに来ていた。僕が見ていたところによると、おばさんの得意分野は家事洗濯、片付け方面らしい。ミナミさんは何か手を使って修理したり縫い物をするのが得意なのか、わけのわからない道具がそこらじゅうに広がっていることも多かった。それを来たおばさんが、文句も言わずにサッサと片付けていく。分業とはいえ、ここまで自分の得意、不得意の分担があることに戸惑いを覚える。ミナミさんを見ていると…何か、研究に没頭しすぎて周りから非難されていたころの自分を思い出す。

ミナミさんはあっけらかんとして片付けをしているおばさんの横で僕の隣に肩を並べて、ここへ来た目的はなんだとかチキュウの話をせがんだりしてくる。そのたびに僕は(おい、おい…)って感じの、出来損ないのツマを持った旦那のような気持ちになってくる。


今日もおばさんが、昼過ぎに来てから夕餉でもはじまるのかと思っていたけど、何も出てこない。この、何かご飯の支度しているのかな?→さあ、寝ましょう。の流れで幾日か過ごし、はじめ餓死させられるのかと思いきや、意外と僕自身の体は健康的に保たれている。…地球とはエネルギーの消費量が違うのだろうか。とはいっても、僕の胃袋が今にもなりだしそうな、物寂しい夕暮れだ。


「明日になれば、私たちの農場を見に行けます。そうすればわたしたちの成り立ちもわかるし、わたしとあなたの関係性も明らかになります。」


ミナミさんはそう言い、なぜか後ろでおばさんが楽しそうに笑う声が聞こえた。





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翌日、僕が連れていかれたのは森の奥にある僕の墜落した機体の場所。

損傷は激しかったけれど、コンピューターの部分が幸運にもかすり傷程度だったため、時間をかければ修復できそうだということが分かった。一命をとりとめただけでもかなりラッキーなほうだ。半分以上地球に戻ることあきらめかけていた僕は、それでも有頂天になった。


「あぶなかった・・・・」


ミナミさんが、そんな僕の傍らで言った。


「あ、すみません。そうでした。町中に落ちなくて・・本当に良かったです。」


ミナミさんは僕の顔を見た。


ミナミさんは今、怒っているのか、それとも何も考えていないのかわからないような顔をしていた。もし、初めにあったのがミナミさんだけだったとしたら、この星の住人全体がそういう感じなのだと思っていたかもしれないけど、おばさんが僕の母親と同じようによく喋り、くるくると笑うような人だったからそのタイプの違いが際立った。ミナミさんは白いワンピースを着ていて、アクセサリーも化粧も何もしていない。

まあ、たしかに、こんなイレギュラーなことが起きたとき、普通にどういって良いのかわからないものなのかもしれない。僕だってそうだ。


僕はそこで宇宙船の機器をチェックし、どれくらいのものが無事であるのかを確かめた。それから、ミナミさんが「戻る」というので一緒にその場から離れることにした。とても一度では把握できないような代物だった。とりあえず、無事だった。思っている以上に、僕は精神的に興奮していたから、戻ることには賛成だった。あるかないかのような道を歩いていき、ついた場所は教会のような神殿のような建物だった。大き目の学校くらいの敷地の中に、白い壁でできた、球体を半分で切りとったような人工的な建物がある。


「トーカコーカン星」


ミナミさんは言う。


その建物の中に入ると、そこは思っていたよりも自然に近い状態のほぼ「ほらあな」のような空間だった。外観は手入れされているのに、中はわざと手を付けずにこんな状態にしているのかもしれない。そんな感じの印象だった。


2、3人の人がその建物の中に立っているので、僕はその人たちの様子を見るともなく見ていた。皆静かで、誰も会話をしていない。たとえば、電車に乗っているときとか、いつもは行かない協会に、日曜日友達から誘われて行ってきたみたいな、そんな雰囲気だった。

ミナミさんはその中心部に向かって歩き出す。何もかもが簡素な作りだ。持たざる、飾らざる…そういう宗教でもあるのだろうか。ミナミさんに限らず、皆単色の布切れ状の服しか着ていない。例えばアラブとか、中東みたいなおごそかな雰囲気がある。立ち止まり、天井を見上げたあとでミナミさんは両手を広げて、僕の方を見る。


