第8話 さらば、振興係
3月中旬。待ちに待った人事の内示が出た。
保住と田口は新規に立ち上がる『市制100周年記念事業推進室』への異動。記念事業推進室へは、他に
振興係は渡辺が係長に昇進。谷川は主任へ。他部署から2名が異動してくることになった。一人は議会局から。もう一人は市民課から。十文字と同じ流れだ。彼も教育係への昇進ということになった。
3月31日。保住と田口が振興係で過ごす最後の日だった。
「新しい部署って、どこにできるんですか?」
谷川の質問に保住が答える。
「観光部の奥の一角らしいです。総勢5人の小さい部署ですからね。観光部に間借りする感じでしょうね」
「その5人で市制100周年のアニバーサリーに向けての企画運営するんですよね? 考えただけでも大変そうな部署ですね」
からだをぶるぶると震わせる谷川の横で、渡辺も肩を竦めた。
「ここで企画しているイベントの比じゃないですもんね。恐ろしい部署だ」
渡辺と谷川は顔を見合わせていた。二人の様子を見ていると、「不安だ」と言わんばかりの表情を浮かべている。保住や田口の業務内容について話をしていても、明日からのわが身の心配をしているのだろう。
渡辺は「係長デビュー」だ。今までは保住の片腕としてサポート役に徹してきたのに、明日からは自分がこの部署を回さなくてはいけないのだ。座る席が変われば見える景色も違ってくるものだ。
内示が出てからというもの、人一倍落ち着きがないのは、渡辺かもしれない。十文字は「渡辺さん。係長できるんですか?」と茶々を入れる。渡辺は「うるさいな」とそれに返した。
「そういうお前こそ、後輩ができるんだぞ。田口の苦労が身に染みてわかるだろうさ」
渡辺の言葉に十文字は田口を見る。田口は「大丈夫だよ。十文字なら」と頷いて見せた。
「おれ、後輩の面倒とかみるの、面倒だからやだな」
「そんなこと言って。おれより面倒見いいんじゃない? 合唱部は団体戦だろう? 個人戦だった剣道部よりは、協調性あるじゃないか」
「本気で言ってます? 田口さん」
十文字は褒められて恥ずかしいのか。頬を上気させた。田口は静かな口調で言った。
「言っているよ。十文字はこの一年で随分と成長したんだから」
すると谷川も「そうだな」と頷いた。
「本当だ。最初は、すかした野郎だなって思ったけどね。今では地べたを這いつくばって仕事に食らいつくガッツのある男になったよな」
「谷口さん……」
「そうだよね。面倒なんて嫌いです、なんて顔してスカしていたのにな。れっきとした社会人っぽい」
「渡辺さんまで……」
こんなひどいお別れ会はない。十文字は頬を膨らませた。
「パワハラっす」
「そんなことないって」
「そうそう。褒めてるんだから」
「そういうのって、褒め殺しとかっていうんじゃないですか」
「そう?」
十文字はからかわれて面白くないが、一同は笑っているから、彼も諦めるしかない。自分をネタに場が明るくなるなら良しとしようとと言う顔だった。彼にもそういった余裕が出てきたということだ。
ここのところ十文字にはなにかがあったようだ。一時期、元気のない時もあったが、ここ最近は、逆に機嫌がいい。殺伐としていたプライベートが落ち着いたのだろうか? 色々な話をしてはきたけど自分も異動で忙しく、結局は聞いてやれなかったな……そんなことを思った。
「まあ、いいです。みんなが笑顔なら」
「お、大人になったね~」
「いい心がけだな」
いつもと変わらずの会話が白々しい。定時の鐘が鳴り、とうとう終わりがくる。寂しいけれど異動が多い仕事だ。慣れなくてはいけない時間だった。
「おれ、係長の仕事できるかな?」
不安そうな顔をした渡辺に、保住は優しく微笑を向けた。
「大丈夫ですよ。渡辺さんなら、おれよりも素晴らしい係長になります」
「係長」
「谷川さんも、渡辺さんを支えてやってください」
「もちろんですよ」
谷川は力強く頷いた。そして保住は十文字を見た。
「お前は大きく成長した。どんな困難にぶち当たろうとも折れない気持ちを培った。これから後輩が出来て、別なことで悩み苦しむだろうが大丈夫だ。正々堂々と向き合えば必ず活路が見出せる」
「はいっ!」
真っ直ぐに前を向く彼は一年前の彼とは違う。
「田口とおれは、別なところに行きますが、気持ちは一緒に仕事をしています。何か困ったことがあればいつでも声をかけてください」
「係長もですよ! いっつも一人で抱え込むんだから」
渡辺の言葉に場が湧く。
「そうそう。離れても係長親衛隊は健在です。矢部さんもそうだし、おれたちはいつでも駆けつけますから」
「そして」と谷川は続けた。
「田口。係長を頼んだぞ。おれたちの思いはお前に託す」
真っ直ぐに見据えられた田口は「はい」と頷いた。
「では、解散いたしましょう。話は尽きないが、明日からまた、新しい門出だ。今日はゆっくりと休んで、頑張りましょう」
名残惜しいのはみんなが一緒。5人は口数少なく解散となる。異動する保住と田口が先に見送られて事務所を出た。振興係での最後の一日は呆気なく幕を閉じたのだった。
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