雪を溶く熱
@chauchau
君の人生に幸あれ
「邪魔するぞ」
「邪魔するのなら帰って」
家を破壊してしまいかねないほどの豪雪が降り続いたのは昼間のこと。玄関の向こう側から聞こえてくる音は静けさを取り戻してはいたものの、男は身体に積もった新雪をはらはらと振り払っていた。
他人様の家にお邪魔する際の定型文に茶々を入れる女を男が気にする素振りはない。ローカルコント活劇のように、反転して帰ることなど現実世界では起きないのだ。
「屋根の雪、すげえことになってんぞ」
「男手が居ないものでね」
「まあ、無駄っちゃ無駄か」
「すぐ積もるしね。まさしく雪国名物と言えようさ」
勝手知ったるとはまさにこのこと。
男は、まるで自分の家かのようにずんずんとなかへと入っていく。
そんな男の態度に女が腹を立てることもなければ、凍る外を歩いてきた男にお茶を点ててやることもない。
「なあ、美冬」
「なんだい、秋人どん」
仏壇に手を合わせる男の背中に、女の小さい手がそっと添えられる。
幼い頃は女の方が身体も力も大きかった。それが追い越されたのはいつの頃か。
いまはもう、追いつくことの出来ない背中に熱を感じさせてほしいと女は手を添える。
「明日、出るよ」
「そうかい」
男の言葉に、女は触れていた手を離す。
回り込み、男の顔をのぞき込もうとするけれど、男は女に視線を合わせようとはせず、仏壇の写真から目をそらさない。
「おっちゃん達……、怒るかな」
「んん? そうだねぇ、きっと……」
「「男ならいっちょ一旗どでん! と上げてこいさァ!」」
「って言ってくれるか」
「間違いなく、そっちだね」
女の両親はすでに他界していた。
父親が亡くなったのはつい先日のこと。元々高齢で女を授かった父親である。これという理由はなく、寿命をまっとうしたと言えるなんとも安らかな死であった。
男も女も山奥の小さな村で生まれ育った。
いつも一緒だった二人に、周囲の大人は良い夫婦になると笑い合っていたものだが、そう簡単にことが進むことは珍しい。
男が初めて村を出たのは、大学進出を機として。すべてを忘れるために勉学に勤しんだ。
休みになれば帰っては来るものの、一度都会に染まってしまった男が卒業後どうなるかと聞かれれば簡単なことであり……。
出て行く男と残る女。
高齢化激しい村人たちが男を責めることはない。
頑張ってこいと皆が男の背中を押してくれた。
「偶には帰ってくるからよ」
「別に良いよ」
「墓の手入れもあるしな」
「おっちゃんおばちゃんがやってくれるって」
「親父達に任せると……、若干適当だから」
「……そこが、良いとこだとオモウヨ」
女の親を男が知っているように、男の親を女も熟知していた。
家族としては頭を抱える適当さも、少し離れた場所から見れば微笑ましいものとなる。
そのために男が苦労人になったことを知っているので、女はあまり何も言えないのだが。
「ンじゃ、もう行くわ」
「忘れ物しないようにね」
「荷造りもあるしな」
「やっぱりまだ準備してなかったか」
笑って誤魔化す男に、女もつられて笑ってしまう。
最後にもう一度仏壇に手を合わせ、男は雪降る外へと帰っていった。
※※※
「忘れ物はないね?」
「大丈夫だって、お袋。そもそもちょっと帰ってきただけでほとんど何も持ってきてねぇし」
「母さんの漬物は持ったか?」
「持ちすぎてかばんの臭いがやばい」
次の日、村唯一の駅に多くの村人が集まった。
大学に行くとはまた違う。村人がまた一人、生まれ育った村を離れてしまうのだ。それでも、会えなくなる悲しみを宿しはしても、誰もが皆男の門出を祝いに祝う。
出ていく若者を止める魅力がないことを住み慣れたからこそ誰よりも分かっていた。
なによりも、この村を出ていくほうが男にとって幸せになることを集まった人は痛いほど理解していたのだ。
二時間に一本。
繋がりのない一両の電車に乗り込んでいく男の背中を、遠く離れた場所から女は見守っていた。
危険なため、近く女の家は取り壊される。
子どもの頃は恐怖でしかなかった場所も、住めば都と言ったもの。
「君が帰ってきたらすぐわかるしね」
どれだけ求めても、たとえ触れても女には男の熱が分からない。
思い出そうとしても、はるか昔の記憶を思い出すのは難しく、
それでも、
久しぶりの快晴に。
積もった雪がようやく溶けていく。春はもうすぐだと、出ていく男を祝福する太陽に。
雪は水へと姿を変える。光を反射し、輝く視界に。
「雪崩にゃ気を付けて」
都会に出ていく男には関係のない言葉を、女は呟いた。
女の名前が掘られた墓の上から。
雪を溶く熱 @chauchau
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