「…」


僕は戸惑った。ミナミさんはイエス・キリストがご来光を浴びているときのような、あるいはポチがボールを咥えて戻ってくる時の飼い主みたいなポーズでこちらを見ている。

・・・「来い」ってことなんだろうか。

らちがあかないので僕がそちらへ歩いて行くと、ミナミさんは何故かそこでしゃがみ込んでしまった。まるで、お祈りのポーズ。僕も一応その中心部でしゃがみこみ、ミナミさんがそうしているように目を閉じてみた。

なんだかちょっとだけ落ち着く。


拍子抜けすることに、仰々しく案内されていったその場所で僕らが見たことはそれだけだった。

僕にはいまいち、ミナミさんの言わんとしていることがつかめなかった。

僕らはそして、その建物を出た後では何故か、手を繋ぎながら元来た道を歩いていて、時おり変わる景色をミナミさんは「みずうみ」とか「もり」とか単語で説明してくれた。


ここの星が地球とは違うのは、建物が極端に少ないということなのかもしれない。ふいに、僕はそう感じた。小高い丘の上に行くとわかるが、町というよりも村程度でぽつぽつと人の住む住居があり、その中に時々、神殿に似た小さな半球状の白い建物が建っている。あれひとつではないらしい。なにかのシンボルか、人がこころを落ち着ける場所か。

「みずうみ」の前まで来た僕らは立ち止まり、広めの水たまりのようなそれをミナミさんは愛おしそうに眺めていた。


「ダイスケ、見て」


ミナミさんが僕の名前を呼ぶ。


「全部繋がっていますね。」


「全部?」


「・・・太陽を見てください」


僕は小さいけれど清涼な湖が反射させている太陽のある方を見上げた。まぶしくて、目を閉じる。


「太陽を見ると目が潰れます。・・・ダイスケ、常識です」


ミナミさんは笑う。僕もつられて笑った。


「…あなたの星には『うみ』がありますか。」


「ああ、あるよ。もっと大きくて、けどこれと同じようなもの」


「太陽と海の関係を知ってますか」

「満ち引き?」

「ええ。動いてます。風も、海も、太陽もすべて、繋がっています。与えた分だけ海は広がります。そしてその分水は蒸発して、雨になる。それを私達が浴びて、わたしたちの一部がまたみずうみへ流れて行く。わたしたちはそんなふうに、トーカコーカンによってまた元に戻ることをねがう生命体です」


そうしてミナミさんがポケットから取り出した、石を手のひらに乗せて僕に見せた。


そういえば、さっきの神殿の内側に敷き詰められていたのはまぎれもないこの石だった。このかけらをたくさん集めて、継ぎ目なく敷き詰めていけばきっとあの、白とも灰色ともつかない色になりそうだった。


「等価交換です。ダイスケ、受け取って」


僕はミナミさんの手のひらに乗っている石を手に取ってみた。

するとそれはあっという間に消え去った。

僕が驚いた顔をしていると、ミナミさんはにっこりとわらう。


「実はあなたにまだ言ってないことがあります。わたしたちにとって一番大切な、等価交換について」





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僕らは家へ戻った。テレビもラジオもないので何もすることがない僕らはテーブルの前にミナミさんと二人で座っている。僕は、さっき宇宙船から持って帰ってきたパソコンの電源が付くかどうか確かめているところだった。ミナミさんはそれを物珍しげに見ている。

「ついた!」

パソコンは無事だった。幸運続きだ。いつもより起動に時間がかかったので心配だったが、中身も無事だったようだ。そこまでくると、さっきまで落ち着かなかった気持ちは自分が地球へ戻るために何をするべきかの方向へ向かって行った。コンピューターも無事、機体も無事だった。そうなると、墜落した原因を確かめなければならない。

