ハニカムウォーカー、また夜を往く
高橋 白蔵主
「ルールとマナー」(前編)
やあ、君。
こうしてわたしが挨拶をするのは二度目だね。
もっとも君は覚えていないかもしれない。その頃のわたしは別の名前を使っていたし、わたしが声をかけるのはいつも暗いところからだったからね。
でも気にすることはない。わたしの本当の名前がなんなのかということにあまり意味はないからだ。証拠に、そら、君たちの王のことを思い出してみるといい。
王に名前はない。そうだろ。
王は龍で、王としか呼ばれない。七年ごとに身体を乗換え、新しく生まれ、そして連続していない。
つくづく不思議な話だと思うよ。わたしがこの龍の国に身を寄せてからもう二年になるのかな。この国は他のどの国とも違う。
はじめは、そうだね。この国に馴染めるか不安ではあったんだが今のところ、割とうまくやっているつもりだ。
正直言って、最初はまた、うまくいかないんじゃないかと思っていたんだ。世界はわたしみたいなものになかなか厳しいしね。
でも、この二年で友人も出来たし、だんだんルールもわかってきた。この国のルールは、割とわたしに合っていると思うよ。無法なようにも思えるけど決して無秩序ではなく、明文化されないけど一定のマナーがある。この国は、マナーによってのみ守られているって言っても、いいだろうねえ。
ああ、『マナー』!
ねえ、なんていい響きなんだろう。わたしはこの言葉が大好きさ。わたしたちはマナーに沿って、エレガントに生きていくんだ。みんながそんな風に生きていけたら、それはとてもとても、素晴らしいことだねえ。
うん?
ああ、そうか、すまないね。
ここに来るまで、ドブの中やら天井裏やらを通ってきたので、今のわたしは少しニオうかもしれない。でもどうか信じてほしい。わたしは今も、そしてこれからもわたしのマナーを守るつもりでいるし、そして、なるべくエレガントに仕事をしてゆくつもりなんだ。
それに、帰る時のために着替えは持っているんだよ。少し後ろを向いていてくれるなら今着替えたっていい。
ああ、姿勢を変えるの、難しいかな?
じゃあ仕方ない。少しだけ我慢してほしい。あんまり時間は取らせないつもりさ。今日はただ、仕事をする前にちょっと話を聞いてほしいだけなんだ。
わたしの名前はメアリ・ハニカムウォーカー。
この国に来るずっと前から掃除屋をしている。
わたしが住んでいるアパートの界隈で、メアリさん、と呼ばれている話はしただろうか。
当たり前に聞こえるだろう?でも、よくよく考えるとこれって信じられない話だと思うんだ。
わたしがただ近所に住んでいるだけの他人に、自分の名前を明かしているのも、そもそも近所付き合いをしているというのも極めて珍しい。これは不思議なことだよ。亜人窟はどの国にもあるけど、こんなに多種多様な亜人がバラバラに、適度な距離感を持って暮らしている国は初めてだよ。
他人に興味がないのかなと思ったけどそうでもないみたいじゃないか。勿論みんな、目も見えているし幻術の類でもない。
君たちの住んでいるこの宮廷も、市街と同じかい?
わたしはドラゴニュートと火喰い鬼が同じテーブルに並んで喋っているなんて、この目で見るまでは信じられなかったよ。
しかしまあ、種族がどうのというより、大事なのは今世で何を為したか、だよね。
単に情報がなくて、例えばギルドの手配書なんかがこの国に入ってこないだけなのかなと思ったらそうでもない。ちゃんと連絡所みたいなのも設置してあるし、アブないやつの情報はある程度共有されてるみたいだというのは驚きだった。
でも、だとすると、つまりさ。
この国の人たちは割と、その、なんていうのかな。いざとなったら「自分でなんとかする」って考えてる人が多いみたいだね。
フフ。
わたしがこの国に来た晩、流れ者のオーガがその辺の女の子に絡んで、返り討ちでぶちのめされているのを見たよ。凄んだ挙句、片角をへし折られてさ。痛快だったなあ。
ええと、そうだね。
なんの話だっけか。
わたしが掃除屋をしている話はもう、したんだっけね。
ああ、そうだよ。君が思っている通り、必要と依頼があれば殺しもやる。でも、それだけじゃない。わたしは本当に片づけやら掃除やらが好きなんだ。これは比喩じゃない。散らかった服を洗濯したり、畳んだりするのは楽しいんだよ。君も、機会があれば召使いだけにやらせるんじゃなくて、自分でもやってみるといい。
それは実に、実に気持ちがいいことさ。
生きるってことは、少しずつ手を汚し、汚した手をきれいに洗う。その繰り返しだと、わたしは思うんだよなあ。
うん?
