第9話 でも、最悪は最悪



 外勤を終え玄関先で野原だけを先に下ろした。田口は公用車の駐車場に車を返してから、庁舎に戻り事務所目指して階段を登った。なんだかどっと疲れているのは気のせいではない。


 ——今朝から散々だもんな。


 野原とは少しわかり合えたような気がしたので、それはよしとするが、問題は保住だ。


 ——まだ機嫌が悪いのだろうか?


 保住に澤井の話をすると、機嫌が悪くなることは知っている。しかし澤井のことになると冷静ではいられないのだ。


 保住にとって澤井は大きな存在だ。公私ともに。いつ、また。二人の間に何事かが起きても、それは不思議なことではないと思うくらい、危うい関係性なのだと思っている。もちろん、保住を信じていないわけではないのだが……。田口は不安で不安でたまらなかったのだ。


 その要因の一つは、自分に自信が持てないこと。保住が、本当に自分を好いてくれているのか。いつも不安になるからだ。自分よりも優れている人間は、世の中にたくさんいる。本当に自分でいいのか。心の根底にはそんな疑念が横たわっているのだ。


 そんな事を考えながら階段を登り切ると、そこでばったりと保住と出会した。


「お疲れ様です。戻りました。打ち合わせ済みましたか」


 彼のご機嫌はどうだろうか? そんなことを探りながら声をかけたが、保住は意外にも素直に返答した。


「最悪なメンバーだった。澤井、吉岡、槇だ」


「それはそれは」


「お前はどうだった。大丈夫だったか?」


 眉間にシワを寄せている保住は、野原と同行した田口を案じていてくれたのだということがわかった。田口は安堵の気持ちに支配される。保住は、仕事のことになると、周囲が見えなくなることも多い。その中で、こうして少しでも自分を気にかけてくれていたのだ、ということがわかると嬉しい気持ちになった。


「詳しいことは帰ってから、ご報告します。仕事の部分は問題ありません。野原課長も納得されて発議書を預かってきました」


「そうか。水野谷課長や星野くんたちがいれば問題ないだろう」


「その通りですね」


 隣を歩く保住の寝癖。歩くたびに揺れるそれを眺めながら事務所に戻った。


「お帰りなさい」


  心配そうに待っていた、渡辺、谷川、十文字の三人は顔を上げた。渡辺が「お二人とも、どうでした?」と口を開いた瞬間。ふと野原がやってきた。呼び出しならまだしも、彼が足を運んでくるというのは珍しいことだった。


 ——嫌味? また怒られる?


 渡辺や谷川の顔色が青くなる。しかし。野原は手に小さく個包装されたチョコレートを沢山抱えていた。


「え?」


「あげる」


 それを田口に差し出す野原。


「え? えっと!? え?」


 田口は混乱して、慌てて立ち上がったので、膝を机の足にぶつけた。そのせいで、思うように立つことができない。椅子に座ったまま野原を見上げる。


「痛っ! ってか、——課長?」


「はい」


 野原は無表情のままチョコレート田口に押し付けた。ここまでされて受け取らないわけにはいかない。田口は慌てて両手を差し出した。すると、野原はそこにチョコレートを置いた。


「あ、ありがとうございます」


 彼は満足そうに頷くと、踵を返し自席に戻っていった。両手いっぱいにチョコを抱えた田口は、ぽかんとして座っていた。

 

 他の島の職員たちも同様な表情。まず、そもそも素行に厳しい野原がお菓子を持ってくるなんて信じられないからだ。水野谷にお菓子をもらっていて嬉しそうだった彼を思い出すが、田口の手元にきたお菓子は明らかにそれとは異なる。


 しかも、彼はいつの間にか売店の袋いっぱいにお菓子を持っていた。先に戻ったと思ったが、彼は売店に寄っていたらしい。野原は心なしか嬉しそうに袋を覗いて満足そうにしていた。


「ど、どういうこと?」


「お、おい? どういうこと?」


 渡辺に問われても答えようがない。なにせ当事者である田口が一番知りたい問いだからだ。


「いや、わかりません」


 いや。しかし難しくなるので説明しないが、きっと。これは——誕生日プレゼント……なのではないだろうか。


 ——『誕生日は特別』と言っていたのは、これ? このこと!?


「お疲れ様の労い物じゃないですか」


 事情を知らない十文字は面白おかしく笑うが、それどころではない。はっとして保住を見ると、彼は怪しむような顔で田口を見ていた。田口は首を横に振る。


 ——違う。誤解だ。いや、なにが誤解なのかもわからないが、そんな疑いの目で見ないで! 


 田口はそう意思表示をしているが、全く信用していないのか。保住はじーっと田口を見据えているだけ。


 ——やっぱり最悪だ! 誕生日っていいこと一つもない! 最悪だ……。




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