#2

 玲は土の中から拾い出した頭蓋骨を放置するわけにもいかず、持ち帰ることにした。さすがにそのままでは人目が気になるので、体育でつかったジャージの上着で頭蓋骨を包みこみ、しっかりと袖を結び、片手で持ち運べるようにした。

 帰るために河原のあぜ道を踏みしめ戻る玲を、県道の方から一人の女子高生が見つめていた。

 紺色のブレザーとプリーツスカートは近くにある高校の制服だろう。それにしてもいまどきの高校生にしてはルーズソックスは珍しい。艶やかな黒髪に、日の光を嫌うような白磁の肌。遠目ながらも端正な顔立ちであることが分かる。

 彼女は玲を見ると無邪気な笑みを浮かべて手を振った。玲は笑顔を向けられたのにかかわらず、刃物を首に当てたような寒気を感じる。全身がざわざわする凶悪な感覚を味わいつつ、玲は一つの決意を固めた。

 玲はスニーカーの裏にアスファルトの硬さを感じたと同時に、全力で駆け出した。

「え!? ちょっと……なんで逃げるのよ!」

 驚いた表情の彼女を取り残し、玲は前傾姿勢を崩さずに疾走する。虚を付かれた彼女もあわてて走りだす。

「まってよ! それ私のじゃない! どうするつもりなのよ!?」

 玲は後ろからあたふたと追いかけてくる頭蓋骨の主? とおぼしき女子高生には構わず走り続ける。玲は体力には自信がある。それに追いかけて来る女子高生は、見るからに文化系だ。所詮、陸上部で無駄に走らされ続けている玲の敵ではない。

 玲のはるか後方で、ずでんと女子高生がつまずいた音がした。案の定、玲が振り返ると道路に這いつくばって、泣き伏せている。その背中には懐いたところをいきなり蹴り飛ばされた野良犬のような哀愁があった。

 さすがに可哀想になってきた玲は、いまきた道を戻り、声を掛けてやることにした。

「大丈夫ですか?」

 自分より年上の女性が道端に倒れている姿は、痛ましくあるととともに無様でもある。 彼女はいまだに声を殺して、肩を震わせている。涙をためた瞳で玲を見つめあげると口を開いた。

「…………大丈夫なわけないじゃない! そっちから呼び出してきて、なんでいきなり逃げるのよ!」

「知らないひとにはついて行っちゃダメだと、おばあちゃんから言われています」

「ずいぶんと立派な教育を受けているのね。おかげでびっくりしすぎて死ぬかと思ったわ!」

「いいえ、安心してください。もう二度と死ぬ事はありませんから」

「分かってるわよ!」

 彼女は怒ったように立ち上がると、服についた土埃を叩き落した。そして値踏みするような目付きで玲を見つめた。やがて諦めたようにため息をつく。

「思い出してみると、こうやって人と話をするのも久しぶりだわ。どうやら、あなたにはお礼をしなければいけないみたいね」

 玲は表情を変えず、訥々と受け答える。

「気にしないでください。死してなお、現世うつしよに留まり続ける魂を導くのが、わたしたちの役目です」ほんのわずかに頬を染めるとこう付け加えた。「わたしはまだ修行中の身ですが……」

「あなた、名前は?」

「わたしの名前は、根神ねがみ玲といいます」

「そう、玲ちゃんね。私は……――」

 彼女はそこで口を丸く開いたまま、呆然としていた。

「あれ……? 私の名前は?」

 うろたえ、色を失った彼女に、玲は色を交えずに答える。

「死者の身体が土へ還るように、死者の魂は常世とこよの国へ帰るが定め。全てが一つの常世の国で名は不要」

「……つまりは私の名前は無くなっちゃった訳?」

「そういうことになります」

「ふざけないでよ!」

 玲が顔を見上げると、怒っているとも泣いているとも取れない表情のまま、彼女は喉から声を搾り出した。

「……なんでこんなところで十年も縛り付けられて、真っ暗のなかでずっと一人ぼっちで……、苦しいのに、誰も話を聞いてくれないのに……――、なんで……、なんで私だけがこんな目にあわないといけないのよ!」

 激しい口調で、叩きつけるように叫ぶ姿を、玲は透き通った視線で見つめる。

「不本意かもしれませんが、この世のことわりに従う限りあなたがあなたでいられる時間はそう長くないのです。わたしが見つけた以上、わたしがあなたを導かなくてはいけません」

「……どうするつもりなのよ」

「これを――」

 玲は右手に握るジャージの包みを掲げた。それは不自然な膨らみでもって頭蓋骨を包み込んでいる。

「おばあちゃんのところに持っていくつもりでした。おばあちゃんならあなたを苦しめる事なく常世の国へ送ることができますから」

「え……」

「おばあちゃんに言われました。玲はまだ未熟だから、霊を見つけても一人でお送りする事は無理だって。だから、苦しんでいる人を見つけたら、おばあちゃんのところに連れてくるように言われています」

「ちょっと、待ってくれないかな?」

 玲は再び彼女の顔を見上げた。悲しみにくれた様子だった彼女は、少し戸惑いの表情を浮かべていた。

「ちょっとね、玲ちゃんにお願いがあるの」

「なんでしょうか?」

「あのね……、私がここに縛り付けられてから何年も経つんだけど、その間、お父さんとお母さんにずっと、ずっと謝りたいと思っていたの。だから、ちょっと連れて行ってもらえないかな?」

 玲はひそかに眉をひそめ、気怠く口を開く。

「あなたは、家族に会えれば満足してくれるのですか?」

 いままで暗澹としていた彼女の顔が一度に晴れやかになる。

「……いいの?」

「しかたがないです。この世に未練を残して悪霊になってしまっても困りますから」

 彼女はふらりと倒れこむように近寄ると、その胸に玲の顔を抱擁した。

「ありがとう」


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