ああ、これは比喩の話さ。
わたしは仕事をしにここに来たんだ。
聞いてほしいのは、わたしのことさ。
メアリさんメアリさんってみんなわたしのことを呼ぶ。壁耳のメアリ、って呼ぶ人はもうこの世にはあんまり居ないけど、それでもそんな二つ名のことを忘れてしまうくらい、それこそ女給を呼ぶみたいに気軽に、わたしのことを呼ぶ人たちに囲まれているんだ。
だからこそかな。わたしはさ、時々思うんだよ。
わたしは、「いい人ではないよな」ってね。
ンフ。
そんな顔をしないでほしい。そういう意味じゃないんだ。例えばさ、君。君は十分、自覚して生きてるだろ?
掃除屋が、自分の部屋に夜に忍び込んできたら十中八九、自分の悪行がバレたと思うタイプ。わたしは君がしでかした悪どいことの記録も持ってる。つまりその自己認識は、まあ、正しい。つまりこれは善悪とかの関連しない関係ってことだとわたしは思う。
ただ、あのアパートに住んでると時々思うんだ。
あの子たちが巻き込まれた揉め事を解決してやるなんてのは、大したことじゃない。わたしにはコレがあるし、今更、コレを振るうのも息をするようなものだ。
でも、それを指して「いい人」ってのはちょっと違うよなと思うのだよね。客観的にみたらわたしは、ゴロツキを殺してドブに放り込んでいるだけだよ。決して褒められた話じゃない。
掃除に例えるなら、テーブルの上のものが何かを確認せず、ざあっと均すようにゴミ箱に放り込んで片付けをするみたいなものかなと思う。そこにあるのは、誰かが丹念に作ったミニチュア模型みたいなものだったかもしれないと思うと、少し心が痛む。
それにね、わたしは、「好きでやってる」んだ。
掃除も、殺しも、好きでやってるんだよ。
わたしはさ、たぶん生まれつきある程度強く生まれたと思ってる。どんな風にすれば相手に見つからずに近づけるかとか、躊躇わないで刺すほうが最終的にはお互いのためになるってことも早くに気付けた。たぶん、もともと暴力と相性がいいんだろうね。
だけど、別になんでも暴力で片付けるのが何よりだって考えてるわけじゃない。いくら好きでも、得意でも、毎日毎晩カンナ肉のスープが飲みたいって訳じゃないだろ?
だからわたしは考えてるんだ。
わたしは、暴力が得意だけど、別にそれが好きって訳じゃない。
じゃあ、わたしは一体何が「好き」なんだろう?
人助け?……ノン。別に誰かを贔屓してあげたいとは思わない。なるようになるのか一番だと思ってるタイプさ。
実利?……ノン。お金はあって困らないけど、必要以上にあっても使いきれない。
考えていくとさ、わたしは、そうだね。
『人の驚いた顔』が好きなんだよ。
ンフフ。
少し驚いた顔になってくれたね。佳き、佳き。わたしはそういう顔を見たくてこの仕事をしているんだ。片付いた部屋、模様替えをされた部屋を見て、みんな目を丸くする。わたしは底知れない喜びを憶える。こういうのをWIN-WINっていうんだろ。
まあ、大抵の人は拘束されると今の君と似たような顔になる。そこに驚きはないんだけどね、それを言い出すと部屋の片付けだって同じことだよ。片付ければ、片付けただけ綺麗になる。ゴミを一つ拾えば、ひとつぶんだけは部屋が片付く。
結果が分かりきったことだって、実際にその結末が訪れると人は驚き、感動するんだ。
驚きを届けたり味わうためにはさ、マナーというものが一番大切だとわたしは考えている。マナーだ。レストランで急に裸になったら、みんな驚いた顔はするだろうけどマナーが悪い。わたしはそういうのは望んでいないんだ。
ドレスコードと一緒でさ、場面場面に見合った適切なマナーがある。どんな場面にだってそれは存在する。
それは、縛り上げられた君と、わたしの間にでもさ。
いいかい?