僕は自分の書いていた日誌を確認してみることにした。正直、地球に戻ってからゆっくりと整理するつもりだったのでほぼ日記みたいなことが多く、フォルダ分けさえされていない。・・・まずはこれを整理整頓しなければならない。そうしてそのあとで、適当に詰め込んできた本を選んで僕の様子を興味深げに覗きこんでいたミナミさんに見せてみることにした。


ミナミさんは子ども向けの児童書に興味を示したみたいだった。挿絵が沢山あるし、字も単純だからかもしれない。


「これなに?」


ミナミさんはマッチ売りの少女の食べ物の絵を指して聞いた。


「ローストチキンだよ。鳥の肉を焼いたもの」


「トリ?じゃあこれは?」

「キャンディだよ。砂糖を溶かしてかためたお菓子」

「お菓子?」

「そう。あっ。さっきの建物にあった石と似ているかもしれない。」

ミナミさんは「?」という顔をしたあと、ポケットからそれをいくつか取りだしテーブルの上に載せた。バラバラ、という音がしてそれが転がる。「さわってもいい?」と僕は言い、ミナミさんがうなづくのでそれを手にとってみた。今度は消えない。何故だろう?


「これは、あたしのだからです」

ミナミさんは僕の考えを見透かしたように言う。

「トーカコーカンは大切な営みです」

ミナミさんは、パソコンを僕の方に向ける。そこではマッチ売りの少女が窓越しに綺麗な靴を眺めている絵がある。「かわいそう」ミナミさんは言う。





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「ダイスケ、おなかすきませんか?」


ミナミさんはそれから5日後くらいに初めて僕にそう聞いた。

「ううん、大丈夫だよ」

それは本当だった。ここへ墜落してすぐの傷だらけの時は腹が減って仕方がなかったのに、時間が経つに連れて感じなくなったばかりか、今はほぼ平気なのだった。それになんだか傷の治り方も早いような気がした。まだ、二週間足らずだというのにほとんどの傷がかさぶたとして剥がれおちそうになっている。


ミナミさんは僕の返事にうなづいたあとで近くまで来たかと思うと、まるでお母さんみたいに僕の体を抱き寄せる。…最初にキスからはじまったこの「近すぎる」行動に僕は戸惑っていたけれど、ミナミさんはこうやって頻繁に僕とスキンシップをしようとしては「トーカコーカン」とつぶやいた。僕はというと、一度死にかけたせいかだいぶガードがゆるくなっていて、「こういうものなんだ」と納得しそうになっていた。

こんなふうにしていると、日向ぼっこしている猫同士みたいな感じがした。ミナミさんもそんなふうな顔をしている。あれ?そういえば、まだ教えてくれていないことがあったんだっけ。

大切な等価交換、っていうのは…


「…ミナミさん」

「ダイスケ、静かにしてください」

「…」

そうなのだ。ミナミさんのいう「トーカコーカン中」(というかこの場合、単なるハグ)は静かにしていなければならないのだった。

しばらく黙ったあと、ミナミさんが満足するのを僕は待つ。

物静かなタイプだと思いきや、ミナミさんは口数が少ないだけで、けっこう強引なのだった。


「あの、こういうこと普通はするのかな。例えば最初に来たおばさんとかとミナミさんはこういうことするの?」

「しません」

ミナミさんははっきりと答える。

「ダイスケ、何か変わったことは?」

「え?」

ミナミさんが僕の足元を見る。僕が自分の足を見てみると、いまそこにあった一番大きなかさぶたが剥がれおち、新しい皮膚が綺麗に出てきたところだった。

「あれ、良くなったみたい」

ミナミさんはほほ笑む。





この星に不時着(墜落)してから一カ月あまり経った。僕は限りある材料で宇宙船の改修を試みるため、半日くらいは外で過ごして、夕暮れになってからミナミさんの家へ帰るというルーティンで過ごしていた。ミナミさんは僕の地球の文化にかなり興味を示していて、音楽や小説、それから絵やなんかを見てよくわからない言葉で騒いでいた。


