第3話 文化課の女子たち


 昼休憩も終わりの時間。マグカップにコーヒーを入れようと、給湯室に足を運ぶと、総務係の女子、遠藤と鉢合わせになった。


 女子との接点はほとんどない。むしろ、女子に人気の保住といつも一緒にいる、というだけで、田口は非難の的になっているというくらいの話だ。田口はいつものように、ぺこりと頭を下げてやりすごそうとした。


 これが一番いいのだ。当たり障りなく接点を持たないほうがいい。ところが、遠藤は田口の名を呼んだ。慌てて視線を上げると、彼女はにっこりと笑みを見せた。


「忘年会の件って、先日の約束の延長なんでしょう? なんだか無理言ったみたいな感じになっちゃったね」


 田口は首を横に振った。


「最初はそうでしたが。文化課では忘年会をしていませんから。たまにはいいのかなって思うと、少し楽しみです」


 彼女は田口を見上げて肩をすくめた。


「あのね。田口くんは、そういう他人行儀っていうか、お堅い言い回しをするから女子に人気でないんだと思うよ? それから保住係長をいっつも独占しているじゃない。女子から見たら天敵なわけ」


「はあ……」


 そんなことを言われても。一応、職務として保住と行動を共にしているだけで。いやいや。プライベートでも独占している、ということもあるせいで、田口は後ろめたい気持ちでいっぱいになった。彼女たちが、保住の恋人は田口である、とわかったら。暴動が起きるに決まっている。なんだか恐ろしい気持ちになった。


 ——おれたちのことは、本当に秘密にしなくちゃいけないことなんだな。


 田口は改めてそう理解した。遠藤は、そんな彼の心の中など知る由もない。「そういえば、幹事大丈夫だった?」と言った。


 今回は、課総出の忘年会だ。各係から幹事を一人ずつ選出することになっている。振興係からは、もちろん言い出しっぺの田口が幹事を担った。総務係からは、係長である篠崎が幹事として名乗りを上げた。そのおかげで、幹事のとりまとめは彼女が担ってくれたので、助かった。


 元々、飲み会に参加したこともない田口だ。幹事の仕事内容などわかるはずもない。幹事になった篠崎は、持ち前の仕切り力で、幹事たちを動かし、今日の忘年会開催に至る。


「私たちでやるって言ったんだけど、どうしても、篠崎係長が幹事をやりたいって頑張るんだもの。こんな雑用みたいなこと、上司にやらせるわけにいかないでしょう? 突然、こんなこと言い出されると、こっちが気を遣うよね」


「そうれはそうですね。それにしても、なぜ、そんな……」


「好きなのよ」


「え?」


 遠藤は「お祭り女ってやつ?」と苦笑した。


「それって、結構……迷惑?」


「そういうこと。ともかく今晩はよろしくね」と、スカートを揺らしながら給湯室を出て行く彼女を見送ってから、田口は大きくため息を吐く。


 先日の打ち合わせの時の篠崎を思い出したからだ。


『幹事の仕事は場所取りと出欠確認だけでいいわ。今回は、職員同士の交流に主眼を置くわよ。ビンゴとかカラオケとか、幹事の負担になるイベントは禁止ね』


 肩下までの髪をくるりんとパーマを当てている彼女は、鼻筋の通った美人だと思った。ハキハキしている印象の彼女は、しっかり者すぎて、夫になる男としては、いいのか悪いのか……というところだろう。


 コーヒーをいれてから、廊下に足を踏み出すと、「田口くん」と声がかかった。まるで心の声が筒抜けになっているのではないか、と心配になるくらいのタイミング。そこに立っていたのは篠崎だった。田口は慌てて「お疲れ様です」と頭を下げる。マグカップのコーヒーが数滴廊下に落ちた。


「今日、文化財の子が体調悪いんですって。キャンセルできるかしら」


「はい。連絡してみます」


「悪いね。他の子たちは仕事遅くてさ」


 それは仕方がないことだ。文化財係の幹事は、全く持って新卒の大貫おおぬきと言う女の子。埋蔵文化財係の幹事は、出来が悪いという噂の佐藤。それを考えると、幹事として実質的に動いているのは田口と篠崎だけだったからだ。


 ブラウスの袖を腕まくりして、彼女は田口の前に立つ。身長は160センチくらい。ベージュのフレアスカートで痩せ型。スタイルもいい。それでいて係長だ。男性職員の憧れの的であることはいうまでもない。そういう田口だって、彼女の女性的な匂いに少し鼓動が早まる。


「幹事は先に会場入りするけど、私はちょっと遅れるから」


「え? なにか仕事ですか」


「ううん。野原課長連れて行かないと。場所わからなそうでしょう?」


 彼女は野原の面倒を見ている話が脳裏をかすめた。


「確かにそうですね。篠崎係長は、野原課長の面倒をよくみられていますね。凄いです」


「あら! 私、結構好きよ。ああいうタイプ」


 ——そうなのか? AIロボットだぞ?


 田口は内心首を傾げるが、彼女は嬉しそうに笑った。


「ほら、私こう見えてバツイチじゃない? 人生楽しく行かないとねっ」


「ば、バツイチ、なんですか?」


「そうよ。娘がいるんだけどね、れっきとした独身ですから! ……ああ、でも悪いけど田口くんは好みじゃないからなー。安心して!」


 バシバシと背中を叩かれて田口は固まった。そういうつもりではない。そういうつもりではないのだが……。


「ああそう言えば、佐久間局長は出張なんですって。残念ね」


「おれ佐久間局長と飲んだことないですね」


「でしょう? 私も。ああいうおっさんは飲ませると色々なこと吐くからな〜。弱み握るにはちょうどいいんだけどね」


「篠崎係長……」


「あら、保住くんはそういうこと教えてくれないの? 飲むと本音暴露する男が多いのよね。飲み会はいいチャンスなのよ。上に行きたいなら、ミニケーションは大事だからね」


 あっけらかんと笑う篠崎のコメントに、田口は笑うしかない。どっちかといえば、飲み会になると酔い潰れる保住にその作戦を遂行することは難しいだろうなと思ったからだ。


「ともかく。一人キャンセル。私は遅れて行くから、残りのと会費の徴収しておいてよね」


 にこやかに手を振ってから彼女は事務所に消える。女性は恐ろしい。きっと彼女たちからしたら、自分は「馬鹿な男」扱いなのだろうな……。そんなことを思いながら、田口も席に戻った。



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