今からわたしは君の猿轡を外そうと思うけど、マナーについては理解してくれただろうか。言うのも野暮だけど、大きな声を出すというのはマナー違反だ。物語がすぐに終わってしまう。わたしは、君が大きな声を出すために息を吸い込む動作を見たら、声を上げる前に喉を切らなければならなくなる。
お願いだから呼吸はゆっくり、浅めに、というのを心がけてほしい。喉に穴の空いたひとと話すのは結構疲れるんだ。耳を近づけてもよく聞こえないことが多いし、部屋も汚れる。わたしはそのどちらも望んでいない。
呼吸は、ゆっくり、浅く、決して肺いっぱいに吸い込むようなことはやめてほしい。分かるね?これはルールじゃない。マナーだ。
わたしは頼まれたから仕事をしているし、頼まれたのは君を「殺すこと」ではない。
ほら、驚いた顔。
今、わたしはとっても愉しいよ。
でも考えてみたら分かるだろ。殺すだけなら君が寝てる間に済ませるよ。わざわざこうして縛り上げて、猿轡も噛ませてさ、ゆっくり、丁寧にやってるんだ。
最初に言っておくと、わたしは今から君に幾つか質問をするから、なるべく正直に答えてほしい。わたしは、君が嘘を言っているかどうか見破るのは得意じゃないし、そもそもわたしはそれが本当かどうかに興味がない。依頼主は気にするかも知れないけど、わたしは「嘘を見破る」ところまでは頼まれていないしね。
ただ、職業人としてそれが「本当らしい」という証拠は持って帰りたい。分かるよね。その証拠については、がんばって君に提出してもらいたいと思っているよ。
最後にひとつ言っておくと、わたしは君を殺すように頼まれてはいないが、殺さないでとも頼まれていない。わたしは、ンフフ、そうだね。自由度の高い仕事が好きなんだ。
お陰で故郷ではギルドを追い出されてしまったけど、でも、掃除を仕事にするなら美学を持たないといけないとわたしは思うんだよなあ。
わたしがアサシンギルドで仕事をしていた頃、ああ、もちろんこの国ではないけど、とにかく、昔の話さ。
ギルドの人たちは、予定通りに行かないのをとても嫌がる。
彼らが嫌うのは「殺す予定じゃない相手を殺す」のと「殺す予定の相手を殺さない」のと、どっちだと思う?
不思議なことにさ、アサシンギルドって殺すのが仕事の癖にさ、殺す予定じゃない相手を殺すのをすごく嫌うんだ。
まあ確かに、論理的に考えればギルドメンバーにだって腕の良し悪しがある。殺す予定の相手を仕留め損なうことだってあるよね。仮に誰かが失敗しても、最終的に別の誰かが仕事の穴埋めをすれば、辻褄は合う。仕事には納期がある。
失敗することに非寛容になってしまっては仕事自体が成立しないだろ。
でも、殺す予定にない相手を殺すのは、色々とまずいんだよね。つまり、例えばさ、依頼のついでに、ムカつくやつだったからって依頼主まで殺すのは許されないんだ。
これを逆手にとるとさ、アサシンギルドに狙われないためには、依頼主になっちゃえばいいんだ。こういうの、ライフハックって言うんだろ。そういうものかなと思うけど、不思議なものだね。
人が仕組みを作り、人が作った仕組みがある以上、ヘンテコなことがいつも起こる。ルールはシンプルじゃないといけない。幾つもルールが噛み合うと、いつも何か直感的に間違ったことが起こるんだ。
ちなみにわたしは、ギルドの人たちが嫌うことをどっちもやった。
殺す予定の相手を殺さなかったこともあるし、殺してはいけない相手を殺したこともある。
ンフフ。
そうそう。わたしはもともと組織に向かないタイプだったんだろうね。まあ、だったら何に向いてるんだって話だけど。
とにかく、わたしは故郷のアサシンギルドからは追われる身なんだ。なんでも、わたしを生かしておくと色々と組織の根幹が揺らぐんだって。別にわたしはギルドを壊滅させたいわけではないんだから、国を出たわたしのことは「他所の国で跡形もなく刻んで殺した」ということにしておけばいいのにね。
なんの話だっけか。
そうそう。君に確認したい話があるんだった。質問するって話だったね。
ん?
そうだよ。今回の仕事は、ギルド経由じゃあない。
まあともあれ質問の話だ。
最初は、イエスかノーで答えられる質問にしようか。
ちゃんとわたしたちのコミュニケーションが成立しているかどうか、確認してから猿轡を取りたい。それはお互いのためだと思うんだよ。
君の名前は、グラスホーン・パトリックノーマンマクヘネシー。ちゃんと合ってるかな?
ふむ。
よかった。万が一人違いだったらわたしは引退しなきゃならないところだったよ。
それと、まあ、名前についてからかうつもりは全くないんだけど、エルフ族はファミリーネームは長い方が格式が高いっていうのは本当なのかい?
ああ、ごめん、イエスかノーで答えられない質問だったね。今猿轡を取るよ。
気をつけてね。浅く、短く息をするのがコツさ。不本意かも知れないけど、犬の真似をするのが一番だ。ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。そう。こうやるんだ。わたしは別にそれを笑ったりしないよ。生きるのに必死になるというのはとても美しいことさ。それは、わたしが責任を持って、誰にもバカにさせやしない。
いいかい、そら。取るよ。
やあ、改めましてこんばんは。
わたしの名前はメアリ。メアリ・ハニカムウォーカーだ。
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