そうして僕ら地球人のことをいつも「さびしい人類」と形容した。それは主に、人魚姫の物語を読んだときに思い起こされた感情らしく、トーカコーカンを行えない僕たちのことを、進化の過程をあやまった、陸に上がれない動物を見ているような感情らしかった。僕は僕でミナミさん、もっとちゃんと家事せえよと感じていた。勝手なものである。

ミナミさんはこの物語の内容はどういうことなのかを僕に何度も訪ねた。僕自身、何の疑問も持たずに読んでいた物語だったけれど、たしかに人魚姫のように何の見返りも求めない愛みたいなものを当たり前のことみたいに説明するのは難しかった。

僕は言ってみた。「つまり、人魚姫の愛の方が王子様を上回ったせいだ」

そういったあとで何かすっきりしない気分になった。人魚姫はあの物語で間違えたことをしていない。ただ、たまたま運が悪かったか、歯車がかみ合わなかっただけの悲劇だった。けどそのことを、トーカコーカンの視点で(多分)知りたがっているミナミさんにどう伝えればよいのかわからない。


あんまりミナミさんが僕に地球の成り立ちを聞こうとするので、僕はついには、終わりの違うストーリーを考えてみようかと思い始めた。ミナミさんは、それに賛成し、僕のとなりにぴったりくっついてどうなるのかたのしみに見ているようだった。・・・つまり、彼女がいる限り、世界はトーカコーカンでなくてはならないのだ。


ミナミさんの家にいる限り、人はひっきりなしに訪れる。そこでこの星の人々は会話し、相互作用のあるやりとりを行う。

ミナミさんには衣服の縫物の受注がいろいろな形で舞い込んでくるようだった。ミナミさんはときどき「ダイスケ、これを〇〇まではこんでください」と言い、僕に石を渡す。僕がそれを受けとろうとすると、石は消え、僕は早くそれを運ばなくてはという気持ちになる。そしてそれを届けた先の住人から、同じような石を手渡される、その石は僕の手の中で形を保ったままであり、ミナミさんに渡したときに浄化されるかのように姿を消した。

じゃあ、いったいどこから石は生まれてくるんだろう。

僕がミナミさんに尋ねると「お祈り、それから愛」とミナミさんは答えた。


「ダイスケ、あなたもトーカコーカンしなくては」

ミナミさんは僕にそういう。

「ああ。けど今日は船の修理をしたいんだ」

「・・・・」

ミナミさんは、そういうとき僕にたっぷり配達の荷物を与えてくれるのだった。


ミナミさんは多くを語らない。僕が地球のこと、つまり彼女にとっての不合理を説明し終えるといつも首を傾げては自分たちの聖なる、なんの崩壊もきたしていない秩序を見つめるふうな顔になる。ああ、多分光合成。そんな目つきをしている。

そういうときその代わりに僕らはベッドの中でくっつきながら眠った。

僕は思い付きで、ふざけて「トーカコーカン」という。けれどミナミさんは当然、というようにその言葉にうなづいて、そのまま眠ってしまう。


今日も大切なことを聞き忘れてしまったような気がする。


だんだん、こうやって月日が経つことをぼんやりとしか感じられなくなっていって、地球に帰る頃にはもう千年くらい経ってしまっているのかもしれない…





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最近、あまり良くない噂を耳にするようになった。話を聞いたところによるとトーカコーカン星では犯罪がとてもすくなく、五十年に一回だとか百年に一回位のペースらしい。それもこれも、トーカコーカン星のとくべつな営みによるものだ。

噂によると、その犯罪、ここでは盗みが多発しているらしく、しかもその理由が僕という異星人が唐突に現れたことにあるのではないかと話す人も一部にいるらしいとのことだった。ミナミさんは感情のない様子でそう話した後で、気にしなくてもいいと言った。そうはいっても、なかなか気にする。それに僕とは無縁だと感じていても、僕の存在で磁場が狂うとか生態系のバランスが崩れてそういったことが起こらないともはっきり言いきれなかった。だからミナミさんはトーカコーカンをし、周りとコミュニケーションを取るように僕にいつも注意していたのだろうか・・・


