第16章 最恐メンバー最後の仕事
第1話 音取り
田口は、戦線離脱をした保住の代わりに、課長である佐久間と一緒に上京した。
やってきたのは、東京都内のとある音楽大学の講堂だった。そこが今回、関口圭一郎が率いるオーケストラの拠点になる。
昨日、渡辺から手渡された資料では見ていたホールだが、こうして到着してみると、一大学が所有していいのかと思うほど、豪華な作りだった。
灰色の無機質な雰囲気のホワイエ。モノクロの世界に、足元の朱色の絨毯が、妙に鮮やかに見えた。梅沢市にある施設の、どれもが足元に及ばないくらい上質なホールだった。
「さすがですね。美しいです。我々の街にもこんなホールがあったら……いいですね」
田口が呟くと、佐久間もその意図をくみ取ったのか頷いた。
「これから、市内のホールは統合していく方向だからね。参考にしておこう」
「ですね」
梅沢市内に複数設置されているホールは、すべて老朽化が
梅沢市には、ホールを複数抱えるような財源はない。稼働率も半分を切っているところもある。様々な課題が上がっている中での話だ。
時計の針は昼少し前。ホワイエに足を踏み入れると、中ではスタッフらしき人間が数名、忙しそうに動いていた。ふと視界に入ったのは、長身の眼鏡姿の男だった。彼はTシャツ姿のスタッフに取り囲まれて、神妙な顔つきで指示を出していた。
「それは、予定通りに進めてください」
「わかりました」
「こちらの件は少し保留で。マエストロに確認してみましょう」
「わかりました」
そんなやり取りをしていた男だが、佐久間や田口に気がつくと、スタッフと話すのをやめて、まっすぐに歩み寄ってきた。
「梅沢の方でしょうか?」
佐久間は慌てて頭を下げる。
「梅沢市役所文化課課長の佐久間です」
「初めまして。関口圭一郎のマネージャーをしております有田と申します」
礼儀正しい男だと、田口は思った。
『マエストロのマネージャーの有田は切れる男だが、悪くはない。困ったことがあれば、彼を通すように』
保住が褒めていたことを思い出す。あの時に抱いた嫉妬心を思い出す。田口は嫌な気持ちを表に出さずに頭を下げた。
「同じく、文化課振興係の田口です」
有田は二人を交互に見てから、顔色を悪くする。
「——あの。保住係長さんがいらっしゃるとお聞きしておりましたが」
保住が同行しないことが、そんなにも失礼なことだとは思わなかった。田口は佐久間を見る。彼も同じ気持ちのようで、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。保住は体調を崩しまして。急遽、田口が参りました。事前にご連絡を差しあげずに、申し訳ありませんでした」
担当など誰でもいい。そう思っていた。しかし、保住ではないといけない理由でもあるのだろうか。田口は疑問を抱えながら、佐久間に倣って頭を下げた。
有田は笑顔を見せて首を横に振った。
「いえいえ。結構なんです。お二人も来ていただいて、本当にありがとうございます。それよりも体調を崩されたとは。一体——? 大丈夫なのでしょうか?」
「ええ、まあ」
佐久間が言葉を濁すのを見て、これ以上踏み込むのはやめようと、判断したのだろう。有田は言葉を切ってからホールを見る。開かれた扉からは、音楽が響いていた。
「先ほど、始まったばかりです。あと四十分程度で休憩が入る予定ですので、それまでお待ちいただけますか?」
「わかりました。見学は可能でしょうか」
「勿論です。ぜひ」
有田はそう笑顔で答えると、佐久間と田口を連れ立ってホールに入った。
ステージにはオーケストラが座り、その中心で針金のような男がいた。彼は腰高の椅子に軽く腰を下ろし、譜面台を指揮棒で叩きながら拍を取っている。
『オーボエ』
『チェロ、音違う』
カッカッカとなる軽い音に合わせて音を鳴らしている楽器たちに指示を出す。こんなにたくさんの楽器が一度に音を鳴らしているというのに、音の違いなどを聞き分けているようだ。
ステージ上には、ラフな恰好をしているとはいえ、オーケストラがいるというのに、客の入っていない客席は違和感だ。
有田に促されて、二人は中ほど上くらい、真ん中の席に座る。
「今日は初回なので、譜面の読み合わせです。音楽と言える代物ではないかもしれませんから。聞いていただいても面白くないでしょう」
「はあ」
佐久間は目を瞬かせた。彼もまた、音楽には疎いという話をしながら新幹線の時間を過ごした。佐久間と田口は、目を瞬かせてステージ上の不思議な光景を見つめた。
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