アイスクリーム²

あざらし

ハッピー・アイスクリーム

「ハッピーアイスクリーム!」


 隣を歩くかれんが突然そう叫んだものだから、私はずいぶん驚いてしまった。

 アブラゼミのさわがしい帰り道だった。期末テストが終わった金曜日、私たちと同じくらいごきげんな太陽がさんさんとして、通りは陽炎が立ちそうなくらい。避難できそうな日陰もあたりにはなかった。右も左も同じ形の家ばっかり、もちろんアイスクリーム屋さんなんて気の利いたものは見当たらない。

「急にどうしたの。変なもの食べた?」

「食べないよ」かれんは得意げな顔で私を見た。「すみれ、知らないの?」

「なにを?」

「だから、ハッピーアイスクリーム!」

 かれんはもういちど叫んだ。それからわざとらしい咳払いをする。

「すみれ、さっき言ったじゃない。やっとテスト終わったー、夏休みだーって」

「言ったけど」

「で、あたしも言ったじゃん。おんなじこと」

「うん。ハモったよね」

「そう! そういうときに、ハッピーアイスクリーム、って叫ぶわけ。先に叫んだほうがアイスを奢ってもらえるというルールなのです」

「なんだそりゃ」

 なにがなんだか、説明を聞いてもよくわからない。あんまり暑いせいでかれんがおかしくなってしまった、私はつい心配しそうになったけど、携帯で検索するとその単語はちゃんとヒットする。流行ったのは何十年か前だそうで、私が知らないのも無理はなかった。知っているかれんのほうが珍しい。

「あたしダッツがいいな」

 当のかれんは私の困惑なんてどこ吹く風、おもむろに言った。

「夏季限定の、いっぱい果肉入ってるやつ」

「あれ、なんだろう。もしかして奢れって言ってる?」

「だって、ルールだもん」

「私それ知らなかったんだけど」

「でも、ルールだからねえ」

 その一点張りで通そうとするのだからまったく、この子はいい度胸をしている。

 律儀に従ってあげる道理もあるまいとは思ったけど、私とてアイスの口になってしまっていた。かれんには勉強に付き合ってもらったりもしたし、

「……仕方ないなあ」

「わ、やった。ダメもとだったんだけど、言ってみるもんだね」

「でもダッツは無理だからねー。安いやつから選んでよ」

 学生の経済は非常にシビアなのだ。テスト期間でいやおうなく節約できたとはいえ、思うまま散財していたら夏休みに使う分がなくなってしまう。海、花火大会、アナスイの新作……財布の紐はきつく縛っておかねば。

 今日のところは駅前のコンビニに寄ることにした。買い食いはいちおう校則でご法度だけど、まあスカートの丈しかり、風紀を守らないのは青春の一環とも言えよう。巡回する先生がいないかふたりして周りを確認して、自動ドアをくぐった。

 途端にセミの声は遠くなり、冷やっこい風が汗の浮いたブラウスを乾かしてくれる。

 私は深々とため息を吐いて、「エアコン発明したひとってほんと天才だわ」と言った。するとほとんど同時に、まったく同じフレーズがとなりからも聞こえた。

 思わず顔を見合わせて、ひと呼吸ぶんくらいの間。

 そして私は叫んだ。

「ハッピーアイスクリーム!」

 しばらく見つめ合ったままだったけれど、やがてかれんがくすくす笑い出した。私も小さく吹き出してしまう。

「引き分けになっちゃったじゃん」

「どうしよっかね」

 アイス売り場を覗き込む。どれもこれも魅力的なパッケージの中に、私はちょうどよさそうなものを見つけて手に取った。

 ふたつに割ってシェアできるソーダ・バー。

「これにしない?」

「いいね。ワリカンってことでひとつ」

 会計を済ませて店から出ると、アスファルトを焼いた余熱がぼわんと私たちにのしかかる。かれんは手早く封を切り、くっついたアイスをパキンとやる。わたしは半分を受け取った。

 くわえてひと口、透き通るようなフレーバーが火照る体に染みこんでいく。

 まるで夏の空みたいな味だった。

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