けれど、一日も早く宇宙船を修理させたいのが本心だった。最初は何度かあきらめかけたが、一度修復のめどがついてくると手を止めるのが難しくなる。そしてオーバーヒートしすぎた頭で帰って、このところはほぼ毎日ミナミさんよりも早くグーグーと眠りについてしまう。

今朝もミナミさんは僕に挨拶とハグをしたあと、外へ出かけていった。今日は広場で青空市場のようなことをやるらしく、ミナミさんは夜僕が眠りにつくまで出かける準備をしていた。それは物々交換らしかった。

「いるもの・・・・いらないもの・・・・・」

ミナミさんはそう呟きながらものを仕分けしていって、交換するべき物もだいぶ溜まって満足したみたいだった。

「ダイスケ、帰りが遅くならないように。」ミナミさんは僕にそう言って、出ていった。


ー広場は人々で賑わっている。珍しく催しが開かれたため、普段物静かに暮らしているトーカコーカン星の人々は顔を紅潮させてはしゃいでいた。

その中で歩き回るミナミ。他に荷物を提げて物色している。通りに悲鳴が聞こえ、人々がそちらの方向を一斉に振り向く。ミナミも振り向いて、その悲鳴の方角を見るーー


機体の損傷がそれほどでもなかったのは幸運だったけれど、何しろはじめての経験だったためまた元の状態に戻すというだけでも大分時間が掛かってしまっていた。今日の進捗は思わしくなく、ミナミさんに言われていたのにだいぶ暗くなってから帰宅した。

(あれ?)

けど、家の中は真っ暗だった。ミナミさんはまだ帰宅していないらしい。


そのとき、僕のお腹が一ヶ月ぶりにグウ…となった。思わず、腹に手を当ててしまう。考えてみれば、不思議なことである。ミナミさんといい、ここのゆったりした暮らしと言い、何か深く考えることをせずにいたけれど、けど一ヶ月も飲まず食わずで思考がはっきりしているのは異常なことだった。トーカコーカン星、そういうビンの中の生命活動の中に自分がぴったりと収まってしまっていたということなのだろうか。

(けどどうして、突然?)

腹が鳴り出したのだろうか。


僕がドアを閉め、ソファに腰掛けているともの凄い勢いでドアが開かれた。

「ダイスケ!」

それは、近所に住むおばさんの声だった。

「ど、どうしたの…あっ」

ミナミさんが、数人の人に抱きかかえられていた。まるであの時の僕のように、服のあちこちに血が付いている。

トーカコーカン星の人間も、血が赤い…そんなことを考えながらも、僕自身は血の気が引くような思いだった。

「広場で刺されたの…」


おばさんたちが見守る中、ミナミさんはベッドの上に横たえられ、それから僕はミナミさんの一番近くに座ることになった。

「…ダイスケ、言わなければならないことが…」

「え?」

「…あなたが最初に来た日…」

「あっ!そうだ。トーカコーカンだ。ミナミさんが僕にしてくれたみたいに、僕も何か出来るかもしれない。ミナミさん…」

ミナミさんは僕の手をとり、首を振る。ちょっと黙っていろ、ということだ。

「ダイスケ」

「はい」

「トーカコーカン…いろいろあります」

「あ、ああ。うん」

「石は、きっと通貨です。」

「う、うん」

「あなたとわたしを通り抜ける通路」

いったいこんなときにミナミさんは何を言い出すのだろう。

「石が必要?」

ミナミさんは首を振る。

「わたしは…必要です。石がなければ、わたしはわたしになる前の何かでしかない」

「うん。・・・ミナミさん」

「わたしは、白状します。あなたにだまって等価交換しました。あなたが墜落した日…それは大切な、命と同じくらい大切な等価交換でした。」

「え?」

「ダイスケ、あなたは死にかけていました。今のわたしと同じように」

「う、うん。分かるよ。正直、死んだと思ったから」

「それで…その…わたし達は代価不可能な

トーカコーカンをしました。あなたの意識も了承もないのに、わたしは…」

ミナミさんが息も耐えだえに言う。

「ミナミさん、最初の日に話していたことの続きなの?けど、今はそんなことよりも、とにかく血が止まるまで休まなきゃ」

「ダイスケ、大事な話です。」

そこにおばさんがしゃしゃり出てきた。

「だからね、あなたたち、ケッコンしたということ!」

「え?」

僕がふりむき、おばさんの顔を見たあとでミナミさんを見ると、ミナミさんはちょっと照れたような顔でうなづいた。

「は?」

「そういうことです。…ダイスケ」

ミナミさんは僕の手を取り話を続ける。びっくりするほど手が冷たくて、ぞっとする。こんな人を目前で目にしたら、誰だってきっと逃げ出したくなるか、助けたくなるかのどちらかだろう。

「わたしはルール違反をしました…」

「それって、どういう・・・」

ミナミさんは僕の目を見ずに考え込んでいるような顔をしている。

「トーカコーカンは秩序が保たれてこそなのに、あなたの意思を確認もせずに…」

「ちょ、ちょっと待ってください。…話が見えない…っていうか、無理、しないで休まないと」

「ミナミちゃんはね、ダイスケ。あなたに一目惚れしてるのよ!」

おばさんが大声で言い、どっと笑い声が漏れる。ミナミさんははにかんで笑う。

「はあっ?」

なぜ笑うのだ。一人が死にかけているというのに誰もミナミさんのしゃべりを遮ろうとしない。

僕はひとり、この状況に馴染めずにいる。

「あの…ミナミさん。」

「ダイスケ」

ミナミさんはおばさんの言うことに動じず、僕の方を見ている。

「はい」

「だから、わたしを見殺しにしてもいいのです。トーカコーカンは、お互いの了承があってこそのものです…だから…ダイスケ。今度は、あなたがどうするのかを選んでください………」

ミナミさんはそう言って目を閉じる。

なんだ、この用意されたようなシチュエーションは…

「つまり・・・」

「わたしはどちらでもいいんです」

けど僕は、状況に後押しされながらも、自分でもわからないものが込み上げてくるのを感じていた。そうして、僕は気づいたらミナミさんの手を握り返していた。

「ミナミさん…」

「はい」

「僕、その…良いんです。『勝手に』とかより、もっと大事なことがあると思います。」

「ダイスケ」

「僕、ミナミさんのこと好きだと思います。」

「ダイスケ…本当に?」

「ええ。」

「どうして?」

「だから…」

「なぜ?どこが?…その、具体的に」

「えっ

その、だから本当のことは本当のときにしか言えないってことです。」

「ダイスケ…」

「・・・・」

「うれしい。」

「は、はい。だから、その」

休んでください、と僕は言おうとしたのだ。

「トーカコーカン、してもいいの?」

「え?あ、はい…」


ミナミさんは突如起き上がり、僕たちは、人目もはばからずそこで、初めて唐突にミナミさんがしてきたのと同じようなキスをしたのだった。そして数秒後、ミナミさんは腕を僕の首に絡めて、力をこめた。

「ダイスケ…!気持ちいい…!」

ミナミさんの一言で、おばさんその他屈強な男たち数名から、ふたたび笑い声が起きた。


僕もそこでやっと理解した。ミナミさんがずっと黙っていたこと、僕に言いそびれてしまった「代価不可能なトーカコーカン」それはつまり…地球でいうところの夫婦になるってことに等しいのかもしれない。


僕は、当たり前のようにミナミさんが僕のことを親しみを込めて扱ってきた数々の挙動を思い出しながら、とくとく騒がしく鼓動するミナミさんの背中に手を当てていた。ーー何か、笑ってしまいそうな気持ちで。






ミナミさんの回復は著しいものだった。

それは、「トクベツなトーカコーカン」によるものだと、流石の僕も理解した。つまり、こういうことだ。人と人とを隔てる垣根を、このトクベツなトーカコーカンは取っ払ってしまう。

もともと別々のコップに水が注がれ、それが食物を取ったり排泄したりして減ったり、増えたりしているようなものが、同量をもう少し大きな、二人分の水槽に入れてしまって勘定するーーそんなふうに考えると分かりやすいかもしれない。僕の水が減ったらミナミさんから受け取りーこれは僕が回復するまでミナミさんがしてくれていたこと。そうして、今の状態のように、ミナミさんの方が減ったら僕がそれをいくらか与える。それは僕とほかの人やおばさんなどとは「できない」とミナミさんがはっきり言ったような営みが、この特別な、夫婦間でしか出来ない等価交換らしかった。

死にかけた人間を助けるというのはなかなか体力のいるものだったのだ。そして、ミナミさんはなぜか怒られた高校生のように反省していたトーカコーカンはつまり、命がけで僕を救ってくれたということと同じ意味を持っていた。


「ちょっと前にミナミさんが言っていた、お祈り、それから愛ってこういうこと?」


僕らは日課のように半球状のドームの中で時間を過ごす。最初はなんてことのない洞窟くらいにしか思っていなかったのに、ここに住むうちにその場所がほかのどこよりも心が落ち着く場所だということに気が付いた。


「お祈りはわかるけど、愛ってトーカコーカン星ではなにを表すの?」


「ダイスケ、それは人それぞれです」


「・・・」

ミナミさんは慣れた感じでそこで目を閉じている。


「子供のころからこうしているの?ミナミさんは・・・」


「ダイスケ、静かにしてください。」


「・・・」

仕方なく僕は会話するのをあきらめてミナミさんと同じように目を閉じる。

ミナミさんはしばらくして、僕の手を取った。「つまり、それはこういうことだ、」と言わんばかりに。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「ダイスケ、またあの話して」

ミナミさんは宇宙船の中でもあの話をせがむ。僕が作った、ありきたりの話ではなく、オリジナルの人魚姫の話。

「そして人魚姫は、泡になって消えてしまいました。」

僕はそこまで話終えると、いつもと同じように、ミナミさんは僕に抱きついてくる手に力を込める。

「ダイスケ、わたしは考え方が変わりました。」

「え?」

「地球は寂しいところなのだと思っていました。けど、わたしは今でも見えるのです。あの時、泡になって死んでしまった「もう一人のわたし」のことが…」


「…」

僕は、ミナミさんの横顔を見つめている。


「それを考えると、たまらなく懐かしくなる。…ここで今、トーカコーカン星のことを思い出す時の気持ち、みたいです」


僕らはいま、トーカコーカン星を離れ地球に向かって旅をしている最中だった。宇宙船の機能の一部がどうしても回復しなかったため、地球に着くまでは半年近くかかりそうだった。


「けど、お話とは違うじゃない。ミナミさんは消えてないし、それに」


僕らの愛は本物だったし、と言おうとしたのだけどミナミさんはそれを待たずに言う。


「そういうことじゃないんです…

ダイスケにはきっと、死ぬまで分からない気持ちよ」

ミナミさんはそう言って、僕の肩もたれかかる。


「わたしは、トーカコーカン星が好きです。…それから、地球はとてもきれいなところです。…そのことを、ダイスケ。あなたも着いた頃に、きっと…」

そういってミナミさんは自分のお腹に手を当てていた。僕はミナミさんの気持ちに応えるべく、体を抱き寄せる。


こうやっていると、僕にもミナミさんの考えていることが不思議と分かるような気持ちになれる。

・・・ミナミさんはそんな風に言うけど、ちょっとホームシックになっているのかもしれない。それに、彼女だってきっと、こんな静かな気持ちを理解することはないと思う。

僕はそんなふうに思う。

ミナミさんがトーカコーカン星の人たちや仕組みを懐かしく思う間、けど僕はミナミさんにまつわるそのどれも全てを選び、それからおんなじように愛することが出来る。今ではそう考えていた。

僕はミナミさんの相変わらず簡素なワンピースの流れるような曲線を眺めている。彼女はおなかに手を当てたままで眠っているように見える。


…そういえばこのところちょっとだけお腹が減るような気持ちになることがある。

トーカコーカンが不完全だったのか、それとも、僕ら二人の性質が、未だ地球につくまでの間は混乱している最中なのかもしれない。








ーおわりー


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等価交換の星 朝川渉 @watar_1210

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